今日はまず、以前、このブログにも掲載したこの記事から。
http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260383.html (「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし=朝日新聞2008年9月27日ネット配信記事)
この記事が出たあと、先日、こんな記事が別の新聞から出ました。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081008/edc0810080731000-n1.htm (組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く=MSN産経ニュース2008年10月8日配信記事)
この2つの記事を比べてみると、なんとなく、「ああ、こういうことで今、学力テストの問題が報道されてるんだ」と察しがつく方もいらっしゃるのではないでしょうか?
要するに、一連の報道を見ていると、表向きは何か子どもの教育問題を論じているようで、実は「次の総選挙を前に、日教組票及び日教組批判票の行方を、マスメディアを使って操作しよう」という意図があるのではないか、と私などは推測してしまうのです。もちろん、これが「推測のしすぎ」という可能性(危険性)も否定はしきれません。ただ、そのことは、新聞記事には書いていない別のデータなどを用いて、この新聞記事が書いていることを検討してみると、「やっぱりそうなのかな?」と思えてしまうのです。
例えば、産経新聞のこの記事で「日教組票が多い」のと「学力テストの結果が低い」と名指しされている北海道と大阪について、別のデータを出して見ます。それこそ、ある本によると、生活困難家庭への就学援助の率でいえば、北海道が19.27%、大阪が27.87%(全国トップ)と、他府県に比べると高い傾向にあります。逆に、「学力テストの結果が高い」とされる秋田県は7.47%、福井県は5.37%です。他の「学力テストの結果が高い」ベスト10圏内の都道府県を見ても、東京都がかなり高い(24.79%)ですが、他は富山県(5.61%)、石川県(9.07%)などのように、どちらかというと就学援助の率が低めの傾向にある自治体です。(以上の数字については、岩川直樹・伊田広行『貧困と学力』(明石書店、2007年)を参照)
ちなみに、就学援助の制度について保護者にどの程度の周知徹底を行うかは、かなり各自治体の意向が働いているとか(前出の『貧困と学力』を参照)。そう考えると、積極的に自治体が生活困難な家庭への教育面への支援に動いている結果、ともこの数字は見ることができます。しかし、「それだけ自らの地域内に生活困難な家庭がいることを、学校や教育行政当局が把握している」ということでもあるわけです。このような次第で、いずれにせよ、日教組のことがどうこうという前に、貧困世帯を含む「生活困難家庭の教育課題」をどう見るか、という観点から学力テストの結果を検討する観点もあるわけです。そして、学力と社会階層、社会的不平等と教育の機会均等、教育の条件整備と教育を受ける権利の保障との関係というのは、教育学の領域では、主に教育社会学や教育行政学(教育制度論、教育政策論)などの研究者たちが、これまで積極的に研究、発言をしてきたテーマのひとつです。
でも、こうしたことを、朝日新聞も産経新聞も触れませんよね。それって、なぜですかね? 単にこの記事を書いた新聞記者の方が、こうしたことをご存知なかっただけなのでしょうか…?
また、子どもの家庭学習などにどれだけエネルギーを注げるかは、その家庭の生活状態に左右される側面が大きいでしょう。そして、家庭学習の習慣などが学校で獲得される学力水準と何らかの関係を持つと考えるならば、こうした生活困難家庭の子どもの教育課題の問題に各自治体や文部科学省が対応しなければ、全体的な学力の水準はあがってこない、ということになりかねません。だからこそ、教育の機会均等の実現等に関して、これまで教育社会学や教育行政学の領域で、いろんな人たちが研究を積み重ね、発言を繰り返してきたわけですね。
もちろん、一部に生活困難な家庭があっても、全体的に生活が安定し、子どもの教育に積極的にエネルギーを注げる家庭があれば、平均点の水準はあがります。だから、今、結果がよかったと言われる自治体も、そういう構図であがっているケースがあるとは思います。しかし、生活の安定している層が平均的な学力水準の高さをひっぱっている地域では、逆に生活困難層との学力の「二極化」傾向を心配する必要があるわけですが。いずれにせよ、こうした問題を、朝日新聞も産経新聞も触れませんよね。それって、なぜですかね?
このように別のデータと照合してみると、「日教組票が多い・少ない」を論じる以前に、「生活困難な家庭の教育課題」に目を向けたほうが、学力テストの結果の問題を考えるときには必要なのではないか、と私などは思うわけです。そして、こういう視点から考えると、朝日新聞・産経新聞のどちらの記事に対しても、「これって総選挙前だから出しているわけ?」と思ってしまうわけですね。
そうそう、これももうひとつ、両者の記事への根本的な疑問ですが。なぜ教職員組合というと「日教組」なんでしょうか? ローカルレベルで活動中の組合は少し脇におくとしても、全国的に組織をもっている教職員組合には、共産党系の組合もあるはずです。こちらの組織率や選挙時の行動と学力テストの結果との関係はなぜ調べないのでしょうか? そんなことから考えても、「これって総選挙前だから?」と思ってしまうんですよね。
と同時に、日教組への風当たりがこうやって強くなっているときに、「あれは日教組の問題で、自分は関係ない」と共産党系の教職員組合が傍観しているようなら、ダメです。日教組への風当たりが強くなって、その結果、行政側からの教職員組合運動への対応として作られるであろう数々のシステムは、あとあと、共産党系の教職員組合をもしばることになります。「そのことがわかっているのか?」ということですね。
例えば、大阪市のこの間の市政改革でも、自治労系の市の職員組合がいろいろマスメディアなどでバッシングを受けてました。また、その後できあがった新しい大阪市と自治労系の職員組合の交渉等のルールによって、共産党系の市の職員組合も、いろんな制約を受けるようになっているはずです。
そう考えると、たとえ日ごろは何かと意見がちがうことがあったとしても、子どもや保護者のために、自分の働く学校のある地域社会のために、あるいは、自らの諸権利のために、「同じ公務員として」とか、「同じ公立学校教員として」という次元で、さまざまな形で複数の教職員組合、公務員組合などが協力して対応しなければならない課題が多々あるはずです。
だから、今のこの情勢下では、「自分らの組合関係のことだけ安泰であれば、他の組合はどうでも」みたいなことを考えてばかりいると、それは後々、自らの首をしめることにもなりかねないでしょう。もうそろそろ、そのことに気づくべき時期なのではないでしょうか?
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