今日もまた、気になる新聞各紙のネット配信記事から。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810100133.html (橋下知事、学力向上の市町村支援に30億円基金創設へ=朝日新聞10月11日づけネット配信記事)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810110066.html (全国学力調査の結果、大阪府内市町村の8割が公表へ=朝日新聞10月11日づけネット配信記事)
この2つの記事を見ればわかるように、大阪府下では「地方分権」とは逆に、「府知事集権」の体制づくりが、主に学校教育の分野から進んでいます。
すなわち、府知事に「クソ教育委員会」とマスコミで呼ばれたくない、また、補助金の削減等によってで兵糧攻めにあいたくない自治体は、学力テストの市町村別結果公開に何らかの形で応じる。一方、府知事の意向に対して、吹田市のように真正面から反論した自治体に対しては、橋下知事は次のようなことを言うわけですね。
http://www.asahi.com/politics/update/0924/OSK200809240117.html?ref=reca (橋下知事「吹田の子どもかわいそう」学力調査非公表で=朝日新聞2008年9月24日付けネット配信記事)
まぁ、こうやって、マスコミも上手につかいながら、まるで「アメとムチ」をちらつかせて、府知事が学校教育に対して発言力を握っていく。いわば、「府知事集権」の体制づくりが進んでしまったわけです。
しかし、この間、橋下知事サイドからの話を聴く限り、「そもそも、学力テストの市町村別公開の結果が、どのように子どもの学校教育のありようを変えるのか?」ということについて、何か具体的な説明があったような記憶がありません。むしろ、議論は常に「公開するのか、しないのか?」を府知事から各市町村に迫るような、そういう話ばかりに推移しているように思います。
しかも、すでに結果公開をしている自治体も、大阪府のお隣・兵庫県ではいくつかありますが、その自治体教委のホームページを見ている限り、そこで何か、結果をオープンにしたからといって、具体的に目新しい学校改革の動きがおきているかといえば、そんな印象をあまり受けません。
むしろ、私が見たところ、「結果を公開しようが、しないでいようが、そんなことは、子どもの学力向上に向けての地道な学校・地方教育行政レベルでの取り組みとは、あまりたいして関係ない」という印象のほうが強いのです。(だったら、「結果公開など、全くやる必要なし」というのが私の結論なのですが。)
そういうことから考えると、今回の橋下知事の学力テストの結果公開をめぐる一連の動きのなかで本当に実現したかったことは、市町村への予算配分を「アメとムチ」につかって、府知事サイドの意向で市町村を動かせるかどうか、しかも、「一般行政からの独立」というタテマエをとる府教委と各自治体教委を動かせるかどうか、というテストをした、ということではないでしょうか。
要するに、「中央集権」ならぬ「府知事集権」の体制を作り上げるために、今回、学力テストの結果公開を口実にした、というのが実情ではないのか、という気がするのです。そして、見事に一部自治体を除いて、自ら積極的に「府知事集権」の体制づくりに、各自治体の首長が協力し、各自治体の教委が引っ込まざるをえなかった、ということではないでしょうか。
ちなみに、橋下知事は何かと「地方分権」を持ち出すわけですが、市町村への補助金配分をてこにして知事の意向に市町村を向かせるという手法は、かつて中央集権的な国の行政施策で地方を従わせてきた手法と、どこがちがうんでしょうか? 本当に市町村の自治や地方分権を尊重するのであれば、こういった手法を使うというのは道義的にいかがなものかと思われるのですが。
と同時に、こうやって「府知事集権」の体制ができあがった以上、ここから先、校教育に関して府の行政施策上、何か問題がおきたとしたら、それは府知事の指示との関係を追及することが可能になります。結局「集権」というのはそういうことで、今後は何か自分の思うように教育施策が動かなくても、「くそ教育委員会」とか、教職員組合が悪いとか、そういう説明で逃げることはできない、ということになりますけど、それでいいんでしょうかね?
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