今日というか、正確にいうと日付変わる前の10月9日ですが、ツイッター上でつぶやいたことをひととおり整理して、ブログに書きなおしておきます。例の神戸の学校で起きた教職員間のいじめ問題関連のことです。たぶん、神戸の教育関係者(現職教員のみなさん等々)も見ておられると思うので、また何かの役に立てば…と思います。
(1)問題をさらに大きく煽ることよりも、どうやってみんなで神戸の教育を再生させるかを考えてほしい。
SNSで声を煽ってメディアを動かし、さらに政治家や文科省、首長動かして学校の問題を解決させようとして、かえっておかしな施策つくられて、余計に混乱したり、学校が窮屈になる。それって、まずいよね。そういう動き方は、私はやめたほうがいいなって思います。
もっと地道にこつこつ現場レベルで、子どもと保護者と地域の人びと、学校の教職員、研究者、専門職等々をつないで、「できることをできることからできるかたちで」変えていく。その営みのほうが、今は尊いと思います。むしろその尊い営み守るために、あえて「外から余計なことしない」のも大事です。
※追記:またおそらく文科省が担当官を神戸市教委に送り込んでくるかと思いますが…。去年、いじめの再調査の前に文科省が担当官を派遣して、アドバイスをして、「その後」にこういう問題が起きていることを「どう見るか?」ですね。担当官がやってきて、いったい、何をアドバイスして帰っていくのかしら? 無意味なアドバイスや見当違いの助言をしてかえって事態を混乱させるくらいなら、「来なくていい」というのも大事な発想です。
(2)具体的に取り組むべき事後対応の内容とは?
事実経過や背景要因の検証と再発防止策の検討。当該の学校の子どもや保護者、地域住民への謝罪と説明。地道な再発防止策の実施を通じた信頼回復の努力。その上での法的対応と被害にあった教員への支援、加害教員の更生への対応。これがいま、神戸での教職員間いじめ問題に必要な事後対応かと思います。
あとは、先ほどつぶやいた事後対応で取り組むことを学校や教委が着実に実施していけるように、マスコミも含めて、他の人びとがサポートをするということ。決して「じゃまだけはしない」ということ。それも大事なことです。
<具体的に被害にあった教員への対応や、当該の学校に通う子どもと保護者への対応は…>
まず、被害にあった当事者がどうしたいか。そこが対応の出発点。そこを確認した上での法的対応です。それが原則。次に、事実関係や背景要因の究明と検証です。それ抜きに学校の再建策について議論することすらできません。またそれがないと子どもや保護者、地域の人たちにまともな説明すらできません。
なお、子どもたちのメンタルなケアは、学校の再建とあわせて、調査検証、再発防止策づくりとも連携させて動く必要があります。そこを原則にしたケアでないと、おそらくうまくいかないかと。子どもたちの学校再建の願いが社会的に反映されるようなケアと調査検証、再発防止策づくりですね。
<逃げない、毅然とした対応が必要という声に対しては…>
問題はその「逃げない、毅然とした対応」の中身です。法的対応は大事ですが、私に言わせれば、こういう場合に対応するべきことの「一部」でしかありません。法的対応以外にもやるべきことが多々あって、それをトータルにコーディネートしていく必要があります。
おそらくこの件は加害教員に何らかの行政処分が出るとともに、刑事や民事の訴訟も提起されるでしょう。でも判決が確定するまで一定の時間がかかります。その間に当該の学校の教育活動を再建し、子どもや保護者、地域の人たちからの信頼回復をどうすすめるのか。その課題があります。
また、訴訟が長引けば長引くほど、被害にあった方の生活に、心身に、かなりのダメージが生じます。そして訴訟後もその被害にあった方の心理面や生活支援の課題はいろいろ続くでしょう。これに誰がどのように向き合うのか。こちらも大きな課題です。
そして、謝罪や反省、更生等々に向けての加害教員への対応も大事になります。また、他の教職員への再発防止に向けての研修、ケア、サポートも必要です。学校現場に対する教育行政の指導のあり方も改善が必要ですね。
※追記:ツイッター上でも少し触れたのですが、刑事や民事の訴訟の提起や、あるいは加害教員への懲戒処分といった法的対応は、確かに重要ではあるけれども、私から見ると「事後対応」のなかの一部のことにすぎません。それ以外にも数々の「やるべきことがある」というのが実情です。法的対応のことでもめているあいだに、他の「やるべきこと」がおろそかにならないように注意が必要です。
(3)教育関係者には、「自分だったら、どのようにこの問題が起きた学校の再生を引き受けていくのか?」を考えてほしい。
少なくとも私のまわりで学校や教委の取り組みにかかわる可能性のある方(研究者、専門職、教組関係者含む)は、神戸で起きている諸問題について「自分だったらこのあとの対応どうするか?」と考えてほしいです。起きた問題に対して、怒りに満ちたツイートしている場合ではないと思うんですよね、我々。
外から「けしからん」と怒ったり非難するだけでなく、そこから一歩踏み出して、実際にその問題のある学校や教委に誰かが入り込み、しんどさを共有しつつ、いっしょに課題を解決する作業をしなければ、その学校も教委も変わらないよなあとしか、いまの私には思えません。
少なくとも私は神戸を含む兵庫県内、さらには近畿各府県の学校や教委に、なんらかのかたちで研修や有識者会議等でかかわる可能性があります。怒りに満ちたツイートしてる場合ではなく、自分が実際に動いて、その起きた問題について実務的に動く可能性のある立場にあります。なので見方が異なります。
※追記:ほんとうに私、神戸市教委で教職員や指導主事対象の研修をしたこともありますし、兵庫県内(神戸を含む)の教組関係者との学習会等にも顔出したことがありますし…。こんな感じで、常に何かあったら手伝うぞ、どこかで市教委や学校、教組を支えるとりくみを「やらなきゃ」と思いながら、連日、私は情報発信を続けているわけです。
(4)あえて「負の感情の渦巻くところ」から「距離をおく」ということ
というか、教職員間いじめの問題でいえば「けしからん!」ということは「当然」。でも、今後早急にどのように当該の学校の教育活動を再建して、子どもや保護者、地域の人たちとの信頼回復に努めていくか、そこを考える必要はあるかと。少なくとも私は怒りをSNSでぶちまけている場合じゃないですから。
組体操(組立体操)や教職員間いじめの問題等々、学校で起きている出来事について、いまはSNS上で発信された「負の感情」を帯びた話や「過剰な善意」に満ちた話からは、できるだけ距離を置こうと思います。その方が解決すべき別の課題やその方法がよりクリアに見えますので。
※追記:この神戸の学校をめぐる諸問題には、多くの人がSNS上で何か「怒り」をぶつける対象を見付けた…とばかりに、とにかく感情をぶちまけているように見受けられます。でも、(3)で書いたように、私はその感情をぶちまけられて混乱する学校や教委、教組をどう立て直すのか、過ちを是正し、信頼回復に向けて動く学校や教委の関係者にどういうサポートをしていくかばかりをいま、考えています。なので、同じような立場に立って、怒りをぶちまけているわけにはいかないのです。人びとが怒ったあとの「その先」を考えないといけない立場に居るわけです。この立場にたつと、「怒り」をSNS上でただぶつけているだけの人の持っている危うさに、いろいろと気づかされます。
だいたい、10月9日のうちにつぶやいたことをまとめて整理しますと、以上のとおりです。これを今後、参考にしていただければ幸いです。
あと、拙著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)も、ぜひこの機会にご一読ください。こういう事態が生じたときの対応のヒントになることを、一応、自分としては書いたつもりですので。