ブクログより
わ~何?この言葉の羅列。
主人公が老人の男性であり、(伊佐夫という名前)その伊佐夫の独り言というか胸のうちでつぶやく言葉が延々と続くわけです。
あ~とっつきにくい、興味のあること何も出てこないし、全然進まへん。
もう断念しようかな。
いやしかしここで負けるわけにはいかない(?何に?)
ここは気を取り直して、集中するべく夜寝る前に読むのはやめて、昼間わざわざ時間を設けて読むことにする。
すると不思議、この羅列文にも慣れて、伊佐夫のつぶやきによって、舞台が奈良の山間の集落であること、代々続いた養子の家系で伊佐夫で4代目であること、交通事故によって植物状態になった妻を年明け早々なくしたこと、何より、偏った情熱で農業に取り組んでいること等などが分かってくる。
よし! 下巻も頑張って読んでみるか。
同じく
というわけで下巻です。
変わらず伊佐夫はお天気を気にしながら農業にいそしんでいる。昔からのやり方にこだわらず、試行錯誤で新しいやり方も取り入れ、妻の妹に言わせるとさながら理科の実験のような農業。近隣の人たちも冷やかし半分で見守っている。
その間にも、村では訳アリの出戻りが双子を生んだり、伊佐夫の実家の兄や、妻の妹の連れ合いが死んだり、にわか思い付きで自分と妻の墓石を作ったり、いつの間にかトイプードルとナマズの花子という新しい家族も増えている。
伊佐夫には一人娘がいて(またしても女でしかも家を出て行き後継者にはならない)離婚の果て一人娘(またしても・・・)とともにニューヨークに暮らす。
その孫娘と過ごす2週間や、娘が再婚相手を伴い帰郷した際の村をあげての歓迎会など、こうしてみると結構変化に富んだ日常を送っている。
またその背景で東日本大震災がおこり、何百キロも離れた地に思いをはせ、心ざわつかせる。
天気を気にかけ、茶畑を見回り、稲作に試行錯誤し、だんだん老いていきその生涯を終えるのかと思うと、最後は台風により未曽有の被害がでて、伊佐夫の村にも被害者が出た、と話が終わる。
つまるところ、東日本大震災であれ(原発事故は別として)台風であれ、大自然の前では人間は何とも致し方がない、ということか。大自然と向き合うことの厳しさを思い知らされる。
土の記 上・下 / 髙村薫
2017/1
≪本日の暦≫
桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ) 七十二候
桐の花が結実し実がなるころ。
桐は神聖な木とされ、日本国政府の紋章にも使われています。