落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(50) 

2013-08-07 12:05:17 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(50)  
「突風はまったく想定外の出来事、それでも作業は無事に終了する」




 「気をつけろ。先頭。
 突風がやって来た!目標を見失うな。角度を維持したまま堪えぬけ!」

 
 五六の大声での指示が飛んできた瞬間、ごうっという激しい音と共に
急激に方向を変えた突風が、筒先の二人へあっというまに襲いかかってきました。
大木の上空へ向かって綺麗な放射線を描いていた消毒液が、にわかの突風に翻弄をされます。
霧のように砕けはじめた水滴と、目標を見失った消毒液が大きな塊と化して、
やがて真下に居る、二人をめがけて激しく落下をしてきました。


 水の塊が地面を叩き激しい水煙があがるなか、康平と長髪美女は危険を察して
いち早く危機を回避するための防御の姿勢をとります。
筒先は天に向けて保持をしたまま、ぴったりと体を寄せ合い、滝のような降り注ぐ
水の落下をお互いの背中で受けながら、ひたすらに通り過ぎるまでの時間を耐え抜きます。



 時間にしてほんの数十秒。
突然現れた突風は、消防ホースの放水をあざ笑うかのような翻弄を成し遂げてから、
満足したように笑みを浮かべ、やがてゆっくりと上空へ飛び去っていきます。
勝ち誇った龍が悠々と天へ登っていくような光景を思わせて、突風はまた、
もとの棲家となる、上空へと消えていきます。


 「なんだったのさ。今のは・・・・」



 放心した長髪美女の黒い瞳が、遠ざかっていく突風の上空を見上げています。
勢いを失いはじめた消毒液の放物線が、やがて距離を落とし、円弧の中でその形を崩します。
「終わったみたいだな。ようやく、無事に・・・」ほっと一息つきながら、康平も
全身にこめた力を緩め、びしょ濡れと化した指先を、筒先から外しはじめます
しかし、本人の意思に反し堅くこわばったままの両手の指は、いくら外そうとしても
全く動かず、ただ震えるだけでその場に凝り固まったままです。


 「力を入れすぎなのよ、康平。
 いくらポンプ操法の心得が有っても、実戦となるとまた別。
 火事場のバカ力は、火災現場にもあるけれど、初めて出動をした団員の側にもあるの。
 極度の緊張は思いがけない力を一箇所に集めてしまうから、ほら、もう指が固まっている。
 外してあげるわよ、私が。愛をこめて、うふふ」


 自分の意思だけではどうにもならない、こわばったままの康平の指を、
長髪の美女が本当に愛情も込めながら、一本一本、筒先から丁寧に外し始めます。
極度の緊張状態から徐々に気持ちは開放されても、予想以上の力が加わってしまった
康平の固まった指先は、美女の必死の手助けにも関わらず、いまだに水滴が滴る筒先から、
なかなか離れようとはしません。



 (うふっ、けっこう可愛いところがあるな、康平ったら。
 本当は私を助けたい一心で、気持ちだけでこの先端まで飛んできてくれたくせに。
 もういいのよ、全部終わったから。力を抜いて深呼吸をしてみて、無事に終わったんだから。
 あなたの男っぷりは充分に見せてもらいました。ほら、力を緩めてったら、康平)

 おびただしい水滴で、うっすりと曇りかけているメガネ越しに、
長髪美女の優しい瞳が、康平の目と鼻の先で優しく微笑んでいます。


 「見ると、やるとではまったくの大違い。よくわかったでしょう、現実が。
 でもさぁ。嬉しかったなぁ、あんたの男気。
 突風が来た瞬間、とっさに庇ってくれた時なんか、思わず私もジンときちゃった。
 あんたってとぼけていて、表情には何ひとつ出さないくせに、
 そういうところだけは、しっかりとしているんだもの。
 だから美和子がいまだに、あんたにのぼせたままなんだろうなぁ。
 ありがとう。久しぶりに男の人から温かい気持ちをもらった。
 さぁ、撤収準備だ。この先にもうひと仕事が待っている。
 余計な残留農薬を洗い流して、子供たちのために通学路を綺麗にしなくちゃね。
 あ、・・・・まだ駄目よ。
 清掃作業が全て終わるまでは、マスクもメガネも、そのまま着用していて。
 最後にこのマスクとメガネも洗浄をします。それで本当に終わりです。
 残念だったわねぇ、康平。マスクとメガネが外せれば、感謝のキスくらいは出来たのに。
 やっぱり、縁がないのかしらねぇ。わたしたちは。うふふふ」



 いまだにしびれ続けている指先を軽く動かしながら、康平が美女へ苦笑を返します。
『さて、』と、康平の肩へ手をかけて立ち上がった長髪美女が、自分の腰へ両手を置いて
今はずぶ濡れと化した、一ノ瀬の大木を下から見上げます。
激しくしたたり落ちる消毒液の水滴は、多くのアメリカシロヒトリの巣を
直接叩き落としたのちに、根元やその周囲へ、大きな水たまりをいくつも作っています。
わずか5分足らずのうちにこの大木は、ドラム缶に換算をして10本分に相当をする
大量の消毒液を、その頭上からいやというほど浴びていたのです


 「最終の仕上げに入るぞ。
 第1班は、タンク車の内部に残っている農薬の洗浄作業を行なう。
 第2班は、消火栓からポンプ車へ水を引き、通学路に残っている散布農薬の洗浄作業へ入る。
 丁寧に作業をしてくれ。子供たちの安全確保が第一だ。
 残った者は、桑の大木の下へ竹箒(たけぼうき)と袋を持って全員集合をしてくれ。
 水圧で落とされたアメヒトの巣を、すべて残らず回収をしてすべてを川原で焼却処分とする。
 さて。第3分団の5人の美女と、応援に駆けつけてくれた第3団員の諸君。
 多大な協力ぶりに、心から感謝をする。
 あとは俺たちで後片付けるから、あとは任せて撤収してくれ。
 君らには、ひとつ大きな借りができたが、何かの機会に必ず、倍にして返す。
 分団長としてそう諸君に約束をする。ありがとう、助かったぜ、今日は!」


 「水臭いなぁ、五六。
 どうせ、頭から足元までみんなずぶ濡れ状態だ。
 あと10分や20分間、濡れたまま我慢するなんてのは、もう慣れっこになっている。
 最後まで手伝おうじゃないか。
 どうせお前さんに貸しを作るなら、貸しは大きいほうがいいに決まってる。
 と、いうことだ。集まった3分団の団員と美女の諸君も、
 最後までの任務を全うしてくれ。
 これは第3分団の分団長の命令でもある。よし行け、みんな!」



 第3分団の分団長の声に、美女軍団が黄色い声をあげ賛同の反応をみせます。
『すまねぇな』と笑う五六へ、『貸しは、高くつくぜぇ』と3分団長も
ニヤリと笑いを返します。
男と女たちが最後の作業に向かいそれぞれ散開をしていく中、康平も腰に両手をあてたまま、
いまだに大木を見上げている長髪美女と、肩を並べて立ち上がります。


 しとどに濡れきった一ノ瀬の大木からは、微風が葉を揺らす度に、ひと塊の水滴と
アメリカシロヒトリの巣が、音を立てて地上へと落下をしてきます。



 「それにしても、スゴイ光景だ・・・・
 この一ノ瀬の姿にもすごいものがあるが、君たちの協力ぶりというか、
 ボランティア精神には、脱帽すべきものがある。まったくもって心からの敬意に値する」


 「あんたもそうだ。康平。
 あんたも含めて、みんなが、ここで生まれた大地の子だ。
 田舎が荒れていくのを黙って見ていられないし、畑や田んぼが荒れていくのは見たくない。
 だけど、ここにこれだけの現実があるんだよ。この大木の一ノ瀬のように。
 五六の言い分じゃないが、今に、こんな仕事があたしたちの本業になるかもしれない。
 そうなったら、それはそれでまた頑張るわけよ。
 消防は明日のためにみんなの財産を守る、縁の下の力持ちがその仕事だ。
 どう、康平くん。30を過ぎた子持ちのワケ有り女も、それなりに、
 けっこう良い女に見えてきただろう」

 
 「うん。かなりの、美女だと思うよ。君は」



 「嘘をつけ、康平。美女ではなく、
 本当は、びしょびしょって言いたいんだろう、私のことを。あはは」




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