からっ風と、繭の郷の子守唄(68)
「古墳時代にヤマトから伝わってきた絹が、やがて群馬の源となる」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/23/0e4ea32c7fb609463d7bae0af508a40e.jpg)
「絹は、その頃にヤマトの軍勢により持ち込まれたと考えられています。
船で川を遡ってきたヤマトの大軍勢は、湿地がひろがるこの一帯への上陸を余儀なくされました。
利根川は、ここから上流へ行くと流れが急に強くなり、川幅もさらに狭くなります。
湿地の一帯は稲作の水田に適し、大地が乾き始めるこの地より北が桑の畑にされたようです。
事実、この天神山古墳がつくられた100年ほど後に、ここで生産された太古の絹、
『仁田山絹』が、朝廷へ上納されています。
仁田山はここから10キロほど北に位置し、現在の桐生市にあたります。
桐生市に残っている織姫伝説は、都へ仕えた若者が宮中で働らいていた女性を嫁にめとり、
田舎へ連れ戻り、絹の織り方を教えたことがそのはじまりと記されています」
「その絹の伝説なら、私も聞いたことがあります。
守り神にもなっているご神仏の岩からは、今でもトンカラりという音が鳴るそうです。
隣接している足利市の高台に、朱塗りの織姫神社があります。
自然豊かな公園にもなっていますので、散策がてらそちらも何度か訪ねました。
足利もまた、歴史に登場をしてくる有名な足利一族の発祥の地ですね」
「渡良瀬川を挟んで、鎌倉幕府を倒した新田義貞の一族と
その後に覇権を握った足利氏が、わずかな距離でここの北と南に拠点を構えていました。
古墳時代にヤマトからの大軍が、この地へやってきたという記録がありますから、
もともとは同族か、血の通った東国の一族と言えるでしょう。
いずれにしても、東国武将へとつながる血はそのころからの定着だと言われています。
足利にある織姫神社に祀られている2人の祭神も、ヤマトから伝えられたものです。
太古の昔から機織を司る天御鉾命(あめのみ ほこのみこと)と、
天八千々姫命(あめのやちち ひめのみこと)という、二柱の神様です。
この二柱の神様は、もともと皇太神宮御料の織物を織って奉納をしていた
伊勢国の渡会郡出井の郷にある、御織殿の祭神と言われています。
1200年の歴史と伝統を誇る足利の全産業の守護神として、この二柱の神を勧請し、
その分霊を祀っているのが、現在の織姫神社です」
「あら、詳しいですね、康平くん。
お料理ばかりか、古代史にも造詣をお持ちのようです。かなりの博学です」
「ほとんど、徳次郎爺さんからの受け売りです。
農家のくせに、昔から中国に伝わる易学の研究が大好きで、それに飽きたのか
最近は古代史にも興味を持ち始めてきたようです。
近所で発掘調査が始まると聞けば、手弁当で応援に駆けつけるほどの熱に入れようです。
出動をしてくるたびに、仕入れてきた新ネタを聞かされる羽目になります。
いやでも、古代史にも詳しくなります」
「そういうことなら、私もひとつ。
嵯峨野でまだ、美術学校の生徒をしている頃に聞いたはなしです。
丹波(たんば)のしずかな山里につたわる、桑の話です。
和泉式部(いずみしきぶ)という有名な歌人が、旅のとちゅうでこの村に立ち寄りました。
京の都から、役人として丹後国(たんごのくに)にいる、夫の元へ行くところです。
ちょうどその時、ひどい嵐がやってきました。
何日も大雨が降り続いて、川はあふれ、村にあった橋はみんな流されて、
和泉式部は村から出ることができなくなってしまいました。
困りましたがどうすることもできません。
そのころは、ひとつの橋をかけるにも何年もかかったのです。
親切な村の人たちは、式部に家を貸してくれました。
それだけでなく、畑でとれた野菜やら、山でとれたいのししの肉やら、お米やら、
かわるがわる食べ物も持ってきてくれました。
それで、式部はなにひとつ不自由なく、安心して過ごすことができました。
日がたつにつれて、式部にも村のようすがわかってきました。
もともとが小さな山の村です。
ただでさえ十分でない田畑が大雨で荒れて、作物も思うようにできなくなっていました。
それでも村人たちは、自分の食べる分を減らして、式部に食べ物を持ってきてくれていたのです。
何とかして村を豊かにできないものか。式部は考えました。
そして、村人を集めると、こんなふうに話しました。
「桑(くわ)の木を植えてみませんか。蚕(かいこ)を育てて、絹糸を作るのです。」
村の人たちは、これまで蚕など見たこともありません。
「わしらにできるんやろか。」
「お金がもうかるんやろか。」
「糸なんか、どないしてつくったらええんやろ。」
みんなが口々に話していると、村でいちばんの年寄りがこんなふうに言いました。
「初めてのことやけど、式部さんが言わはるんやからまちがいないやろ。
みんなで力合わせて、頑張ろうやないか。」
次の日から、大人も子ども力を合わせて山を開き、桑の木を植えてゆきました。
三年がすぎるころ、山には立派な桑畑ができ、どの家も蚕を飼うようになっていました。
村人たちはみんな一生懸命に働いたので、繭もたくさんとれるようになってきました。
「うそみたいやのう。」
「みんなでよう頑張ったおかげや。」
「式部さんのおかげや。」
村の人たちは、暮らしが豊かになることを夢に見ながら、喜び合いました。
繭からつむいだ糸で、きれいな布を織ることも覚えました。
やがてあの大雨で流された橋もできあがり、式部が丹後へ旅立つ日をむかえました。
桑原の 里に引くまゆ 拾い置きて 君が八千代の 衣糸にせん
こんな歌を残し、なごりをおしみながら、式部は村を去ってゆきました。
それからもみんなが力を合わせたおかげで、桑畑はよくしげりましたのでだれ言うとなく、
この村は桑原と呼ばれるようになりました。
今でも桑原村のまんなかには、式部をしのぶ供養塔があって、
村の人たちが、いつもきれいな花をおそなえしているそうです」
「なるほどね。
日本中にはたくさんの織姫伝説と、絹発祥の逸話があるようです。
古代の農業は、穀物を育てることと、桑を育て蚕を飼って生糸をとり、
衣を織り上げるのが主な仕事だったようです。
さて、なんだか長い話をしているうちに、お昼が過ぎてしまいそうです。
それでは、ようやく本日のメインイベント。
焼きそばと焼きまんじゅうのそろい踏みといきますか。
太田市は焼きそばの街で、個性豊かな焼きそば店がたくさん揃っています。
その中の老舗のひとつで、黒い焼きそばが有名なお店があります。
なぜ黒いのか、どうして黒いのか、それは食べてみてからのお楽しみです。
ただしお嬢さん。美味しいもののためには、若干、行列などをする覚悟が必要です。
覚悟のほど、よろしくお願いします」
「あらぁ~。さすがに群馬ですね。
たかが焼きそばと、焼きまんじゅうのために、みなさんで行列をするのですか!。
はい!。しっかりと覚悟のほどを、たった今ですが決めました」
「いいね、君のその『はい』という返事は。何度聞いても、とても素敵な響きがある」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/99/59486cd4b9c14375ba31e836f56e4931.jpg)
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「古墳時代にヤマトから伝わってきた絹が、やがて群馬の源となる」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/23/0e4ea32c7fb609463d7bae0af508a40e.jpg)
「絹は、その頃にヤマトの軍勢により持ち込まれたと考えられています。
船で川を遡ってきたヤマトの大軍勢は、湿地がひろがるこの一帯への上陸を余儀なくされました。
利根川は、ここから上流へ行くと流れが急に強くなり、川幅もさらに狭くなります。
湿地の一帯は稲作の水田に適し、大地が乾き始めるこの地より北が桑の畑にされたようです。
事実、この天神山古墳がつくられた100年ほど後に、ここで生産された太古の絹、
『仁田山絹』が、朝廷へ上納されています。
仁田山はここから10キロほど北に位置し、現在の桐生市にあたります。
桐生市に残っている織姫伝説は、都へ仕えた若者が宮中で働らいていた女性を嫁にめとり、
田舎へ連れ戻り、絹の織り方を教えたことがそのはじまりと記されています」
「その絹の伝説なら、私も聞いたことがあります。
守り神にもなっているご神仏の岩からは、今でもトンカラりという音が鳴るそうです。
隣接している足利市の高台に、朱塗りの織姫神社があります。
自然豊かな公園にもなっていますので、散策がてらそちらも何度か訪ねました。
足利もまた、歴史に登場をしてくる有名な足利一族の発祥の地ですね」
「渡良瀬川を挟んで、鎌倉幕府を倒した新田義貞の一族と
その後に覇権を握った足利氏が、わずかな距離でここの北と南に拠点を構えていました。
古墳時代にヤマトからの大軍が、この地へやってきたという記録がありますから、
もともとは同族か、血の通った東国の一族と言えるでしょう。
いずれにしても、東国武将へとつながる血はそのころからの定着だと言われています。
足利にある織姫神社に祀られている2人の祭神も、ヤマトから伝えられたものです。
太古の昔から機織を司る天御鉾命(あめのみ ほこのみこと)と、
天八千々姫命(あめのやちち ひめのみこと)という、二柱の神様です。
この二柱の神様は、もともと皇太神宮御料の織物を織って奉納をしていた
伊勢国の渡会郡出井の郷にある、御織殿の祭神と言われています。
1200年の歴史と伝統を誇る足利の全産業の守護神として、この二柱の神を勧請し、
その分霊を祀っているのが、現在の織姫神社です」
「あら、詳しいですね、康平くん。
お料理ばかりか、古代史にも造詣をお持ちのようです。かなりの博学です」
「ほとんど、徳次郎爺さんからの受け売りです。
農家のくせに、昔から中国に伝わる易学の研究が大好きで、それに飽きたのか
最近は古代史にも興味を持ち始めてきたようです。
近所で発掘調査が始まると聞けば、手弁当で応援に駆けつけるほどの熱に入れようです。
出動をしてくるたびに、仕入れてきた新ネタを聞かされる羽目になります。
いやでも、古代史にも詳しくなります」
「そういうことなら、私もひとつ。
嵯峨野でまだ、美術学校の生徒をしている頃に聞いたはなしです。
丹波(たんば)のしずかな山里につたわる、桑の話です。
和泉式部(いずみしきぶ)という有名な歌人が、旅のとちゅうでこの村に立ち寄りました。
京の都から、役人として丹後国(たんごのくに)にいる、夫の元へ行くところです。
ちょうどその時、ひどい嵐がやってきました。
何日も大雨が降り続いて、川はあふれ、村にあった橋はみんな流されて、
和泉式部は村から出ることができなくなってしまいました。
困りましたがどうすることもできません。
そのころは、ひとつの橋をかけるにも何年もかかったのです。
親切な村の人たちは、式部に家を貸してくれました。
それだけでなく、畑でとれた野菜やら、山でとれたいのししの肉やら、お米やら、
かわるがわる食べ物も持ってきてくれました。
それで、式部はなにひとつ不自由なく、安心して過ごすことができました。
日がたつにつれて、式部にも村のようすがわかってきました。
もともとが小さな山の村です。
ただでさえ十分でない田畑が大雨で荒れて、作物も思うようにできなくなっていました。
それでも村人たちは、自分の食べる分を減らして、式部に食べ物を持ってきてくれていたのです。
何とかして村を豊かにできないものか。式部は考えました。
そして、村人を集めると、こんなふうに話しました。
「桑(くわ)の木を植えてみませんか。蚕(かいこ)を育てて、絹糸を作るのです。」
村の人たちは、これまで蚕など見たこともありません。
「わしらにできるんやろか。」
「お金がもうかるんやろか。」
「糸なんか、どないしてつくったらええんやろ。」
みんなが口々に話していると、村でいちばんの年寄りがこんなふうに言いました。
「初めてのことやけど、式部さんが言わはるんやからまちがいないやろ。
みんなで力合わせて、頑張ろうやないか。」
次の日から、大人も子ども力を合わせて山を開き、桑の木を植えてゆきました。
三年がすぎるころ、山には立派な桑畑ができ、どの家も蚕を飼うようになっていました。
村人たちはみんな一生懸命に働いたので、繭もたくさんとれるようになってきました。
「うそみたいやのう。」
「みんなでよう頑張ったおかげや。」
「式部さんのおかげや。」
村の人たちは、暮らしが豊かになることを夢に見ながら、喜び合いました。
繭からつむいだ糸で、きれいな布を織ることも覚えました。
やがてあの大雨で流された橋もできあがり、式部が丹後へ旅立つ日をむかえました。
桑原の 里に引くまゆ 拾い置きて 君が八千代の 衣糸にせん
こんな歌を残し、なごりをおしみながら、式部は村を去ってゆきました。
それからもみんなが力を合わせたおかげで、桑畑はよくしげりましたのでだれ言うとなく、
この村は桑原と呼ばれるようになりました。
今でも桑原村のまんなかには、式部をしのぶ供養塔があって、
村の人たちが、いつもきれいな花をおそなえしているそうです」
「なるほどね。
日本中にはたくさんの織姫伝説と、絹発祥の逸話があるようです。
古代の農業は、穀物を育てることと、桑を育て蚕を飼って生糸をとり、
衣を織り上げるのが主な仕事だったようです。
さて、なんだか長い話をしているうちに、お昼が過ぎてしまいそうです。
それでは、ようやく本日のメインイベント。
焼きそばと焼きまんじゅうのそろい踏みといきますか。
太田市は焼きそばの街で、個性豊かな焼きそば店がたくさん揃っています。
その中の老舗のひとつで、黒い焼きそばが有名なお店があります。
なぜ黒いのか、どうして黒いのか、それは食べてみてからのお楽しみです。
ただしお嬢さん。美味しいもののためには、若干、行列などをする覚悟が必要です。
覚悟のほど、よろしくお願いします」
「あらぁ~。さすがに群馬ですね。
たかが焼きそばと、焼きまんじゅうのために、みなさんで行列をするのですか!。
はい!。しっかりと覚悟のほどを、たった今ですが決めました」
「いいね、君のその『はい』という返事は。何度聞いても、とても素敵な響きがある」
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