からっ風と、繭の郷の子守唄(72)
「天神通りのアーケードの下、気になる出会いの千尋と庭園」
上機嫌の貞園が、お昼を過ぎたばかりの天神通りのアーケードを歩いています。
いつになく上機嫌なのには、ちょっとした理由が潜んでいます。
空調設備会社の社長で遊び人としても名を馳せている林光太郎氏の離婚話が、
ようやくその最終段階へ入ったからです。
貞園が愛人生活に入ってすでに10年。結婚を露骨に夢見ていた訳ではないものの、
やはり心のどこかで、淡い期待などを抱いています。
一層の険悪化を生じてきた光太郎氏の夫婦仲は、やがて決定的な破局と呼べる段階を迎え、
お互い合意の上での別居も始まり、そうした経過のまま、すでに丸1年が経ちました。
弁護士同士の話し合いも、ようやく最終の局面を迎えています。
離婚はすでに確定的なものとなり、誰が見ても秒読み段階へ突入をしたとさえ思われています。
油断は禁物と心に自重をしながらも、何故か笑顔が多くなってきた最近の貞園です。
光太郎氏との早めのランチを終えた貞園が、久しぶりの電話で美和子から呼び出されました。
約束のコーヒーショップへ向かう途中ですが、早すぎる時間を調節するために、
鼻歌交じりの貞園が、ウインドウショッピングなどを始めています。
7月半ばを迎えた商店街は、夏休み商戦の真っ只中へ突入をしています。
原色の水着やリゾート用のジュニアの洋服などが通りの前面に出て、賑やかに店頭を飾ります。
貞園のお気に入りのショップでも、いつのまにか夏休み用品の大安売りがはじまっています。
群馬から栃木県を経て茨城県まで続く北関東高速道路が開通をしたために、海までの時間が大幅に
短縮をされたことで、今年は茨城県への海水浴がちょっとしたブームの兆しなどを見せています。
(わたしの欲しいモノが、海水浴のブームに負けて全てお店の奥へ撤退しているわ・・・)
ショップの奥へ移動しようとした時、見覚えのある麦わら帽子が貞園の視線の中を、
なにげへなく、ふっとした雰囲気のまま横切っていきます。
(あら。・・・・見覚えのある、あの大きなつばの麦わら帽子です。
先日は目深に被っていたため、顔が半分くらいしか見えなかったけれど今日は胸に抱えている。
短い髪ですねぇ。たしか・・・ベリーショートと言う髪型だ。
ふぅん。ちよっと小洒落た雰囲気の持ち主です。色気はないけれど成熟感は漂っています。
ということはもう小娘の年齢ではなく、似たような年頃か、もう少し上の歳だわね。
たまたま今日で2回目の遭遇だけど、なんとなく気になる女です・・・・
いったいどこの、何者だろう?)
後ろ姿を追うようにして、貞園がショップの店頭へ出ます。
小柄な体型によく似合っているブルーのワンピース姿が、特別に急ぐ様子なども見せず、
光沢の良い布袋を下げて、アーケード通りを北の出口へ向かって遠ざかります。
(洒落た布袋です。和風の『巾着』と言うのかしら。生地の光沢がまるでシルクのような輝いている。
へぇぇ。洋服に和風もアイテムを合わせているんだ、まさに和洋折衷の見本です・・・・
なんとなくサマになってるから、なんとも不思議な組み合わせです。)
興味を惹かれた貞園が、麦わら帽子のあとをつけようと歩きはじめます。
その時、バッグの中の携帯が、軽やかなメロディで着信を告げはじめました。(誰だろう。今頃)
人ごみの中で見え隠れを繰り返す女の背中姿を目で追いながら、貞園が携帯を取り出します。
液晶画面に表示されたのは、美和子からの携帯番号です。
『もしもし、貞ちゃん。
予定よりも早く着いたの。今、天神通りの北からアーケードを歩き始めたところです。
貞ちゃんは、どこなの? いま』
『あたしも早めについて、いま、アーケードの真ん中で立ち往生中。
ある人物を追跡中なのよ。悪いわね、すぐまた後でかけ直します。とっても急ぐのよ』
『もしもし。貞ちゃん。探偵社じゃあるまいし、なにやってんのよ真っ昼間から』
『とにかく事は至急を要するの。いい女が見えなくなっちゃうわ。』
あわてて携帯を切り、もう一度前方を貞園が確認します。
その目には、呑竜マーケットの角をいままさに曲がろうとしている麦わら帽子の
女性の背中姿が飛び込んできました。
(呑竜マーケットの角を曲がる? 昼間から何の用事で飲み屋横丁へ入っていくんだろう・・・・)
小走りになった貞園が、軽やかに呑竜マーケットの入口まで走り寄ります。
呑竜マーケットの路地道で、この時間帯に営業をしている店舗は一軒としてありません。
80mにも満たない通り抜けの形を持った、この飲んべいのための横丁の小道は、
まったく静かな気配を保ったまま、人っ子ひとり見えずにひっそりと静まり返っています。
(あらまぁ。女性の姿が消えちゃった。おかしいわね・・・たしかにここを曲がったはずなのに)
狐につままれたかのように、呆然とした貞園が呑竜マーケットの入口で立ちすくみます。
「なにしているの。まっ昼間から。
意味がわかりません。いい女を追跡中だなんて、いったい全体何がどうしたの」
携帯を片手に、怪訝な顔で美和子がアーケード通りの北から現れました。
「大きなつばの麦わら帽子を胸に持って、和風の巾着を手にしたブルーのワンピース女が
美和ちゃんが歩いてきた方向へ行かなかった?」
「ずいぶんはっきりとした特徴の持ち主ですね。いくつぐらいの女かしら?」
「歳は、あたしと同じか、少し上だと思う。
ベリーショートの髪型だけど、後ろから見たので顔はよく見えなかった」
「顔も見えないのに、なんでいい女と判明するの」
「なんとなく雰囲気が良いし、この間もたまたま見かけたばかりだから気になるの。
先日も呑竜マーケットの路地から出てきたし、今日もまたこの路地の中へ入っていったのよ。
見失う距離じやないと思ったのに追いついたと思ったら、また、いつのまにか消えちゃった。
変よねぇ。でもね、なんだかとっても気になる女なの」
「ふぅ~ん。不思議なこともあるものです。
そうすると呑竜マーケットの新しいママさんか、お店の従業員さんじゃないかしら。
このあたりでよく見かけて、行き会うということなら」
「水商売をするようには、とても見えません。
美和ちゃんやあたしたちの雰囲気ともまったく別物で、清楚な感じがしているし、
女として見ても、無視ができないような良い雰囲気が漂っているだもの。
やっぱり、なんだかとても気になるのよ」
「悪かったわね、私が清楚でなくて。
愛人と人妻というふたりなら、そう言う意味では、誰が見ても汚れた女です。
貞ちゃんと同じくらいで、30歳近くになるというのに、そういう汚れた雰囲気を
まったく持ち合わせいない清楚な雰囲気のある女、と言う意味になるのか。
ふぅん。思いがけない突然というべき、清純派女優の登場ですね。
たしかに私たちから見れば、別の魅力を持った強敵ということになりそうです、その女は。
でも、まったくの赤の他人でしょ。気にしてもしかたないじゃないの」
「でもねぇなんて言うか。妙に怪しい胸騒ぎがするの。
わたしたちの間に、割り込んで来なければいいなと思うような、そんな、何かが」
「康平に、恋人でも出来たような口ぶりですね」
「まさかぁ、康平に限ってそれは、ありえない話でしょう。
ただ私が気になるだけの話です。
まぁいいか。ただの危惧かもしれないし、今のところ我々には何の関係もないもの。
こんな処で立ち話をしていても仕方ありません。で、なんなの美和ちゃんのお話って。
わざわざ呼び出されるなんて、康平のお店以外では初めてだもの。
ゆっくりしましょうよ。いつものコーヒーショップで」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「天神通りのアーケードの下、気になる出会いの千尋と庭園」
上機嫌の貞園が、お昼を過ぎたばかりの天神通りのアーケードを歩いています。
いつになく上機嫌なのには、ちょっとした理由が潜んでいます。
空調設備会社の社長で遊び人としても名を馳せている林光太郎氏の離婚話が、
ようやくその最終段階へ入ったからです。
貞園が愛人生活に入ってすでに10年。結婚を露骨に夢見ていた訳ではないものの、
やはり心のどこかで、淡い期待などを抱いています。
一層の険悪化を生じてきた光太郎氏の夫婦仲は、やがて決定的な破局と呼べる段階を迎え、
お互い合意の上での別居も始まり、そうした経過のまま、すでに丸1年が経ちました。
弁護士同士の話し合いも、ようやく最終の局面を迎えています。
離婚はすでに確定的なものとなり、誰が見ても秒読み段階へ突入をしたとさえ思われています。
油断は禁物と心に自重をしながらも、何故か笑顔が多くなってきた最近の貞園です。
光太郎氏との早めのランチを終えた貞園が、久しぶりの電話で美和子から呼び出されました。
約束のコーヒーショップへ向かう途中ですが、早すぎる時間を調節するために、
鼻歌交じりの貞園が、ウインドウショッピングなどを始めています。
7月半ばを迎えた商店街は、夏休み商戦の真っ只中へ突入をしています。
原色の水着やリゾート用のジュニアの洋服などが通りの前面に出て、賑やかに店頭を飾ります。
貞園のお気に入りのショップでも、いつのまにか夏休み用品の大安売りがはじまっています。
群馬から栃木県を経て茨城県まで続く北関東高速道路が開通をしたために、海までの時間が大幅に
短縮をされたことで、今年は茨城県への海水浴がちょっとしたブームの兆しなどを見せています。
(わたしの欲しいモノが、海水浴のブームに負けて全てお店の奥へ撤退しているわ・・・)
ショップの奥へ移動しようとした時、見覚えのある麦わら帽子が貞園の視線の中を、
なにげへなく、ふっとした雰囲気のまま横切っていきます。
(あら。・・・・見覚えのある、あの大きなつばの麦わら帽子です。
先日は目深に被っていたため、顔が半分くらいしか見えなかったけれど今日は胸に抱えている。
短い髪ですねぇ。たしか・・・ベリーショートと言う髪型だ。
ふぅん。ちよっと小洒落た雰囲気の持ち主です。色気はないけれど成熟感は漂っています。
ということはもう小娘の年齢ではなく、似たような年頃か、もう少し上の歳だわね。
たまたま今日で2回目の遭遇だけど、なんとなく気になる女です・・・・
いったいどこの、何者だろう?)
後ろ姿を追うようにして、貞園がショップの店頭へ出ます。
小柄な体型によく似合っているブルーのワンピース姿が、特別に急ぐ様子なども見せず、
光沢の良い布袋を下げて、アーケード通りを北の出口へ向かって遠ざかります。
(洒落た布袋です。和風の『巾着』と言うのかしら。生地の光沢がまるでシルクのような輝いている。
へぇぇ。洋服に和風もアイテムを合わせているんだ、まさに和洋折衷の見本です・・・・
なんとなくサマになってるから、なんとも不思議な組み合わせです。)
興味を惹かれた貞園が、麦わら帽子のあとをつけようと歩きはじめます。
その時、バッグの中の携帯が、軽やかなメロディで着信を告げはじめました。(誰だろう。今頃)
人ごみの中で見え隠れを繰り返す女の背中姿を目で追いながら、貞園が携帯を取り出します。
液晶画面に表示されたのは、美和子からの携帯番号です。
『もしもし、貞ちゃん。
予定よりも早く着いたの。今、天神通りの北からアーケードを歩き始めたところです。
貞ちゃんは、どこなの? いま』
『あたしも早めについて、いま、アーケードの真ん中で立ち往生中。
ある人物を追跡中なのよ。悪いわね、すぐまた後でかけ直します。とっても急ぐのよ』
『もしもし。貞ちゃん。探偵社じゃあるまいし、なにやってんのよ真っ昼間から』
『とにかく事は至急を要するの。いい女が見えなくなっちゃうわ。』
あわてて携帯を切り、もう一度前方を貞園が確認します。
その目には、呑竜マーケットの角をいままさに曲がろうとしている麦わら帽子の
女性の背中姿が飛び込んできました。
(呑竜マーケットの角を曲がる? 昼間から何の用事で飲み屋横丁へ入っていくんだろう・・・・)
小走りになった貞園が、軽やかに呑竜マーケットの入口まで走り寄ります。
呑竜マーケットの路地道で、この時間帯に営業をしている店舗は一軒としてありません。
80mにも満たない通り抜けの形を持った、この飲んべいのための横丁の小道は、
まったく静かな気配を保ったまま、人っ子ひとり見えずにひっそりと静まり返っています。
(あらまぁ。女性の姿が消えちゃった。おかしいわね・・・たしかにここを曲がったはずなのに)
狐につままれたかのように、呆然とした貞園が呑竜マーケットの入口で立ちすくみます。
「なにしているの。まっ昼間から。
意味がわかりません。いい女を追跡中だなんて、いったい全体何がどうしたの」
携帯を片手に、怪訝な顔で美和子がアーケード通りの北から現れました。
「大きなつばの麦わら帽子を胸に持って、和風の巾着を手にしたブルーのワンピース女が
美和ちゃんが歩いてきた方向へ行かなかった?」
「ずいぶんはっきりとした特徴の持ち主ですね。いくつぐらいの女かしら?」
「歳は、あたしと同じか、少し上だと思う。
ベリーショートの髪型だけど、後ろから見たので顔はよく見えなかった」
「顔も見えないのに、なんでいい女と判明するの」
「なんとなく雰囲気が良いし、この間もたまたま見かけたばかりだから気になるの。
先日も呑竜マーケットの路地から出てきたし、今日もまたこの路地の中へ入っていったのよ。
見失う距離じやないと思ったのに追いついたと思ったら、また、いつのまにか消えちゃった。
変よねぇ。でもね、なんだかとっても気になる女なの」
「ふぅ~ん。不思議なこともあるものです。
そうすると呑竜マーケットの新しいママさんか、お店の従業員さんじゃないかしら。
このあたりでよく見かけて、行き会うということなら」
「水商売をするようには、とても見えません。
美和ちゃんやあたしたちの雰囲気ともまったく別物で、清楚な感じがしているし、
女として見ても、無視ができないような良い雰囲気が漂っているだもの。
やっぱり、なんだかとても気になるのよ」
「悪かったわね、私が清楚でなくて。
愛人と人妻というふたりなら、そう言う意味では、誰が見ても汚れた女です。
貞ちゃんと同じくらいで、30歳近くになるというのに、そういう汚れた雰囲気を
まったく持ち合わせいない清楚な雰囲気のある女、と言う意味になるのか。
ふぅん。思いがけない突然というべき、清純派女優の登場ですね。
たしかに私たちから見れば、別の魅力を持った強敵ということになりそうです、その女は。
でも、まったくの赤の他人でしょ。気にしてもしかたないじゃないの」
「でもねぇなんて言うか。妙に怪しい胸騒ぎがするの。
わたしたちの間に、割り込んで来なければいいなと思うような、そんな、何かが」
「康平に、恋人でも出来たような口ぶりですね」
「まさかぁ、康平に限ってそれは、ありえない話でしょう。
ただ私が気になるだけの話です。
まぁいいか。ただの危惧かもしれないし、今のところ我々には何の関係もないもの。
こんな処で立ち話をしていても仕方ありません。で、なんなの美和ちゃんのお話って。
わざわざ呼び出されるなんて、康平のお店以外では初めてだもの。
ゆっくりしましょうよ。いつものコーヒーショップで」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/