からっ風と、繭の郷の子守唄(51)
「呑竜マーケットへ、『はい』という素敵な返事をする美女がやってきた」
通常、蚕の飼育は、桑の葉が採れる5月から9月頃までが最盛期です。
蚕は、卵から孵ると約25日間で繭をつくります。
その間に、眠ったように静止する眠(みん)と脱皮を4回くりかえして成長します。
糸を吐き、繭の中で蛹になった蚕は、約2週間で成蛾となって外へ出てきます。
成蛾が出てしまった繭は、練って紬糸にすることはできますが、
長繊維の生糸にすることはできません。
生糸をつくりだすためは、成蛾が出る前に生繰りをするか、繭から蛾が出てこないように
虫殺しの処理をします。熱風を使い乾燥させてしまうのが一般的なやり方です。
蚕は、飼育をされる時期によって呼び方が変わります
5月頃の春蚕(はるご)から始まり、夏蚕(なつご)、初秋蚕(しょしゅうさん)、
9月の晩秋蚕(ばんしゅうさん)と続きます。
場合によっては晩々秋(ばんばんしゅう)まで飼う農家もあります。
繭もまた同じように、春繭、夏繭、初秋繭、晩秋繭とそれぞれに呼ばれます。
梅雨時期を直前にした群馬は、真夏へと向かう気温の上昇がはじまります。
春蚕の生産が一段落すると、今度は田んぼ仕事が農家を待っています。
冬場に田んぼを利用して小麦を生産しているこの地方では、例年通り5月の末から
6月中旬にかけてが、農作業のピークになります。
水田では、完熟をした小麦の収穫と、苗代作りと田植えのための準備が並行をして進みます。
春から夏へと変わり始めるこの季節が、農家にとっては仕事が集中をする繁忙期となり、
蚕の世話と畑や田んぼの準備で、目も回るような忙しい毎日を迎えます。
五六の指揮のもと、無事に消毒作業を終えた一ノ瀬の大木は、
一週間もしないうちに、すっかり元の桑の大木としての威容を取り戻しました。
枝に残っていたアメヒトの巣もすべて力尽き、次から次へ音を立てて地上へ落下をします。
木の下で待ち構えていた母の千佳子により、これらはすべて一網打尽の運命となり
その日のうちに、ことごとく跡形もなく焼却をされてしまいます。
消防団をまきこんだこの大騒動は、10日も経たないうちにすっかり落着という結果を見せました。
誰もが、そうした騒動を忘れかけた頃、日暮れの迫った呑龍マーケットへ
一人の美女が、五六に案内をされて現れました。
入口のガラス戸を乱暴に開け放したのは、スーツ姿の五六です。
『ようっ』髪の毛をポマードで固めた五六は、上機嫌な笑いを見せたまま康平の目の眼で
これを見てくれと言わんばかりに、ぐうんと背広の胸をそらします。
「先日は世話になった。どうしたんだい、そのスーツ姿は。
ヤクザの出入りじゃあるまいし、お前さんが正装をすると、
堅気には見えなくなるから不思議だな。
なんでかなぁ・・・・遺伝子的に、遊び人と侠客の血が濃すぎるせいかな?
先祖はやっぱり、誰がどう見ても、伝説の博奕打ちの国定忠治だろう」
「ばかやろう。勢多郡の一帯は、大昔から大前田一家が仕切ってきた縄張りだ。
が、今日は正装をして、ヤクザの集会へ行くわけじゃねぇ。
これから、俺の愛する可愛い双子ちゃんの姉妹が、揃って2年ぶりのピアノ発表会だ。
あなたもちゃんとおめかしをして、後から来てね、
と言う奥さんの命令に素直に従ったまでの事だが、やっぱり変か?この格好は。
自分的には気に入っているんだがなぁ」
「冗談だ。
スーツはよく似合っているし、恰幅(かっぷく)もいい。
忙しいはずのお前さんが、寄り道をして道草とは珍しい。
わざわざ来るということは、俺に、何か特別の至急の用事かな」
「その通りだ、察しがいい。わざわざやって来たのには当然、理由がある。
偶然のことだが、一ノ瀬の木の下で、感動をしてむせび泣いている女を見つけた。
普段なら忙しいので通り過ぎてしまうところだが、気になって車を停めた。
やっぱり、お前さんの見合い相手の千尋さんだった。
ついでだから畑にも寄って、あるったけの野菜も収穫して千尋さんと一緒に運んできた。
というわけだから、野菜も置いていくが、千尋さんも置いていく。
そいつで、うまい野菜料理を千尋さんに食わせてくれ。
じゃあな、悪いなぁ。もう発表会が始まる時間だから、俺は行くぜ。
あ、ひとつだけ断っておくが、千尋さんはまったくの普段着のままだ。
俺が強引に、かつ無理矢理に拉致してきたために、顔のほうもすっぴんのままだ。
じゃあな。またあとで寄るから、とりあえずこれで帰るぜ」
『またな』と手を振りながら、五六があわてて康平の店を飛び出していきます。
入れ替わりに美女が入ってくるものと思い込んでいる康平は、入口へ視線をむけたまま、
下ごしらえの手を止め、次の瞬間を待ち構えています。
しかし、かすかに人の気配はあるものの、恥ずかしいのか躊躇っているのか、
いつまで待っても表の人影は、店の中へ入って来ようとしません。
『どうぞ』と康平が声をかけても、やはり人影は一向に動きません。
前掛けを外しそれを手の中で丸めながら、康平がカウンターを周り戸口へと向かいます。
店内の動きを察知した人影が、さらに緊張を見せて、ぎこちない行動をとりはじめます。
午後の日差しの中、大きなつばの麦わら帽子を目深にかぶった女性が、
足元へ野菜がたくさん入った大きなビニール袋を置いたまま、帽子のつばを下方向へ
両手で掴みながら、さらにひきおろそうと必死に苦戦をしています。
「はじめまして、康平です。あなたが噂の、千尋さん?」
「あ・・・・はいっ!」
透き通る声の、とても元気な返事が返ってきました。
身長は150センチの半ば。体重はたぶん、40キロ台の半ばくらい。
空色のあっさりとした短めのワンピースからは、すらりと伸びた綺麗な足がのぞいています。
足元へ置いてある大きな野菜の袋で隠されているために、履いている靴までは見えません。
麦わら帽子の幅の広いつばの下からは、はにかんだ顔が半分だけ見えます。
可愛いピンクの口元がチラチラ見えますが、頬をほんのりと染めたまま相変わらず、
必死になって麦わら帽子のつばを、白い手で押さえ込んでいます。
「なにか不具合でもありますか。 帽子に?」
「はい。あ、いいえ。帽子に不具合は一切ありません。
昨日カットをしたばかりの私の髪型に、少しばかり、不具合が有るだけです」
「それでしたら、帽子はそのままでお店へどうぞ」
康平が、千尋の足元へ置かれたままになっている野菜の袋へ手を伸ばします。
急に前傾をしてきた康平の動作に驚いたのか、千尋が1歩だけ後ろへ飛び下がってしまいます。
淡いピンク色のデティールの春っぽい靴が、康平の目に飛び込んできました。
「どうぞ。散らかっていますが。五六の野菜で、なにかおいしい料理を作ります」
「はい。ありがとうございます!」
と、元気でよく通る明るい声の返事が、康平の耳へ心地よく響いてきました。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「呑竜マーケットへ、『はい』という素敵な返事をする美女がやってきた」
通常、蚕の飼育は、桑の葉が採れる5月から9月頃までが最盛期です。
蚕は、卵から孵ると約25日間で繭をつくります。
その間に、眠ったように静止する眠(みん)と脱皮を4回くりかえして成長します。
糸を吐き、繭の中で蛹になった蚕は、約2週間で成蛾となって外へ出てきます。
成蛾が出てしまった繭は、練って紬糸にすることはできますが、
長繊維の生糸にすることはできません。
生糸をつくりだすためは、成蛾が出る前に生繰りをするか、繭から蛾が出てこないように
虫殺しの処理をします。熱風を使い乾燥させてしまうのが一般的なやり方です。
蚕は、飼育をされる時期によって呼び方が変わります
5月頃の春蚕(はるご)から始まり、夏蚕(なつご)、初秋蚕(しょしゅうさん)、
9月の晩秋蚕(ばんしゅうさん)と続きます。
場合によっては晩々秋(ばんばんしゅう)まで飼う農家もあります。
繭もまた同じように、春繭、夏繭、初秋繭、晩秋繭とそれぞれに呼ばれます。
梅雨時期を直前にした群馬は、真夏へと向かう気温の上昇がはじまります。
春蚕の生産が一段落すると、今度は田んぼ仕事が農家を待っています。
冬場に田んぼを利用して小麦を生産しているこの地方では、例年通り5月の末から
6月中旬にかけてが、農作業のピークになります。
水田では、完熟をした小麦の収穫と、苗代作りと田植えのための準備が並行をして進みます。
春から夏へと変わり始めるこの季節が、農家にとっては仕事が集中をする繁忙期となり、
蚕の世話と畑や田んぼの準備で、目も回るような忙しい毎日を迎えます。
五六の指揮のもと、無事に消毒作業を終えた一ノ瀬の大木は、
一週間もしないうちに、すっかり元の桑の大木としての威容を取り戻しました。
枝に残っていたアメヒトの巣もすべて力尽き、次から次へ音を立てて地上へ落下をします。
木の下で待ち構えていた母の千佳子により、これらはすべて一網打尽の運命となり
その日のうちに、ことごとく跡形もなく焼却をされてしまいます。
消防団をまきこんだこの大騒動は、10日も経たないうちにすっかり落着という結果を見せました。
誰もが、そうした騒動を忘れかけた頃、日暮れの迫った呑龍マーケットへ
一人の美女が、五六に案内をされて現れました。
入口のガラス戸を乱暴に開け放したのは、スーツ姿の五六です。
『ようっ』髪の毛をポマードで固めた五六は、上機嫌な笑いを見せたまま康平の目の眼で
これを見てくれと言わんばかりに、ぐうんと背広の胸をそらします。
「先日は世話になった。どうしたんだい、そのスーツ姿は。
ヤクザの出入りじゃあるまいし、お前さんが正装をすると、
堅気には見えなくなるから不思議だな。
なんでかなぁ・・・・遺伝子的に、遊び人と侠客の血が濃すぎるせいかな?
先祖はやっぱり、誰がどう見ても、伝説の博奕打ちの国定忠治だろう」
「ばかやろう。勢多郡の一帯は、大昔から大前田一家が仕切ってきた縄張りだ。
が、今日は正装をして、ヤクザの集会へ行くわけじゃねぇ。
これから、俺の愛する可愛い双子ちゃんの姉妹が、揃って2年ぶりのピアノ発表会だ。
あなたもちゃんとおめかしをして、後から来てね、
と言う奥さんの命令に素直に従ったまでの事だが、やっぱり変か?この格好は。
自分的には気に入っているんだがなぁ」
「冗談だ。
スーツはよく似合っているし、恰幅(かっぷく)もいい。
忙しいはずのお前さんが、寄り道をして道草とは珍しい。
わざわざ来るということは、俺に、何か特別の至急の用事かな」
「その通りだ、察しがいい。わざわざやって来たのには当然、理由がある。
偶然のことだが、一ノ瀬の木の下で、感動をしてむせび泣いている女を見つけた。
普段なら忙しいので通り過ぎてしまうところだが、気になって車を停めた。
やっぱり、お前さんの見合い相手の千尋さんだった。
ついでだから畑にも寄って、あるったけの野菜も収穫して千尋さんと一緒に運んできた。
というわけだから、野菜も置いていくが、千尋さんも置いていく。
そいつで、うまい野菜料理を千尋さんに食わせてくれ。
じゃあな、悪いなぁ。もう発表会が始まる時間だから、俺は行くぜ。
あ、ひとつだけ断っておくが、千尋さんはまったくの普段着のままだ。
俺が強引に、かつ無理矢理に拉致してきたために、顔のほうもすっぴんのままだ。
じゃあな。またあとで寄るから、とりあえずこれで帰るぜ」
『またな』と手を振りながら、五六があわてて康平の店を飛び出していきます。
入れ替わりに美女が入ってくるものと思い込んでいる康平は、入口へ視線をむけたまま、
下ごしらえの手を止め、次の瞬間を待ち構えています。
しかし、かすかに人の気配はあるものの、恥ずかしいのか躊躇っているのか、
いつまで待っても表の人影は、店の中へ入って来ようとしません。
『どうぞ』と康平が声をかけても、やはり人影は一向に動きません。
前掛けを外しそれを手の中で丸めながら、康平がカウンターを周り戸口へと向かいます。
店内の動きを察知した人影が、さらに緊張を見せて、ぎこちない行動をとりはじめます。
午後の日差しの中、大きなつばの麦わら帽子を目深にかぶった女性が、
足元へ野菜がたくさん入った大きなビニール袋を置いたまま、帽子のつばを下方向へ
両手で掴みながら、さらにひきおろそうと必死に苦戦をしています。
「はじめまして、康平です。あなたが噂の、千尋さん?」
「あ・・・・はいっ!」
透き通る声の、とても元気な返事が返ってきました。
身長は150センチの半ば。体重はたぶん、40キロ台の半ばくらい。
空色のあっさりとした短めのワンピースからは、すらりと伸びた綺麗な足がのぞいています。
足元へ置いてある大きな野菜の袋で隠されているために、履いている靴までは見えません。
麦わら帽子の幅の広いつばの下からは、はにかんだ顔が半分だけ見えます。
可愛いピンクの口元がチラチラ見えますが、頬をほんのりと染めたまま相変わらず、
必死になって麦わら帽子のつばを、白い手で押さえ込んでいます。
「なにか不具合でもありますか。 帽子に?」
「はい。あ、いいえ。帽子に不具合は一切ありません。
昨日カットをしたばかりの私の髪型に、少しばかり、不具合が有るだけです」
「それでしたら、帽子はそのままでお店へどうぞ」
康平が、千尋の足元へ置かれたままになっている野菜の袋へ手を伸ばします。
急に前傾をしてきた康平の動作に驚いたのか、千尋が1歩だけ後ろへ飛び下がってしまいます。
淡いピンク色のデティールの春っぽい靴が、康平の目に飛び込んできました。
「どうぞ。散らかっていますが。五六の野菜で、なにかおいしい料理を作ります」
「はい。ありがとうございます!」
と、元気でよく通る明るい声の返事が、康平の耳へ心地よく響いてきました。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/