落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(66) 

2013-08-25 10:57:26 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(66) 
「悠久の流れを見せる利根川と、対岸にある縁切り寺の満徳寺」



 観光ガイドの渋沢老人と別れを告げ、
田島邸まで戻ってきたふたりは、ぴたりと寄り添ったままスクーターへ乗り込みます。
ゆっくりと島村の集落を走り、利根川の堰堤上まで登ってきたのは午前11時の少し前です。
アンツーカーの色に舗装をされた自転車用の専用路面が、堤防上を川に沿ってどこまでも伸びています。


 「利根川を下り途中から江戸川を行けば、東京ディズニーリゾートまで約170km。
 直進をしていけば、太平洋へ出て行く銚子の河口部まで、ほぼ180km。
 ここは東日本でも有数の規模を誇る、サイクリング・ロードです」


 下流方向を指差しながら、康平が千尋へ説明します。
中流域のこのあたりになると、利根川の川幅はゆうに500メートルを越えはじめます。
川幅がさらに一層の広がりを見せていく下流の領域では、河川敷内に作られた
多くのゴルフ場が次々と現れてきます。


 「実に雄大で、悠久と言える壮大な流れですね。
 暴れ坂東と呼ばれているそうですが、ここへ住んでいる島村の人たちは、
 気性の荒いこの川と辛抱強く寄り添いながら、気候と風土を活かして
 長年にわたる養蚕業に取り組んできました。
 この広くて平坦で肥沃な大地と、この美しい風景の中から群馬を代表する蚕と繭が育まれ、
 絹が織りされてきたのかと思うと、なぜか全身が震えます。
 この空気。この大地。この風の匂い。悠々と流れていく果てしないこの川の流れが、
 私の五感の隅々までに心地の良い、刺激などを与えてくれます・・・・
 ここまで来て本当に良かった。私は一生、この風景と風の匂いは忘れません」


 「風の匂い?」

 「水があり、緑があり、黒い大地が広がるところには、必ず健康な風が吹きわたります。
 いいえ、私自身が何故かそういう匂いを風の中に感じます。
 今日の私の心の中にも、いつもの香りの、爽やかな風が心地よく吹きわたっています」


 なるほど・・・と、康平が目を細め、あらためて周囲を眺め回しています。
雄大な流れを見せる利根川は人が走るよりもはるかに早い速度で、かぎりない水の量を
ごうごうとした勢いのまま下流へ、ひたすら押し流していきます。
初夏の日差しを受けて艶やかに光る青いネギの畑は、風に揺れるうねりの連なりを、
どこまでも果てしなく見せてくれています。
所々に見える養蚕農家のやぐらの上では、今日も30度を越えようという太陽が、
青みがかった屋根瓦をジリジリと焼きながら、真南の天空へさしかかろうとしています。


 「さてと。君のお弁当を食べるにはまだ時間が少々早すぎるようだ。
 古墳時代と言われている4世紀から6世紀にかけて、時の大和朝廷が大船団を仕立てて
 この悠久の流れをさかのぼってきた、という可能性が最近になって発表をされた。
 その証拠のひとつとして、東日本最大の前方後円墳がこの近くにある。
 どうだい。足を伸ばして見学に行ってみないかい?」


 「あら、蚕種の歴史のあとには、古代史の探訪がはじまるの?。
 いいわねぇ。悠久の大地には、さらなる奥深い悠久の歴史が潜んでいるわけね。
 いいわ、行きましょう。その前方・・・・なんとかへ」


 「前方後円墳。
 もちろん君には、最高のとっておきのサプライズもついている。
 B級グルメで町おこしが盛んになっている今の時代、太田もその例外ではない。
 これから行く前方後円墳の街は、実はB級グルメ『焼きそば』の町だ。
 しかも立地的に見ると、そこは君があれほど食べたいと騒いでいた、
 『焼きまんじゅう』の伊勢崎市と、背中を接した地点になる」


 「どちらも一緒に食べられる可能性が有る。ということになるわけですね!」


 「察しが早い。さすが食いしん坊を自慢するだけのことはあります。
 どちらもB級グルメで場所が隣接していれば、同時にどちらも提供をしてくれる
 名物店は、いくらでも存在しています。
 古墳の散歩で腹を減らしてから、その名物店でお待ちかねの食事をしましょう。
 どうします。?後半戦は、そのような日程でもいいですか?」


 「申し分のないナイスな申し出です。
 B級グルメの競演なら、食いしん坊の私にはまたとないサプライズです。
 嬉しい限りです。もう、どこへとなりに着いてまいります。うふっ」


 康平が、堤防に沿いながら下流への道をはしります。
サイクリング・ロードよりは低い位置にあるものの、それでも遠景は充分なほどに望めます。
数軒の集落を点々と見せながら、平地にはどこまでも野菜の畑を広がっています。
背伸びをすれば、サイクリング・ロード越しに川の流れと、はるかな対岸の景色も望めます。
ゆるやかに走るスクータの後部座席では、康平の両肩へ手を置いたままの千尋が、
大地と川の流れの景色を左右交互に楽しんでいます。



 下流に見えていた赤い橋は、あっという間に近づいてきました。
本線へ戻った康平が、軽くアクセルを開けるとスクーターが突然の突進を見せます。
バランスを崩し後方へ置いていかれそうになった千尋が、あわてて康平の腰へ両手を回します。
「こらっ。暴走族!」。千尋が康平のヘルメットを叩く頃、すでにスクーターは
長い赤い橋の中間地点をはるかに超えていました。
速度を緩め、元通りの運転に戻ったスクーターは対岸上の土手を走り始めます。
堤防越しには、緑の芝が敷き詰められた県営の河川敷ゴルフ場が見えてきました。
やがて前方左側方向へ、大きな木々に取り囲まれた寺院の青い瓦屋根が、夏の日差しに
鈍い照り返しを見せているのが見えてきました。



 「あそこに見えてきたのは、縁切寺の満徳寺。
 江戸幕府をひらいた徳川家のゆかりの寺で、かつてこの一帯を収めていたのは
 新田一族の新田義季(よしすえ)だ。
 利根川の北部一帯を開墾して徳川と名づけたことが、徳川という姓の発祥になった。
 満徳寺は娘の浄念尼(じょうねんに)によって開かれた、尼寺だ。
 江戸時代の鎌倉の東慶寺とともに、世界で2つしか存在しなかった縁切寺のひとつだよ。
 有名な三くだり半(離縁状)も、展示されている。
 どうする? 見学でもしていくかい」


 「パス!。」


 「うん。きっと君はそう言うだろうと、俺も思っていた。
 付き合い始めた途端に、三行半では、洒落にもならないものがある。
 とりあえず満徳寺の裏に、お気に入りの自動販売機があるんだ。
 そこで軽く喉を潤そう」

 「ややっこしい場所が、お気に入りのようです。
 わかりました。三くだり半に興味はありませんが、私も喉は乾いています。
 先ほどの道路表示に徳川と矢印がありましたが、このあたり一帯が
 徳川と呼ばれる地域なのですか」


 「利根川の北岸から、群馬と栃木を横切って流れる渡良瀬川の南岸までの一帯が
 新田義貞で知られる新田一族の支配地です。
 元々が広大な湿地で、その多くが開墾によって田んぼに改良されました。
 利根川の流域に近いこのあたりが、新田義季によって開発されたもので、
 世良田という地もふくめて、この一帯が徳川家発祥の地とされています」


 「では、家康の孫娘で千姫ゆかりの寺は、ここのことを指すのですか?」



 「その通り。満徳寺が縁切寺としての特権を持つようになったのは、
 徳川家康の孫娘、千姫にかかわった由緒が起源です。
 千姫は、豊臣秀頼に嫁いだものの大坂城の落城後、豊臣家とは縁を切り、
 本多家へ再嫁するため、満徳寺に一時的に入寺したと伝えられています。
 江戸時代では、一度嫁いだ女性はたとえ夫との間に不和が生じて実家へ戻っても、
 夫からの離縁状がなければ、再婚することはできません。
 離婚を求めて駆け込んできた妻たちを救済し、夫との離婚を達成させたのが縁切寺です。
 入寺後に25ヶ月間を寺で生活すると、夫に三くだり半(離縁状)を書くように
 要求できたと言われています」


 「着きました」と、康平が満徳寺の裏手でスクーターを停めます。
たくさんの自販機が並ぶ一角は、まるで大型専門の駐車場といえるような広さを備えています。
観光バスから降りた女性の一団が、道路を渡って満徳寺へ向かう最中の姿も見えます。


 「団体さんで、駆け込み寺へ三くだり半の申請に行くのかしら。うふふ」

 「君も言うねぇ。
 いまどきのご婦人たちに、昔懐かしい三くだり半など必要があるものか。
 此処は義理と人情が篤く、雷と、からっ風と、かかあ天下が名物の国、上州だぜ。
 三行半が無くても、男のほうが先に追い出されちまう」




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