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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日提出予定の調査報告書を読む前に言っておきたいこと(神戸の教員間いじめ問題関連)

2020-02-21 09:20:56 | 受験・学校

神戸市総合教育会議が10月17日付けで出した「今後の方向性」に「対案」を出してみる

上記は自分が去年(2019年)10月18日に書いたブログ記事です。今日(2020年2月21日)午後に、神戸市教委の弁護士主体の調査チーム(市教委はこれを「調査委員会」と呼んでいますが)の報告書が出るようなので、あらためて去年の10月時点で自分が書いたことに照らして、この「教員間いじめ」の弁護士主体の調査チーム報告書を「読む」ポイントについて述べておきます。

<1>「評判リスク管理」主体の対応はいまもなお続いている。でも、それでいいの?

私は当初から、去年10月時点での神戸市総合教育会議の出した対応方針は、「『とにかく、加害教員の処分を一日も早くやってしまって、世論を鎮めてしまおう』という思いばかりが先行している」と見てきました。そのことは、上記のブログ記事にも書いています。また、別のブログ記事で、学校や教委へのバッシングを鎮めるような対応(事態の沈静化)について、「評判リスク管理」という言葉をつかったこともあります。この「評判リスク管理」型の対応が、今もなお神戸市教委の対応の基本にあることは、この調査報告書が出る時期を考えていただければ、とてもよくわかります。

たとえば今日の午後に記者会見をして、調査報告書の概要等を公表したとします。あしたから三連休ですから、新聞やテレビなどのマスコミが記事にしたり、番組で伝えたりするのは、平日とは異なるトーンで行われることになります。その分、SNS上での混乱を含めて、去年10月の激辛カレー映像をマスコミが配信したときのような「騒ぎ」は静まります。また、この時期に調査報告書を出して、3月の予算議会が行われている間に懲戒処分を行い、市議会に報告すれば、「この問題は年度内に解決した」という説明をする余地が生まれます。

要するに、どうしても社会的反響を呼んだ事件である以上、マスコミ等の注目をある程度まで集めるのは避けられない。でも、そのマスコミ等の注目ができるだけ小さくなる時期を選びつつ、なおかつ「年度内に解決した」とも言いうる時期を選ぶ。そうすると、この2月後半の三連休というタイミングがベターだという話になる。そういう推測がなりたつわけですね。

ついでにいうと、当初、この調査報告書は年末に出す予定だったのが、市教委からの資料提出漏れがあって、調査が年明けにずれこんだことになっています。「年末に出す」というのもおそらく、「年末年始の休み」前に報告書を出して、マスコミ等の注目が一定集まるとしても、正月休みのあいだにその注目は「沈静化される」という見通しがあったのではないか…と思われます。

「そういう『評判リスク管理』的な対応ばかり続けていても、本質的な課題の解決にはつながらない」

少なくとも、私はそのように思っています。それが、次の<2>で書くことにつながります。

<2>本当に神戸の教育界の再生や傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民への支援という視点に貫かれた報告書になっているのか?

以下の文章は、上記の去年10月18日付けのブログに書いたことです。そのまま引用します。

「その一方で、被害にあった教員へのサポートや当該の学校に通う子ども・保護者への目配りは不十分です。これでは、地元の保護者や住民は動揺するでしょうし、そういう動揺するおとなたちに接して子どもも不安定になってしまうでしょう。被害にあった教員の方も、神戸市側がいう「ケア、ケア…」に対して、さまざまな思い(不信感や憤りを含む)を抱くかもしれません。

これに加えて、神戸市として当該の学校の教育活動の再建をどのように考えているのでしょうか? そこについても、具体的なプラン作りの芽すら今は見えていないような状況ですね。それでいいのでしょうか…。」

このように、私は当初から「加害教員バッシング」という「事態の沈静化」のための対応優先で、実際に被害にあった教員への支援や、当該の学校に通う子ども・保護者への支援、そして当該の学校の教育活動の再建などに対する目配りの弱さということを、この間の一連の対応には感じておりました。

もちろん神戸市教委あたりは「当該の学校には臨床心理士を派遣して、心のケアに努めている」とかいうのでしょう。でも、ほんとうに当該の学校の子どもや保護者が求めているのは、「心のケア」なのでしょうか? 

たとえば、先日放送されたNHKのドラマ「心の傷を癒すということ」の安医師といいますか…。このドラマのモデルになった亡き安克昌さん(精神科医)は、阪神淡路大震災発生後の「心のケア」について、次のようなことを述べています。

「回復に向けて生きる人々を、敬意をもって受け入れる社会をつくること」

「世界は心的外傷に満ちている。“心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」

「専門家の心のケアを超えて、政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元まで、さまざまなレベルでの『ケア』を考え、実現することが必要なのだ」

(以上は、安克昌『心の傷を癒すということ(新増補版)』作品社、2020年から引用)

あえて率直な言い方をしますが、現在、神戸市教委が当該の学校の子どもや保護者、そして地域住民に対して行っている対応のなかに、このような「政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元」に至るまでのケアや、「回復に向けて生きる人々を、敬意をもって受け入れる社会をつくる」という思想・理念はあるのでしょうか? むしろ「心のケア」を派遣された臨床心理士任せにしすぎてはいないか、そのような危惧を私は抱いてしまうのです。

同様に、今後の神戸の教育界の再建にむけて、市教委なりにいろんな取り組みをしようとしていることはわかりますが…。でも、先日、次年度予算案の提案で語られていたような「監察課」や「地区統括官」のような部署・役職の設置は、上記のような「政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元」に至るまでの「ケア」という発想にもとづいているのでしょうか? それとも、あいかわらず「事態の沈静化」路線を前提とした「予防策」のような発想で位置づいているのでしょうか?

私としては、当初から弁護士主体の調査チームがつくられて、「教員間いじめ」の調査・検証作業が行沸得ると聴いたその時点で、「これは神戸の教育界の再生や、傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民のケアにつながるものには程遠い報告になるだろうなあ」と思っていました。なので、実際に報告書を手にしてみないとわからないものの、この点については今の時点では「期待できない」と思っています。

ただ、それでもなお、弁護士主体の調査チームが自分たちに足りない議論を自覚して、たとえば独自に教育学の研究者や精神科医、臨床心理の専門家などの意見を聴いて、この点についての検討や提案をまとめていてほしい。そういう願いは持っています。

いま、本当に神戸の教育界の再生に必要なことは、なんですか? 私は、傷ついた教職員や子ども、保護者、地域住民が、「ここからなら、もう一度、学校を再生するためにがんばれそうだ」と思えるなにか展望を示すことだと思っています。弁護士主体の調査チームであったとしても、自分たちには足りない部分を自覚して、そういう「展望」につながりうる知見を他の領域から補足して、できるだけいい内容で提案をまとめる。そういう調査報告書がでてくることを期待しています。

<3>法学的なリスク管理(訴訟リスク管理)の論理がどこまでオモテに出てくるか?

ところで、今日の午後に出される報告書も、上記<1>のように「加害教員バッシング」をとにかく「沈静化」させ、「終わらせる」ということを前提にすると…。

おそらく弁護士主体のチームは、教員間いじめで被害にあった教員から申し立てられた出来事を前提に、「加害教員」と名指しされた人々や周囲の教職員(管理職含む)らに事情を聴く。その上で、ひとつひとつ確認できた「加害」の事実に対して、それが懲戒処分に相当するものなのか、相当するとしたらどの程度(免職・停職・減給・戒告)の処分が妥当なのか。そういう判断を示していくことになると思います。

また、その事実確認や判断を示すにあたっては、たとえば「加害教員」と名指しされた4人の側から2人、現在、分限休職処分・給与差し止めという市教委の対応に異議が出されていることを前提にして、弁護士主体の調査チームはさまざまな作業を行うことになるでしょう。この報告書の内容は当然ながら、その異議申立てに関する別の会議体での議論にも影響を及ぼすことになるので。

ちなみに、事実確認の結果、当然、4人のうちにも「加害」行為の程度や頻度などに差があったということになれば、はたして上記の分限休職処分や給与差し止めという市教委の対応に妥当性があったのかどうか。また、市長がこのような対応を総合教育会議を通じて積極的にリードしてきたことにも、妥当性があったのかどうか。そこも大きく問われることになるでしょう。そして、「不利益処分を行った」ということになると、今度は「加害教員」と名指しされた教員の側から、市教委を相手に訴訟が行われることにもなりかねません。そうなると、「評判リスク管理」に加えて、「訴訟リスク対応」も含めた方向性を示すことが、この調査報告書の主たる内容になると思います。この「訴訟リスク対応」を念頭においた記述などが、この報告書でどこまで出てくるか。そのことも、私としてはとても気になるところです。

なお、ここであらためて言っておきます。どれだけ<1>の評判リスク対応や、<3>の訴訟リスク対応を念頭において調査報告書がまとめられても、神戸の教育界にとって、あるいは傷ついた教職員や子ども、保護者、地域住民にとっての本質的な課題は、<2>のところにあります。

したがって、この<2>のところで私から見て妥当性のある報告書でない限り、やはり今回出される調査報告書については「ものたりないな~」とか「不十分だなあ~」とか、「検討が浅いなあ~」等々、いろんな批判をすることになります。

なぜそうなるのか? それは、「教員間いじめ」問題について「なにが本来、解決すべき課題なのか?」という「課題意識がちがうから」です。教育行政、さらには市長に批判の矢が飛んでこないようにする(=評判リスク管理)や、あるいは訴訟で責任を問われないようにする(訴訟リスク管理)ことが「課題」なのではなくて、私は被害にあった教員も含めた「傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民のケア」そして「神戸の教育界の再生」ということを「課題だ」と考えているからです。

そしてもう一つつけくわえるならば…。「加害教員」と名指しされた4人の教員の「その後」の対応(たとえば「立ち直り」(更生)への支援)も重要な課題です。ここもいま、まったくといっていいほど議論がなされていないのが、たいへん気になります。「処分したら、はいおわり」というのは、教育行政や市長の側、そして、そういう教育行政や市長の対応を積極的に後押ししてきた「世論」の御都合でしかありませんので。その人たちが今後の人生設計をどうつくりなおして、どのように「やりなおし」をはたしていくのか。これも大きな課題なんですが、でも、その課題、誰が拾うんですかね?

また、忘れてはなりませんが、先日亡くなった市教委の係長さんの死に至る事実経過の確認や背景要因の調査も、神戸市教委としてはぜひともすすめてほしいところです。もしもこの「教員間いじめ」の事後対応の過程で特定の市教委職員に重圧がかかったり、あるいは上層部からのパワハラなどが行われたのであれば、それもそろそろきっちり調査・検証を行って、事実と背景要因を確かめ、是正を図らなければなりません。いわば市教委幹部や市長らによる「評判リスク管理」や「訴訟リスク管理」的な「危機管理」が行われるなかで、市教委事務局内に別の「危機」が生まれて、そこで亡くなった方が出たとも考えられるわけです。だとすれば、市教委幹部や市長らによる「危機管理」の内実を問わなければいけません。市長や市教委幹部には、あなたたちも問われるべき「組織風土」の一部だ、とあらためて言っておきたいです。この点も、そろそろ、誰かが注目して議論をすべきことのように思います。

 

 

 


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