できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

教育や学校に諸課題について、ていねいな議論をしていかないと、後々に問題を残しかねない。

2017-04-09 12:43:57 | 受験・学校

最近よく思うのは、この表題に書いたことですね。

およそ学校や教育については、誰もが自分の見聞きしたこと、経験したことの範囲を手がかりにして、そこに自分の評価(というか感情ですけど)を込めて、それを高くもちあげることもできれば、低く貶めることもできます。

でも、その自分の見聞きしたことや経験したことの範囲がどの程度のものなのか、それに対する自分の評価(感情)が妥当なものなのかどうかについては、あまりその内実をきちんと問い直したり、検証したりはしません。

これは私も含めて、自戒を込めて、「そういう傾向があるな」と指摘しておきます。

ただ、ほんとうはその自分の見聞きしたことや経験したことで何か言える範囲や、それに対する自分の評価(感情)などの妥当性を、一度、きちんと確かめた上で、「その限りにおいて言えること」という限定つきで、学校や教育についてものをいう必要があると思うんですよね。

それは学校や教育を「よきもの」と語る話についても、逆に「だめなもの」と語る話についても、どちらについても言えることかと思います。

こんな感じで、たとえば自分の言っていることが通用する範囲ですとか、自分の気持ちにもとづく評価が妥当な範囲をおさえながら議論をしていかないと、学校や教育のいい部分をダメだと断罪したり、逆にダメな部分まで含めて高く評価したり・・・と、だんだん誤った方向に議論をすすめていくのではないか。

最近はよく、こんなことを考えています。

具体的なことはここには書きませんでしたが、私なりにツイッターやフェイスブック等々のSNS、ブログなどで発信されている教育や学校に関する議論を見聞きしている範囲で、そのように感じました。



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