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昨日、東京・浜松町で、「指導死」問題を考える遺族のみなさんの集会がありました。
日頃、全国学校事故・事件を語る会や、NPO法人ジェントルハート・プロジェクトの取り組みなどで、学校での教員の「指導」に起因すると思われる子どもの死(特に自死)のケースを見聞きすることがあります。
たとえば子どもを心身ともに追いつめ、逃げ場をなくすような形で指導をするとか、生徒指導や部活動指導中の暴言(パワー・ハラスメントといってもよい)とか、そして「体罰」。こういったケースによる子どもの死を、遺族のみなさんは「指導死」と呼んでいます。
大津市のいじめ自殺問題以外にも、学校で子どもが自死に至るケースとしてはこういう「指導死」というケースがある。このことについても、やはりいじめ自殺と同様に事実経過の検討や原因究明の作業が十分に行われていないなど、遺族の側から伝えたいことが多々ある。ということで、昨日の集会が開かれたのでした。
この集会の概要については、上記のブログが詳しく紹介しておられるので、そちらを見てください。
ちなみに、当初「40人くらいの参加では?」と思われた昨日のこの集会ですが、60人近くの方が来られました。また、テレビ局や新聞社などの取材もかなりありました。私も遅れて参加したのですが、座る場所が見つからないくらいの状況でした。
ただ、私はこの頃思うのです。子どもの学校生活での安全・安心、特に子どもの「いのち」にかかわるような課題というのは、教育学の研究者や学校現場の教職員、教育行政の職員、そしてソーシャルワーカーやカウンセラーなど子どもに関わる専門職の、誰であっても「一番の関心事」でなければいけないのではないか、と。ところが、昨日の集会でも、教育学系では、このような遺族の集まる場でいつも顔合わせるおなじみの教育学研究者、教育評論家の方しか姿がないんですよね。
だから「教育学系の研究者はみんな、いったい、いま、どこへ行っているのか?」ということ。「この問題に、あんまり関心がないのかな??」ということ。そして「関心がないのだとしたら、あなたたち、本気で「子どものいのちを大切にする」とか「子どもの人権が大事」とか言ってるの?」ということ。そんなことを、昨日もあらためて感じましたし、このごろ日々、強く感じるようになりました。
「本当は「指導死」のようなテーマこそ、教育学の研究でも重要課題として取り上げて、もっと議論すべきことではないのか??」「私たちが大学や短大などで養成し、送り出した教職員が、こうした「指導死」などということに関わっているということを、大学の教職課程担当としてどう受け止めるの??」と、言いたくなった次第です。もちろん、このことは、教育学の研究者であり大学の教職課程担当の立場もある私にも、ぐさっと突き刺さることではありますが。