からっ風と、繭の郷の子守唄(53)
「まるで押しかけ女房みたいです、と語る人は、実は根っからの食いしん坊」
「あら。ごめんなさい。まるで押しかけた女房みたいです。わたしったら。
ペラペラとおしゃべりばかりをし過ぎです。
なんでかしら。勝手にテンションがあがっりっぱなしです・・・・
今日に限って、私ったら」
いつもと違う自分の様子にやっと気づいた千尋が、短い髪を激しく振った後、
カウンターの上に重ねてある手の上へ、真っ赤な顔をあわてて伏せてしまいます。
かたわらへ置いていたつばの広い麦わら帽子を手探りで引き寄せると、それを頭から
すっぽりと乗せてしまいます。
いつまでも小刻みに震えている千尋の両肩の様子は、いまごろになってからこみあげてきた
気恥ずかしさと、懸命に格闘をしている自分自身をものの見事に物語っています。
五六が用意をしてくれた野菜たちの中に、山菜の王者と呼ばれている「こしあぶら」と
「たらの芽」のそれぞれ極上品が、濡れた新聞紙に丁寧に包まれていました。
「たらの芽」は、ウコギ科の「たらの木」の新芽です。
たらの木は、マッチの軸などに使われる柔らかい木です。
山野に自生をして、4~5メートル前後の高さまで成長を遂げます。
地中を走る根から、どんどん繁殖をするのが大きな特徴で、春になると茎の先端に
ふっくらとした新芽が出ます。これのみを採取して食用とします。
各茎で新芽を1回採ってもすぐにその横からは、第2の新芽が出てきますが、
その第2の新芽まで採ってしまうと、その枝のすべてが枯れてしまうと言われています。
山里では1番芽のみを常に食用とします。それ以降に出てくるこうした2番芽や
3番芽は一切採らず、たらの木の成長のために山野へ残しておきます。
これもまた、山菜採りたちの長年にわたる暗黙のルールです。
「こしあぶら」の木は冷涼な場所を好み、必然的に自生地が限定されることや、
20メートルほどの高木になることから、たらの新芽などとはちがい採取は困難とされています。
木は柔らかいために、一刀彫や郷土玩具の材料などによく使われます。
こしあぶらの木は、低地の里山から高山の林地まで自生をしており、採取の時期はきわめて長く、
奥山においては、7月の中頃まで採取をすることが可能です。
里山で山菜が終了しても、高山のこしあぶらは山の雪どけ時までが採取の時期です。
こしあぶらの若芽は、花が開く「つぼみ葉」という姿から始まり少しづつ葉をひろげていきます。
書道で使う筆の大きさになった状態を「筆葉」と呼び、これが旬の最上品と呼ばれています。
葉はさらに大きく育ち、幼少の葉からは想像もできない鳥の足のような「大葉柄」へ変化をします。
この大きさにまで成長してしまうと、もう、このこしあぶらの木を山野の中に
見つけることは、山菜採りの名人でも困難になると言われています。
「こしあぶら」と「たらの芽」を、丁寧に水洗いをしたあと、それぞれの根元にかすかに残る
木の皮状の部分を、康平が包丁を使い表皮の部分だけを、綺麗に取り除いていきます。
康平の作る天ぷらの衣は、薄力粉へ10%に相当をする片栗粉を混ぜ、小さじ一杯分の
塩を入れたあと、卵1個を割り入れて、手早く冷水でかき混ぜていきます。
攪拌し過ぎると粘り気が出てしまうため、粉が3分の1ほど残った状態で攪拌は終わりです。
最後に製氷機で作られた氷の塊を2個投入をして、衣の準備は終わりです。
天ぷらの揚げ油は、天ぷらの香りを決定付ける重要な要素です。
ごま油や綿実油を、独自に配合している天ぷら店などが多く、椿油やオリーブオイルなどの
植物油を用いている場合なども多々あります。
一般的には、ごま油を多目に使用して、衣にこんがりと色が付くように揚げます。
関西ではサラダ油などを多めに使用して、白っぽい衣の天ぷらとなる場合が多いようです。
江戸時代に、ごま油が高価であった頃には、天ぷらは庶民の口に入りませんでしたが、
安価な菜種(なたね)油の使用により天ぷらの普及に、加速度がついたという
逸話が残されています。
チュン、という油のはぜる音と、香ばしい香りにつられて千尋が顔をあげました。
康平が千尋のために用意をした天ぷらの食材は、下ごしらえの済んだ、たらの芽とこしあぶら。
つるの部分を丁寧に取り除いた、キヌサヤエンドウと、さやえんどう。
さらに冷蔵庫から取り出してきたのは、初夏に旬を迎える、すこし細身の夏ごぼう。
手早く衣とかき混ぜてから、高温に熱した油の中へ躊躇なく食材を投入します。
「なにか嫌いなものや、不得手なものはありますか?」
食材と、康平の手元を興味深そうに覗き込んでいる千尋の視線に気づいた康平が、
天ぷら鍋から振り返りもせず、背中越しに声をかけます。
「嫌いなものは、ありません。
お料理は下手ですが、食べることだけは大好きで、実は、
大がつくほどの、食いしん坊です。
五六さんのお話では、山菜の『こしあぶら』が絶品とうかがいました。
特に天ぷらにすると、香りと天然のホロ苦みが楽しめる、大人の味だと大絶賛です。
それを食べられるのを、とても楽しみにしていました、私。
それにしても。とても鮮やかな手さばきです。惚れ惚れといたします」
「食材が良いと、料理も自然に引き立ちます。
はねた油で火傷をしたくないために、単に手早く片付けているだけのことです。
惚れ惚れと見つめているのは、どうやら、揚げたての天ぷらのようです。
どうです。ひとつ。
途中でのつまみ食いというやつが、調理中のとっておきの醍醐味です。
ただし、揚げたてで熱いですから、口の中を火傷をしないよう充分に気をつけて」
小皿へひとつ、揚げたてのこしあぶらを菜箸のまま差し出します。
薄黄金の天ぷら衣のあいだからは、こしあぶらの新緑が見事な色を保ってのぞいています。
「作法に反していますが、つまみ食いの美味しさは、実はその食べ方にもあります。
少しだけ醤油を垂らしたら、箸は使わずに、3本の指でつまんで食べてください。
たぶん、やみつきになりそうなほど格別です」
突発の事態に驚ろきっぱなしの千尋が、それでも誘惑にかられて恐る恐る手を伸ばします。
いわれた通り醤油を数滴垂らした後、3本の指でつまみ上げ、口元へ運びます。
康平の目をほんの数秒間見つめたあと、ついに意を決して、口の中へ放り込んでしまいます。
『ほんと。美味しい・・・格別です』と、目を細めて千尋が笑います。
もったいないからと、3本の指先にかすかに残った油まで、思わずぺろりと舐めてしまいます。
「どうですか。自分の指まで美味しいでしょう。そいつがつまみ食いの醍醐味です。
美味しいものを見ると誰でも時と所を選ばずに、ちょっとだけ食べてみたくなります。
無性に、それが食べたくて我慢できなくなります。
そいつが、本能的な衝動から生まれてくる、つまみ食いと盗み食いという行為です。
食は、すこぶる健全な、人間の本能のひとつです。
少々行儀が悪くても、とりあえず欲望を満たしたい時は、誰にでもあります。
どうですか。もうひとつ」
「ひとつと言わず、いくつでもつまんでみたい気分になりました!。
あらぁ、いやだ。いつのまにか、すっかりと、
本来の食いしん坊へ変身をしています。私ったら!」
五六の突然の仲介で始まった初対面同士の『お見合い』は、どうやら無事に、
かつ楽しそうな雰囲気の中で、順調にスタートを切ったような気配です。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「まるで押しかけ女房みたいです、と語る人は、実は根っからの食いしん坊」
「あら。ごめんなさい。まるで押しかけた女房みたいです。わたしったら。
ペラペラとおしゃべりばかりをし過ぎです。
なんでかしら。勝手にテンションがあがっりっぱなしです・・・・
今日に限って、私ったら」
いつもと違う自分の様子にやっと気づいた千尋が、短い髪を激しく振った後、
カウンターの上に重ねてある手の上へ、真っ赤な顔をあわてて伏せてしまいます。
かたわらへ置いていたつばの広い麦わら帽子を手探りで引き寄せると、それを頭から
すっぽりと乗せてしまいます。
いつまでも小刻みに震えている千尋の両肩の様子は、いまごろになってからこみあげてきた
気恥ずかしさと、懸命に格闘をしている自分自身をものの見事に物語っています。
五六が用意をしてくれた野菜たちの中に、山菜の王者と呼ばれている「こしあぶら」と
「たらの芽」のそれぞれ極上品が、濡れた新聞紙に丁寧に包まれていました。
「たらの芽」は、ウコギ科の「たらの木」の新芽です。
たらの木は、マッチの軸などに使われる柔らかい木です。
山野に自生をして、4~5メートル前後の高さまで成長を遂げます。
地中を走る根から、どんどん繁殖をするのが大きな特徴で、春になると茎の先端に
ふっくらとした新芽が出ます。これのみを採取して食用とします。
各茎で新芽を1回採ってもすぐにその横からは、第2の新芽が出てきますが、
その第2の新芽まで採ってしまうと、その枝のすべてが枯れてしまうと言われています。
山里では1番芽のみを常に食用とします。それ以降に出てくるこうした2番芽や
3番芽は一切採らず、たらの木の成長のために山野へ残しておきます。
これもまた、山菜採りたちの長年にわたる暗黙のルールです。
「こしあぶら」の木は冷涼な場所を好み、必然的に自生地が限定されることや、
20メートルほどの高木になることから、たらの新芽などとはちがい採取は困難とされています。
木は柔らかいために、一刀彫や郷土玩具の材料などによく使われます。
こしあぶらの木は、低地の里山から高山の林地まで自生をしており、採取の時期はきわめて長く、
奥山においては、7月の中頃まで採取をすることが可能です。
里山で山菜が終了しても、高山のこしあぶらは山の雪どけ時までが採取の時期です。
こしあぶらの若芽は、花が開く「つぼみ葉」という姿から始まり少しづつ葉をひろげていきます。
書道で使う筆の大きさになった状態を「筆葉」と呼び、これが旬の最上品と呼ばれています。
葉はさらに大きく育ち、幼少の葉からは想像もできない鳥の足のような「大葉柄」へ変化をします。
この大きさにまで成長してしまうと、もう、このこしあぶらの木を山野の中に
見つけることは、山菜採りの名人でも困難になると言われています。
「こしあぶら」と「たらの芽」を、丁寧に水洗いをしたあと、それぞれの根元にかすかに残る
木の皮状の部分を、康平が包丁を使い表皮の部分だけを、綺麗に取り除いていきます。
康平の作る天ぷらの衣は、薄力粉へ10%に相当をする片栗粉を混ぜ、小さじ一杯分の
塩を入れたあと、卵1個を割り入れて、手早く冷水でかき混ぜていきます。
攪拌し過ぎると粘り気が出てしまうため、粉が3分の1ほど残った状態で攪拌は終わりです。
最後に製氷機で作られた氷の塊を2個投入をして、衣の準備は終わりです。
天ぷらの揚げ油は、天ぷらの香りを決定付ける重要な要素です。
ごま油や綿実油を、独自に配合している天ぷら店などが多く、椿油やオリーブオイルなどの
植物油を用いている場合なども多々あります。
一般的には、ごま油を多目に使用して、衣にこんがりと色が付くように揚げます。
関西ではサラダ油などを多めに使用して、白っぽい衣の天ぷらとなる場合が多いようです。
江戸時代に、ごま油が高価であった頃には、天ぷらは庶民の口に入りませんでしたが、
安価な菜種(なたね)油の使用により天ぷらの普及に、加速度がついたという
逸話が残されています。
チュン、という油のはぜる音と、香ばしい香りにつられて千尋が顔をあげました。
康平が千尋のために用意をした天ぷらの食材は、下ごしらえの済んだ、たらの芽とこしあぶら。
つるの部分を丁寧に取り除いた、キヌサヤエンドウと、さやえんどう。
さらに冷蔵庫から取り出してきたのは、初夏に旬を迎える、すこし細身の夏ごぼう。
手早く衣とかき混ぜてから、高温に熱した油の中へ躊躇なく食材を投入します。
「なにか嫌いなものや、不得手なものはありますか?」
食材と、康平の手元を興味深そうに覗き込んでいる千尋の視線に気づいた康平が、
天ぷら鍋から振り返りもせず、背中越しに声をかけます。
「嫌いなものは、ありません。
お料理は下手ですが、食べることだけは大好きで、実は、
大がつくほどの、食いしん坊です。
五六さんのお話では、山菜の『こしあぶら』が絶品とうかがいました。
特に天ぷらにすると、香りと天然のホロ苦みが楽しめる、大人の味だと大絶賛です。
それを食べられるのを、とても楽しみにしていました、私。
それにしても。とても鮮やかな手さばきです。惚れ惚れといたします」
「食材が良いと、料理も自然に引き立ちます。
はねた油で火傷をしたくないために、単に手早く片付けているだけのことです。
惚れ惚れと見つめているのは、どうやら、揚げたての天ぷらのようです。
どうです。ひとつ。
途中でのつまみ食いというやつが、調理中のとっておきの醍醐味です。
ただし、揚げたてで熱いですから、口の中を火傷をしないよう充分に気をつけて」
小皿へひとつ、揚げたてのこしあぶらを菜箸のまま差し出します。
薄黄金の天ぷら衣のあいだからは、こしあぶらの新緑が見事な色を保ってのぞいています。
「作法に反していますが、つまみ食いの美味しさは、実はその食べ方にもあります。
少しだけ醤油を垂らしたら、箸は使わずに、3本の指でつまんで食べてください。
たぶん、やみつきになりそうなほど格別です」
突発の事態に驚ろきっぱなしの千尋が、それでも誘惑にかられて恐る恐る手を伸ばします。
いわれた通り醤油を数滴垂らした後、3本の指でつまみ上げ、口元へ運びます。
康平の目をほんの数秒間見つめたあと、ついに意を決して、口の中へ放り込んでしまいます。
『ほんと。美味しい・・・格別です』と、目を細めて千尋が笑います。
もったいないからと、3本の指先にかすかに残った油まで、思わずぺろりと舐めてしまいます。
「どうですか。自分の指まで美味しいでしょう。そいつがつまみ食いの醍醐味です。
美味しいものを見ると誰でも時と所を選ばずに、ちょっとだけ食べてみたくなります。
無性に、それが食べたくて我慢できなくなります。
そいつが、本能的な衝動から生まれてくる、つまみ食いと盗み食いという行為です。
食は、すこぶる健全な、人間の本能のひとつです。
少々行儀が悪くても、とりあえず欲望を満たしたい時は、誰にでもあります。
どうですか。もうひとつ」
「ひとつと言わず、いくつでもつまんでみたい気分になりました!。
あらぁ、いやだ。いつのまにか、すっかりと、
本来の食いしん坊へ変身をしています。私ったら!」
五六の突然の仲介で始まった初対面同士の『お見合い』は、どうやら無事に、
かつ楽しそうな雰囲気の中で、順調にスタートを切ったような気配です。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/