落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(56)

2013-08-15 09:31:24 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(56)
「呑竜マーケットを立ち去っていく美女を、不吉な思いで見送る貞園」




 「せっかく伊勢崎方面へ行きますので、他になにか希望がありますか?」

 乗りたいとあれほどまでに熱望をしていたスクーターの2人乗りが
実現したことで、今の千尋は上機嫌です。
さらに『ほかに何か希望がありますか』と康平に尋ねられた瞬間に、実は、
もうひとつ有りますと、千尋が舌を出しおどけてみせます。


 「笑わないでください。実は、もうひとつ食べてみたいものがあるのです。
 なんて説明をすればいいのかしら。お饅頭みたいなものを、
 炭火でこんがりと焼いて、香ばしいお味噌のタレをつけて食べる、あれ。
 お口の周りが汚れちゃうけど、香ばしくてとっても美味しい、あれ。
 伊勢崎市の名物で、縁日なんかの屋台ではかならず見かける、あれなのよ・・・・」


 「焼きまんじゅうです。たっぷりと甘辛の味噌をつけて焼きあげる、
 焼きまんじゅうという、伊勢崎市の名物です」


 「そう。それ!その焼きまんじゅう!」



 「蒸して作ったまんじゅうに竹串に刺し、黒砂糖や水飴を入れて
 甘くした濃厚な味噌ダレを裏表に塗って火に掛け、焦げ目を付けたもので、
 軽食としても好まれる一品です。
 まんじゅうは、あんの無い薄いもの(素まんじゅう。中国でいうマントウの類)が普通に
 用いられていますが、一部には、こしあん入りのまんじゅうもあります。
 通常は、二色パン状に2個が接合した状態で蒸かされたまんじゅうを、
 2組にして(合計で4個)長目の竹串に刺し、炭火にかけます。
 火に掛けている間に、適宜、刷毛などを用いてまんじゅうの裏と表へ味噌ダレを塗ります。
 タレは一般的に、北毛(群馬県の北部)の寒冷地帯へ行くほど濃くなり、
 中毛や東毛(群馬県の中央と東部)へ行くにつれて、緩くなる傾向があります」


 「あら。味噌ダレにも地域の特色があるの?。
 でも、焼きたての温かいうちは軟らかくて食べやすいけど、一度冷めてしまうと
 水分が抜けてしまい、噛みちぎれないほど固くなってしまう傾向が強いわ。
 やっぱり縁日などで、買った瞬間に食べるというのが、ベストかしら」
 

 「もともと、その場で食べるという前提で生まれ育ってきた、郷土食です。
 お土産用なども、焼く前のまんじゅうとは別に、パッケージした味噌タレを添えて、
 自宅で焼く事を前提とした形で、販売している例などもあります。
 寒くなる頃が食べごろで、冷たい木枯らしが吹く中でも体を温めくれるので
 それで、珍重をされてきました」


 「そうよね。数年前に行った伊勢崎市で、1月11日の初市の日に、
 焼きまんじゅう祭りを開催していました。
 長さが10数メートルもあるジャンボ焼きまんじゅうを、焼き上げていました。
 伊勢崎市では、お正月の定番と言える風物詩だそうです」



 「起源は幕末(19世紀中期)と言われています。
 前橋発祥説が有力とされていますが、他にも伊勢崎市や沼田市等の店舗などが
 われこそが、真の元祖と名乗っています。
 それぞれが独立した起源であるとする見方もあります。
 そもそも焼きまんじゅうとは、酒を家庭で造っていたころの副産物です。
 商売のために誰かが発明したという類のものでは、なさそうです。
 前橋市の老舗焼きまんじゅう店の当主でもある、原嶋熊蔵はその著書で、
 自身の2代前にあたる勢多郡飯土井村(現・前橋市飯土井町)出身の原嶋類蔵が、
 1857年に、前橋で売り出したものが創始である、と記しています。
 沼田市の東見屋饅頭店の創業は、1825年(文政8)ということなので
 商売としての創業は、どうやら東見屋饅頭店の方が古いようです」



 「元祖騒ぎというのは、どこにでもある定番の騒動です。
 伊香保温泉や草津の温泉へ行くと、元祖の温泉まんじゅう店が街中で乱立をしています。
 どれが本当なのか試食をしながら、お腹がいっぱいになるまで、
 冷やかして歩いたことがありました。
 『元祖』という言葉は一種のブランドだもの、こだわる気持ちも良くわかります。
 テレビなどでも『元祖』という看板を出しているお店が、よく取り上げられます。
 ブランドには、ことさら敏感な日本人だからこそ『元祖』というネームブランドに
 より一層ひかれるものがあると思います。
 日本人て、意外なほどブランドが好きだという統計があるそうです」


 「千尋さんは、ブランド志向ですか?」


 「絹の国と呼ばれ、生糸(いと)の街と呼ばれた前橋市のブランドには興味があります。
 群馬という風土が、長年にわたって生糸の歴史を刻んできました。
 柔らかい手触りの生糸や、光沢の良い生糸、美しい絹の生地にはなぜか心が震えます。
 でも、ブランドのバックや靴、ブランド物の洋服などには、ほとんど興味はありません。
 あら。・・・・やっぱり詰まらない女ですねぇ。私って」


 
 「日本人の全部が、ブランドに熱狂するわけではありません。
 群馬は小麦が大量に採れたため、『粉もの』と呼ばれる食文化が発達をしてきました。
 特に南部では、古くから二毛作による小麦の生産が盛んです。
 『おっ切り込み』や『煮ぼうとう』といった麺類や、まんじゅう類などの
 小麦粉食品が好まれてきたという、時代的な背景もあります。
 埼玉県の秩父市や長瀞町、栃木県の足利市にまで分布していて、
 繭や、絹織物の生産地などともほぼ一致をすることから、繊維関係の
 商工業者間の交流などによって、近隣の地域にも広まっていったと見られています。
 どうやら焼きまんじゅうには、生糸と密接で深い関係がありそうです」


 「うふふ。食いしん坊の千尋さんとも、切り離せない関係が生まれそうです。
 言いたい放題の、あつかましいお願いまでお聞き届けていただきありがとうございます。
 美味しい旬の夏野菜は、どれをいただいてもすべて最高でした。
 それでは、3日後を楽しみに街中を散策しながら、お腹を減らすために、
 駅まで歩きたいと思います。ごきげんよう、康平さん。」



 大きなつばの麦わら帽子を胸に抱きしめ、千尋がカウンターから立ち上がります。
『こちらこそ、楽しみです』と、康平がお土産用に準備した、野菜のパックを手渡します。



 「すぐ食べられるように、軽く下ごしらえをしておきました。
 乾かないように濡れた新聞紙でくるみ冷蔵庫へ入れておけば、2日くらいなら大丈夫です。
 3日後には再会が出来ますので、また新しいものを用意しましょう。
 今日はわざわざ、遠くまでありがとうございました」


 「こちらこそ、美味しい料理をありがとうございました」



 くるりと背を向けた千尋が、戸口でもう一度立ち止まり微笑みを見せます。
大きな麦わら帽子をかぶり、呑竜マーケットの路地へ出た千尋は、アーケードのある
天神商店街へ向かって、颯爽と歩き始めます。
アーケードの通りからは、角を曲がったばかりの貞園がふらりと姿を見せます。
麦わら帽子で顔の半分が隠れたままの女性が、いましがた康平の店から
出てきたような気配が、なんとなくですが路地道には漂っています。


 『康平の所へこんな早くから女性のお客かしら、まさかねぇ・・・・』



 と貞園も、曲がったばかりの角で立ち止まってしまいます。
何も気づかないでいる麦わら帽子の女性は、薄紅色の口元へほのかな微笑みを浮かべ
貞園に軽く頭を下げ、会釈をして通り過ぎます。
道を譲ったような形で立ち止まっている貞園が、立ち去っていく女性の背中を見送ります。


 『顔は見えなかったけど、直感で、良い女の匂いはプンプンとしていた。
 でもどこの何者だろう。このあたりでは見かけない、まったく別世界の雰囲気の持ち主ね』



 貞園は立ち止まったまま、颯爽と歩み去っていく女性の後ろ姿を
いつまでも追い続けています。
やがて女性は前橋駅の方向へ向かって、天神通りのアーケードを左へ曲がります。


『只者じゃないことだけは、確かなようですね・・・』

貞園が両手を腰へ当てたまま、女性が消えていったアーケードの空間を、
いつまでも、じいっと見つめています。





・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
 http://saradakann.xsrv.jp/