からっ風と、繭の郷の子守唄(69)
「大田市の名物焼きそばは、太麺でイカ墨のようにまっくろけ」
「これから行く石橋という地名は、石橋を叩いて渡る時のあの石橋です。
そこは老舗のひとつで名店と呼ばれていますが、特徴的な麺を使った焼きそばですので、
もしかしたら、軽い衝撃などを受けるかもしれません」
「衝撃的な焼きそばですか?
想像がつきません。いったどのようなものでしょう」
「百聞は一見にしかず。
出てくるまでは一切秘密です。何が出てくるか楽しみにしていてください」
太田市には、個性豊かな焼そば店が揃っています。
伝統の味から新しい味まで、それぞれの店舗でそれぞれの味を楽しむことができます。
大田市で、これほどまでに焼きそばの文化が根付いてきた背景には、自動車メーカー
『富士重工』の存在が、きわめて大きいと言われています。
工業の町として古くから栄えてきた太田市には、各地から沢山の人たちが働きにやって来ました。
雪に閉ざされる冬場、東北地方から働きに来る人たちが特に多かったと言われています。
東北地方は横手焼きそばや黒石つゆ焼きそば、石巻焼きそば、なみえ焼きそばなどが有名で、
日常的に焼きそばが食べられてきた地域としても知られています。
横手焼きそばで知られる秋田県からこの太田に働きに来ていた人たちの数が多く、そうした人々の
流れの中で、自然に焼きそばも入ってきたというのが今日の定説です。
汁のない焼きそばは伸びることもなく、安くてボリュームがあり、手軽に
お腹も一杯になったために、工員の間で広く受け入れられてきたという経過もあります。
こうしたことから市内の定食屋や駄菓子屋などでも提供されるようになり、やがて定着をしてきました。
今日では、太田市内で焼きそばを提供する店は80軒を越えるといわれ、
いかに地元の人々に愛されているかが、このことからもわかります。
昭和20~30年代には、「子育て呑龍」で名前を知られている大光院の参道にも、
屋台をはじめ、数多くの焼そば屋が軒を並べたと伝えられています。
康平のスクーターが到着をしたのは、太田焼きそばといえばここをあげる人も多い、
太田焼きそばを代表的するお店の一つです。
混んでいる時には随分と待たされるので、慣れている人は電話であらかじめ注文し、
テイクアウトで食べるのがいい、というアドバイスをするほどです。
覚悟はしていたものの、日がよいのかお昼の時間をだいぶ過ぎていたためなのか、
店内は奇跡的にも空席がひとつだけありました。
その席へ座った康平が、早速2人前の焼きそばと焼きまんじゅうの注文を出しますが、
メニューを食い入るように見つめている千尋が、『ちょっと待って。うふふ』と
なぜか意味ありそうに微笑んでいます。
「ねぇぇ。トコロテンがなんと1皿、120円ですって!。
うふ。なぜか食欲をそそられてしまいます・・・・こちらにも」
「了解です。お姉さん、トコロテンも『特大』でひとつ追加をしてください」
大きな窓に囲まれた店内には外の日差しがさしこみ、明るい雰囲気が溢れています。
チャン、チャン、チャン、という鉄板にヘラがあたる音をおぼろげに聞きながら、
壁にはられたポスターを眺めたり、メニューを覗いたりしながら二人が時間を過ごします。
千尋も歩きつかれた足を伸ばし、ようやく肩の力を抜いてリラックスなどをしています。
ちょっと平和でのんびりとした空気が、二人の間に流れていきます。
待つこと10分あまり。
のんびりとした昼下がりの穏やかな空気の中、突如として、どっしりとした
きわめて存在感のあるものが、千尋の目の前に運ばれてきました。
「何これ!」「黒い!」「しかも太い!!!」突如として現れた太田市の焼きそばは、
千尋の持つ焼きそばという概念を、はるかに超えた、まったく別次元と呼べるシロモノです。
通常の焼きそばの麺の、二倍近くはあろうかという太い麺。
そして何よりもインパクトが強いのは、その濃厚なまでに麺を染めあげた黒い色。
黒っぽいといっても、イカ墨の様な黒さではありません。
焦茶色がかった黒色で、家具ならば、かなりの趣を感じさせそうな色合いです。
しかし焼きそばの麺として見たときには、やはり常軌を逸した黒さがそこには潜んでいます。
頭の中にある通常の焼きそばの、ソースがからんだ白い麺のイメージから見ると
あまりに濃すぎる黒色に思わず、「黒すぎる」と、千尋が絶叫をします!。
一通りの衝撃を受けたあと、ようやく落ち着きを見せた千尋が、やがて試食に入ります。
ずっしりとした麺を箸でこわごわと持ちあげ、たぐりよせるようにして口の中に入れていきます。
ハフハフと麺をたぐります。もぐもぐと咀嚼をします。
驚ろき放しの尋の瞳は、いまだに丸く点になったままその全神経は、ひたすら咀嚼中の
真っ黒い焼きそばの味覚に集中をしていきます。
「あら・・・・」
初めて見た時の驚きが、ここで初めて味への驚きへと変わります。
予想外と思えるほどの美味しさに、緊張を見せていた千尋の顔へようやく笑顔が戻ってきました。
見た目だけのインパクトで、味は二の次くらいなんだろうと高をくくっていた疑心の顔から、
食いしん坊丸出しの千尋の顔へ、ようやく戻ってきます。
「美味しい!
話題性だけが先行して、味があまり伴っていないような、一度きり食べ切りの
B級グルメかと実は、勝手に思い込んでいました。
でも、口の中に広がるソースの香りと、キャベツの芳醇な甘みがとても素敵です。
もっちりとしていて、食感が旨みを倍化させる極太麺の味わいも、いう事がありません。
色から想像したしょっぱすぎる感じもないし、やぼったい感じもありません。
ねっとりと濃すぎることもなく、くどすぎる感じもしません。
私、これならやみつきになりそうです」
さして期待をしていなかった反動もあるのでしょうが、思わぬ美味しさに
箸は一向に止まらず、千尋は次から次へと黒い麺をたぐりたぐり食べすすめてしまいます。
スパイシーな辛さや酸味などはあまり感じられず、どちらかというと優しくさっぱりとした
独特の甘みのあるソースは、飽きが来ずに食べやすい食感です。
思い込みへの反省は、やがて少しずつ美味しさへの悦びに変わっていきます。
千尋の顔には、麺が体に取り込まれていくたびに、なんだかちょっとずつ
嬉しそうな表情が増して来るから不思議です。
お皿の上に残るのが、何片かのぴったり張り付いた青海苔のかけらだけになる頃には、
いい感じの満足感が、千尋の身体から満ち溢れてきました。
それは、こんがりと日焼けして真っ黒になったどこかの遊び人に見える兄ちゃんが、
誰も見ていないところで、とびっきりの優しい笑顔で見知らぬおばあさんの手を引いて
横断歩道を渡っていたのを目撃した時の様な、なぜか心がほっこりする、
そんな「イイ感じ」の、心持ちのようにさえ見えてしまいます。
さらに、焼きまんじゅうとトコロテンが『お待ちどうさま』の声とともにやって来ると
千尋の喜びは最高潮へと達し、ついには笑顔がはちきれそうになってきました。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「大田市の名物焼きそばは、太麺でイカ墨のようにまっくろけ」
「これから行く石橋という地名は、石橋を叩いて渡る時のあの石橋です。
そこは老舗のひとつで名店と呼ばれていますが、特徴的な麺を使った焼きそばですので、
もしかしたら、軽い衝撃などを受けるかもしれません」
「衝撃的な焼きそばですか?
想像がつきません。いったどのようなものでしょう」
「百聞は一見にしかず。
出てくるまでは一切秘密です。何が出てくるか楽しみにしていてください」
太田市には、個性豊かな焼そば店が揃っています。
伝統の味から新しい味まで、それぞれの店舗でそれぞれの味を楽しむことができます。
大田市で、これほどまでに焼きそばの文化が根付いてきた背景には、自動車メーカー
『富士重工』の存在が、きわめて大きいと言われています。
工業の町として古くから栄えてきた太田市には、各地から沢山の人たちが働きにやって来ました。
雪に閉ざされる冬場、東北地方から働きに来る人たちが特に多かったと言われています。
東北地方は横手焼きそばや黒石つゆ焼きそば、石巻焼きそば、なみえ焼きそばなどが有名で、
日常的に焼きそばが食べられてきた地域としても知られています。
横手焼きそばで知られる秋田県からこの太田に働きに来ていた人たちの数が多く、そうした人々の
流れの中で、自然に焼きそばも入ってきたというのが今日の定説です。
汁のない焼きそばは伸びることもなく、安くてボリュームがあり、手軽に
お腹も一杯になったために、工員の間で広く受け入れられてきたという経過もあります。
こうしたことから市内の定食屋や駄菓子屋などでも提供されるようになり、やがて定着をしてきました。
今日では、太田市内で焼きそばを提供する店は80軒を越えるといわれ、
いかに地元の人々に愛されているかが、このことからもわかります。
昭和20~30年代には、「子育て呑龍」で名前を知られている大光院の参道にも、
屋台をはじめ、数多くの焼そば屋が軒を並べたと伝えられています。
康平のスクーターが到着をしたのは、太田焼きそばといえばここをあげる人も多い、
太田焼きそばを代表的するお店の一つです。
混んでいる時には随分と待たされるので、慣れている人は電話であらかじめ注文し、
テイクアウトで食べるのがいい、というアドバイスをするほどです。
覚悟はしていたものの、日がよいのかお昼の時間をだいぶ過ぎていたためなのか、
店内は奇跡的にも空席がひとつだけありました。
その席へ座った康平が、早速2人前の焼きそばと焼きまんじゅうの注文を出しますが、
メニューを食い入るように見つめている千尋が、『ちょっと待って。うふふ』と
なぜか意味ありそうに微笑んでいます。
「ねぇぇ。トコロテンがなんと1皿、120円ですって!。
うふ。なぜか食欲をそそられてしまいます・・・・こちらにも」
「了解です。お姉さん、トコロテンも『特大』でひとつ追加をしてください」
大きな窓に囲まれた店内には外の日差しがさしこみ、明るい雰囲気が溢れています。
チャン、チャン、チャン、という鉄板にヘラがあたる音をおぼろげに聞きながら、
壁にはられたポスターを眺めたり、メニューを覗いたりしながら二人が時間を過ごします。
千尋も歩きつかれた足を伸ばし、ようやく肩の力を抜いてリラックスなどをしています。
ちょっと平和でのんびりとした空気が、二人の間に流れていきます。
待つこと10分あまり。
のんびりとした昼下がりの穏やかな空気の中、突如として、どっしりとした
きわめて存在感のあるものが、千尋の目の前に運ばれてきました。
「何これ!」「黒い!」「しかも太い!!!」突如として現れた太田市の焼きそばは、
千尋の持つ焼きそばという概念を、はるかに超えた、まったく別次元と呼べるシロモノです。
通常の焼きそばの麺の、二倍近くはあろうかという太い麺。
そして何よりもインパクトが強いのは、その濃厚なまでに麺を染めあげた黒い色。
黒っぽいといっても、イカ墨の様な黒さではありません。
焦茶色がかった黒色で、家具ならば、かなりの趣を感じさせそうな色合いです。
しかし焼きそばの麺として見たときには、やはり常軌を逸した黒さがそこには潜んでいます。
頭の中にある通常の焼きそばの、ソースがからんだ白い麺のイメージから見ると
あまりに濃すぎる黒色に思わず、「黒すぎる」と、千尋が絶叫をします!。
一通りの衝撃を受けたあと、ようやく落ち着きを見せた千尋が、やがて試食に入ります。
ずっしりとした麺を箸でこわごわと持ちあげ、たぐりよせるようにして口の中に入れていきます。
ハフハフと麺をたぐります。もぐもぐと咀嚼をします。
驚ろき放しの尋の瞳は、いまだに丸く点になったままその全神経は、ひたすら咀嚼中の
真っ黒い焼きそばの味覚に集中をしていきます。
「あら・・・・」
初めて見た時の驚きが、ここで初めて味への驚きへと変わります。
予想外と思えるほどの美味しさに、緊張を見せていた千尋の顔へようやく笑顔が戻ってきました。
見た目だけのインパクトで、味は二の次くらいなんだろうと高をくくっていた疑心の顔から、
食いしん坊丸出しの千尋の顔へ、ようやく戻ってきます。
「美味しい!
話題性だけが先行して、味があまり伴っていないような、一度きり食べ切りの
B級グルメかと実は、勝手に思い込んでいました。
でも、口の中に広がるソースの香りと、キャベツの芳醇な甘みがとても素敵です。
もっちりとしていて、食感が旨みを倍化させる極太麺の味わいも、いう事がありません。
色から想像したしょっぱすぎる感じもないし、やぼったい感じもありません。
ねっとりと濃すぎることもなく、くどすぎる感じもしません。
私、これならやみつきになりそうです」
さして期待をしていなかった反動もあるのでしょうが、思わぬ美味しさに
箸は一向に止まらず、千尋は次から次へと黒い麺をたぐりたぐり食べすすめてしまいます。
スパイシーな辛さや酸味などはあまり感じられず、どちらかというと優しくさっぱりとした
独特の甘みのあるソースは、飽きが来ずに食べやすい食感です。
思い込みへの反省は、やがて少しずつ美味しさへの悦びに変わっていきます。
千尋の顔には、麺が体に取り込まれていくたびに、なんだかちょっとずつ
嬉しそうな表情が増して来るから不思議です。
お皿の上に残るのが、何片かのぴったり張り付いた青海苔のかけらだけになる頃には、
いい感じの満足感が、千尋の身体から満ち溢れてきました。
それは、こんがりと日焼けして真っ黒になったどこかの遊び人に見える兄ちゃんが、
誰も見ていないところで、とびっきりの優しい笑顔で見知らぬおばあさんの手を引いて
横断歩道を渡っていたのを目撃した時の様な、なぜか心がほっこりする、
そんな「イイ感じ」の、心持ちのようにさえ見えてしまいます。
さらに、焼きまんじゅうとトコロテンが『お待ちどうさま』の声とともにやって来ると
千尋の喜びは最高潮へと達し、ついには笑顔がはちきれそうになってきました。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/