http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121030/k10013128251000.html
(「いじめ自殺“学校は保護者と情報共有を” NHKニュース2012年10月30日)
このNHKのニュースを見れば、学校でのいじめ自殺などで我が子を亡くした保護者たちが、まずは学校や教育行政が迅速な調査を行って報告をすること、再発防止策を確立するためのシステムをつくること、そして、調査や再発防止策づくりにあたって遺族との対話、情報共有をすすめていくこと、この3つのことを求めていることがわかります。
そのことを前提にして、次のブログの記事を読んでください。
http://blogos.com/article/49341/?axis=g:1
(片山さつき:大津いじめ自殺事件遺族記者会見、自民党いじめ問題対策分科会は答えを出します!文科省が初めて出してきた「いじめの定義と態様別分類」とは?:ブロゴス、2012年10月30日)
これを読めばわかりますが、上記のNHKニュースで遺族の側が求めていることと、まったく見当ちがいのことをやろうとしていることがわかりますね。
たとえば、このブロゴスの記事には、片山さんたち自民党の政治家が、岐阜県可児市のいじめ防止条例の内容にふれつつ、高橋史朗氏らのコメントなども参照しながら、「家庭教育支援法、条例、いじめ防止法、条例」のセットをつくろうとしていること。あるいは、「親学」をこのいじめ防止にひっかけてやろうとしていること。そのことがうかがえますよね。そこには、こうしたいじめ防止条例にある「保護者の責務」を強調しようという、そういう意図がうかがえます。
しかし、そんなことは、上記のNHKニュースの中身を見ればわかりますが、遺族の側は何も求めていません。むしろ、学校や教育行政の責務として、再発防止策の確立やそれに向けての調査の実施、遺族への説明の実施等が確実に行われるような、そんなシステムをもとめているわけですよね。
とすれば、いろいろ熱心に動いているように見えますが、この自民党の政治家のような発想にもとづいて条例をつくったり、新たな施策を展開すると、さらなる「隠蔽」へとつながるのではないか。あるいは、今後いじめ自殺が起きたときに、その責任を保護者や子どもの側に押し付けていくことにつながるのではないか。そういう危惧を私は覚えます。
ちなみに、あらためて、岐阜県可児市のいじめ防止条例(これは略称ですね)を見ました。
http://www.city.kani.lg.jp/view.rbz?nd=1112&ik=3&pnp=154&pnp=168&pnp=1112&cd=4022
可児市のいじめ防止条例の中身については、上記のサイトで見ることができます。
これを読めばわかりますが、この条例は「子どもの権利侵害」(前文)としていじめをとらえ、このいじめを社会全体で防止していくために何をするか、どんな施策を実施していくのか、について定めたものです。また、第1条にも、子どものいじめ防止に関する基本理念・責務や、子どもが安心して生活し、学ぶ環境づくりを目的としていることがわかります。
この基本理念や目的に対応するかのように、市や学校の責務、市民や事業者の責務についての規定があります。また、市と学校がいじめ防止に関する教育・啓発に積極的に取り組むこと(8条)、市が子ども、保護者、学校などのいじめ防止に関する取り組みを積極的に支援すること(9条)、市や学校がいじめの被害を受けた子どもの通報・相談などの体制を整えること(10条)などの規定が設けられています。そして、第11条以降に「いじめ防止専門委員会」の設置やその職務、相談や調査などの方法、是正要請の手続きなど、具体的に被害を受けた子どもの救済に関する規定が設けられています。
いわば、いじめ防止というテーマに限定しながらも、子どもの人権相談・救済に関する自治体としての責務、対応すべき事項を具体的に規定しているのが、この可児市の条例。もちろん、教育委員会の独立性を尊重するというタテマエから、「是正要請」という形をとってはいるものの、しかし、条例上その是正要請を受けた場合はこれを尊重し、対応しなければいけない(第14条)わけですから、実質的にはさまざまな是正措置が行われるはずです。
そして、以上のような可児市の条例の規定は、兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソン条例の趣旨と、かなり近いような印象があります。だから、私などは「片山さんはこの条例をどういう風に理解したのだろう??」と思ってしまいました。また、下記のような課題がいろいろと残るものの、こうした条例を作ろうとがんばってきた可児市の取り組みには、やはり、見るべきものがあると私は思っています。
ただ、片山さんが「保護者の責務」にこだわって何か「親学的なもの」を盛り込めそうだと思った理由は、この条例の第6条にあります。この条例の第6条は、保護者がいじめを正しく認識すること、子どもに対していじめが許されない行為であること等を説明、理解させるようにすることなどを定めています。しかし、この程度のことは、多くの保護者は「言われなくても、やっている」というのではないでしょうか。また、ここから「親学的なもの」をやろうとするのには、かなり解釈上の無理があるのではないでしょうか。どこにも「いじめ防止に向けての親の学習」を「実施しなければならない」とは書いていませんから。
また、この条例の第3条に「子どもは、人との豊かな人間関係を築き、互いに相手を尊重しなければなりません」と規定していますが、これもわざわざ書くべきことなのかどうか。むしろこの条例の基本理念・目的からすれば、子どもたちが互いを尊重し、人との豊かな関係を築けるように、行政は何をするのか、学校は何をするのかを規定する必要があったのではないかと思います。それこそ、ひとつまちがうと、いじめをした子ども・いじめられた子どもの双方に、この条例は「相手を尊重する努力をしたのか?」と、責任を問うものになりかねません。
そして、先ほど述べた学校や行政の責務、あるいは市や学校の啓発・教育や支援、通報・相談などの取り組みに関する規定ですが、これには「この条例にもとづいて、市がどのような施策を実施したか、学校がどんな取り組みをしたかを検証するシステム」のことが書かれていません。第16条の「報告」は、あくまでもいじめ防止専門委員会の活動状況の報告ですので。
あと、可児市の小中学校や幼稚園・保育所などはこの条例の適用範囲ですが、可児市内の高校や私立学校に通う子どもはどうなるのか・・・・という、「市の条例」特有の問題があります。
私としては、こうした可児市の条例についての諸課題を指摘して、片山さんたちがそれを国の施策としてどう是正するのかを提案するのならわかります。でも、先ほどのブロゴスの記述は、そんな内容になってはいなかったですよね。
以上のことから、どうも片山さんたち「見当違いの方向」で、いじめ防止策について考えているのではないか・・・・と思えてなりません。むしろ、いじめ自殺などが起きたときの学校・教育行政の対応の不手際を強調し、それに対する人々の怒りや批判・非難をてこにしながら、いじめで亡くなった子どもの遺族たちの求めることとはまったく別の施策を、「解決策だ」といって持ち込もうとしているようにも思えてなりません。これでは、「惨事便乗型」の教育改革をやろうとしているのではないか、という疑いすら抱くものです。
<追記>
このブログの内容はもともと、フェイスブックに先週、書きこんでいたものです。実は10月30日(火)の午後、長野県への出張の帰り道に、ある新聞社の方から可児市の条例のことでインタビューを受けたのです。そのときに条例を実際に見て思ったことをまとめようと思ったら、お子さんを自殺で亡くしたご遺族の方が片山さんの文章を読んで、「これは何がいいたいのかよくわからない」ということを、フェイスブックに書きこんでおられました。そのご遺族の文章も読んだうえで、だいたい、上記のようなことをすでに、フェイスブックに書きこんでいたのです。そして、それを読んだ方から、「いつか、どこかでこのことを書いてほしい」というお話があったので、ブログにあらためて書きこんでおきました。
いじめや子どもの自殺という悲しい出来事に「便乗」するかのように、たとえば教育委員会廃止や「親学」などを持ち込んでくる政治家の動きがこのところ、生じています。でも、実際の遺族の方が求めているのは、そんなことではないのです。そのことをわかっていただければ、と私は思います。