2019年度に入って久しぶりのブログ更新になります。
実は大学での仕事も多々あったのですが、この間、大阪市内や地元・西宮で、自分の知り合いの地方選挙の候補者を応援する活動(以下、ここでは「地べた」の取り組みと呼びます)にかかわっていました。
ただ、おかげさまでなんとか、どうにかこうにか、このたびの「地べた」活動も無事に終了することができました。この間、お世話になったみなさんに、感謝します。
さて、その「地べた」活動のなかで考えたことを手短にまとめますと・・・。
「自治の担い手としてのおとなの学びの復権」あるいは「おとなが市民になるための学びの大切さ」ということ。
・・・ということになるでしょうか。
このたびの地方選挙、特に大阪での「地べた」活動での取り組みのなかで、「おとながもっともっと、自分の暮らすまちの諸課題について学んだり、考えたりする必要がある」ということ。そのことをあらためて痛感しました。
それこそ、「自治の担い手としての市民」として暮らすのか、それとも「上からの統治や操作の対象」として暮らすのか、そこがこのたびの地方選挙、特に大阪では問われているように思います。
自分たちが暮らすまちの課題を自分たちで気づき、どうすれば解決できるかを考え、アクションを起こす。そのアクションを自治体行政がさまざまな施策を通じてバックアップする。また、そのバックアップのために必要な施策を、まさに住民たちが自ら行政に対して実現を求め、働きかける。
そういうことのできる「自治の担い手としてのおとな」が育ってくるようなまちでは、ある会派の誰かが数値をごまかしたグラフやパネルを作って情報操作しようとしたり、あるいは首長がマスメディアに自分たちに有利な情報ばかりを流そうとしても、それに対する批判の動きが住民側から起きてくるでしょう。
また、いろんなところで不調和、矛盾を抱える自分たちのまちを、まさに「地べた」でひとつひとつ課題を見つけ、解決していけるような、そんな「自治の担い手としてのおとな」が育つと、そういうおとなの影響を受けて、きっと子どもや若者も「自治」に関心を持つのではないかと思います。
そして、「自治の担い手としてのおとなの学び」は、学校教育でのさまざまな子ども・若者の学びとも接続されるべきでしょう。また、大学や短大などの高等教育機関も、「自治の担い手としてのおとなの学び」を支える重要な場だと私は考えています。
思えば私、大阪市(後に府も)の子ども施策や教育施策とのかかわりは、当時の青少年会館事業を中心とした社会教育・生涯学習の領域からはじまりました。今は西成区の学校の課題や、大阪市内の保育所の事故防止の課題に取り組んでいますが、大阪の社会教育・生涯学習の領域にも、当時から強い関心を抱いてきました。
でも、この十何年かの間、大阪市や大阪府内の公的な社会教育・生涯学習の諸事業や諸施設は、どんどん縮小・統廃合を余儀なくされてきました。もともとこのブログ「できることを、できる人が、できるかたちで」も、大阪市の青少年会館事業が廃止されたあと、あれこれ思う事を書きたいと思ってはじめたものです。
いまからでは遅いと思う方もいるかもしれませんが、でも「気付いた今から始めないといけない」と私は思うので…。なので、この選挙の結果が出たあとも、引き続き、大阪の「自治の担い手としての学びの復権」という課題―それは社会教育・生涯学習の課題でもありますが―に、学校や保育の諸課題とともに、できる限り、取り組んでいきたいと思います。
また、公的な社会教育・生涯学習の諸事業・諸施設が復活するのが望ましいですが、そこまで至らなくても…。たとえばまちの中にある小さな喫茶店や民家の一角、ビルの空きスペースではじまったおとなたちの学習会や、あるいは定期的に誰か研究者・専門職を呼んでまちづくりの課題を考えているような大きな集まりまで、「できることを、できる人が、できるかたちで」取り組んでいることを、私なりにサポートしてみたいな~とも思っています。
以上、選挙結果が出る前に言うておかないといけないように思ったことなので、大急ぎで書いておきました。