「指導死 原因調査の徹底要請 遺族でつくる「親の会」が文科省に」(毎日新聞ネット配信記事、2016年10月3日)
http://mainichi.jp/articles/20161003/ddm/013/100/013000c
私はいつも思うんですけど・・・。
(まあ、『「指導死」』という本の執筆者のひとりですから、立場上この話には何らかのコメントをしなくちゃいけないわけですけどね)
いまは文科省や地方教育行政、学校現場の側もさることながら、法学(=弁護士ということですけど)、心理学や精神医学、そして教育学系の「専門家」と称する人々が、この「指導死」親の会のご遺族からの問題提起を重く受け止めないといけませんね。
というのも、すでに子どもの自死に関する背景調査の指針が文科省から出ています。
これを活用して、子どもの自死事案について「その背景に学校の指導が何らかの形で関与しているのではないか?」と疑われるケース、つまり「指導死」が疑われる事案については、ひとつひとつ、その「指導」のありようを調査・検証していかないといけない。
そして、その調査・検証作業の「実務」を担っているのが、まさに心理学や精神医学、教育学、法学(=弁護士ということですが)などの「専門家」です。
でも、この各領域の「専門家」諸氏が、「指導死」というご遺族からの問題提起を受け止めきれていないのが、いま、調査・検証実務の「現場」を脇から見ていて思うことです。
そして、他の重大事故・事件の事例でもそうですけど、遠く離れたところから、誰かが書いてくれた資料(たとえば判例とか事故報告書、スポーツ振興センターの災害給付データ等々)を手がかりに、この事故・事件はああだ、こうだという専門家は多々います。
そのこと自体は「岡目八目」的に見えることも多々あるので、全く意味がないとは思いません。
でも、今、必要なのは、たとえば、こういう「指導死」が疑われるような事案であれば、それの起きた「現場」にきっちり向き合って、しんどい調査・検証作業を担いきるだけの力量のある「専門家」だと私は思っています。
そういう「専門家」の数が早急に増えてくるのでなければ、いくらご遺族から「調査・検証作業の重要性」や「それを実現する制度の必要性」とか問題提起され、政治的な動きのなかでそれが実現しても、せっかくの立派な制度が「担い手の問題」で崩れ、「絵に描いた餅」にしかなりません。
そして、そういう「専門家」が増えなければ、私、いつまでたっても忙しくてしょうがない・・・。
だから私、前々から言ってきたように、学校現場や教育行政、文科省もさることながら、同業者たる「専門家」の頼りなさに、ほんとうに今、見ていて「しんどいな~。どないしたらこの人たちのレベルアップ、はかれるんや?」と途方に暮れる今日この頃です。
とはいえ、そのレベルアップ作業を「誰かがやらねば」と思って、「しつこく、しぶとく」ものを言うつもりなんですけどね・・・。
※この「指導死」の話を含めて、学校事故・事件について私が語る公開講座が、勤務校・京都精華大学で開催されます。詳しくは下記のページもしくは画像を参照してください。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/garden/2016/late/lecture_sumitomo2016/
なお、開催に最低必要な人数の受講希望者が集まらない限り、閉講になる可能性があります。
開始10日前(10月18日)までにその人数をクリアしてほしいので、できるだけ早め早めの申し込みをお願いします。