落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(52)

2013-08-10 09:48:06 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(52)
「康平のお見合い相手は和歌山生れで、30歳になる座ぐり糸作家」



 千尋さんは入口から一番近いカウンターの席へ、大きな麦わら帽子のつばを
両手で抑えたまま、チョコンと小さく座り込みました。


 五六が持ってきたビニール袋の中からは、次々と旬の野菜と山菜が出てきます。
さやいんげん、ソラマメ、エダマメ、キヌサヤエンドウ(絹さや)
ハチク(淡竹)と呼ばれる旬の筍(たけのこ)山菜の王者でもあるコシアブラとタラの芽。
そして茹でるとシャキシャキとした食感が心地よい、おかひじき。
いずれも五六が、日常では絶対に康平のもとへ届けてこない選りすぐりの逸品ばかりです。


 (五六のやつ、ずいぶんと洒落た真似をする。特別の野菜ばかりを持たせてきた。
 自家製の自信作ばかりを持たせたという意味は、無農薬野菜の本当の美味しさを
 千尋さんに教えたやれという、五六からのメッセージだろうか?)
食材を選別しながら、ひとりで康平が苦笑をしています。



 「やっぱり変でしょうか?。今日のわたし」


 カウンターの一番隅から、千尋がようやく顔を上げます。
麦わら帽子のつばの下から、大きなメガネをかけた黒い瞳が半分だけ現れました。
康平の苦笑を、なにかと勘違いをしたような気配が漂っています。


 「この野菜でなにか、千尋さんを感動させるような美味しいものを作れという
 五六のメッセージを見て、それで思わず苦笑をしてしまいました。
 ・・・・なにか勘違いされましたか。
 ひょっとしたら、その新しい髪型のせいなのですか?」


 「笑わないと、約束をしていただけますか?
 いつまでも室内で帽子を被っていては、私も心苦しいので思い切ってお見せします。
 本当に笑ったりしないでください。約束ですよ」

 「わかりました。けして笑わないと約束します」



 帽子のつばへ両手を置いたまま、それでも数秒間にわたり千尋はためらいを続けます。
ようやく気持ちが収まってきたのか、意を決した千尋が帽子を取りはじめます。
現れたのは、太陽の下でないとわからない程度に染められた、少し赤みのあるブラウン色の髪です。
ショートカットの中でも特に短くカットされた形で、ベーリーショートと呼ばれる
髪型が現れました



 「今回のベリーショートにする前は、ゆるい内巻きのボブにするか、
 ミディアムショートで、ややふんわりした感じのデジタルパーマをかけていました。
 でもそれですと、お蚕さんを育てている時が高温多湿で大変です。
 覚悟を決め、思い切りよくばっさりと切ってしまったのですが、今頃になってから
 似合わないのではないかと、後悔などをはじめました。
 鏡を見る度に、違和感がありすぎて本当は、内心憂鬱になっています。
 笑わないでください。
 たった今、覚悟を決めて、清水の舞台から本当に飛び降りました」


 「笑いません。
 それどころかお顔の雰囲気とよく合っていて、素敵だと素直に感じます。
 似合うと思います。お洒落です」


 「ほんと?」



 大きなメガネの中で、千尋の瞳が一瞬大きく輝きます。
明るくなってきた表情の中には、霧が晴れていくような安堵感さえ浮かんできました。


 「はい。と応えるあなたの明るい返事も、とても心地よくて素晴らしいと思いました。
 ベリーショートと同じくらい、チャーミングで心地良い声の響きがあります。
 どちらかで、勉強をされたものですか?」


 「世の中には、お返事美人というのがあるそうです。
 最初の、『はい』という言葉が最も大切で、『はい』のお返事のしかたと、
 声のひびきで、その人の印象が決まってしまうそうです。
 印象を良くしようとして、ヘアースタイルや、服装やお化粧などには
 皆さん力を入れますが、どんなにきれいに身だしなみを整えても、『はい』という
 お返事を整えなかったら、すべてが台無しになってしまいます。
 お返事の仕方を、いっそう明るくはきはきとしたものに変えると、
 あなたに接する人の態度も変わってきますと、
 はじめてお勤めをした、京都の呉服屋さんで最初に教わりました」


 「道理で、素敵なはずだ。
 あ、あらためまして、康平と言います。
 多分母のほうから、俺の情報はたっぷりと聞き及んでいると思いますが」


 「こちらこそご挨拶が遅れました。千尋と申します。
 生まれは和歌山県の海岸沿いにある、半農半漁の小さな田舎町です。
 年齢は・・・・たぶんあなたと同じです。
 ご迷惑だったでしょう。
 周りから勝手にお見合い相手だなんてまつり上げられて」


 「驚きましたが、実際にこうしてお会いをしてみると、幸運に感謝をしています。」


 
 「感謝するのは私のほうです。
 あの一ノ瀬の桑の大木が、綺麗に見事に蘇りました。
 今日も見上げてまいりましたが、すっかりと元の元気を取り戻して
 美味しそうな葉が、枝いっぱいに輝いていました。
 見ている私のほうが逆に元気をもらいました。
 なんだか、もう少しで、涙が出てしまいそうになったくらいです」


 「あの件に関しては、俺は何もしていません。
 頑張ったのは地元の消防団員たちで、俺はただ遠くからそれを見守っただけです」



 「あなたの決断が、五六さんや消防団員たちを動かすきっかけになったと聞きました。
 それから・・・・筒先を持った美人を、土壇場で救助されたそうですね
 ずぶ濡れになりながら、仲睦まじいほどに密着をしていたというお話も伺いました。
 やはりあいつは、女に関しては、常に油断も隙もならない奴だと、
 来る途中の車の中で、たっぷりと五六さんから聞かされてまいりました」



 「あの野郎め。言わなくてもいい余計なことまで、たっぷりとしゃべりやがる」

 
 「素敵なお友達を、たくさんお持ちで実に、羨ましいと思います。
 群馬へ来て7~8年も経つというのにお友達と呼べる人は、数えるくらいしかいません。
 私には」


 「そういえば、なぜ京都からわざわざ群馬へ。
 なにか、特別な思い入れのようなものでもあったのですか?」



 「京都の呉服屋さんで毎日を過ごしていた或る日、艶やかで
 なんとも肌触りのよい着物に出会いました。
 その良さは、どうも糸に何か理由があるのではないかと思いました。
 着物に詳しい知人に見てもらうと、それは黄八丈ではないかと言いました。
 調べてみますと、八丈島では昭和20年代まで養蚕がとても盛んで、
 座繰りの仕事などもなされていたようです。
 私が出会った着物も、そうした工程の中で織られたものではないかと思います。
 でもそれはずいぶんと昔のことで、今はもう無いだろう、
 そう思っていました。
 私がその当時に、絹糸のことで知っていた事といえば
 蚕という虫が繭をつくること。その糸は製糸工場でつくられるということくらいです。
 それ以上のことは、考えてみたこともありません。
 そんな頃に出会ったのが、群馬県に伝わる伝統的な座繰り糸でした。
 それが今から、8年ほど前のことです。
 いまは小さな工房を立ち上げて、群馬を拠点に糸をつくっています」





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