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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

2020-05-13 20:43:33 | 受験・学校

「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

以下に書いたことは、先ほどフェイスブックに書きこんだことです。結論は上記の赤字部分の内容なんですが、どうしてそういうことを思いついたのかは、この下記の内容を読んでいただければわかるかと思います。

もうこの際、学習指導要領も教科書も、全部捨ててしまえ。そんなもんがあるから、見なければいけないものが見えなくなるなら、破いて火つけて燃やしてしまえ。

今、大事なのは、目の前の子どもたちの「生きよう」という気持ち、「こんなたいへんな世の中だけど、それでも暮らして行かなきゃ」という思いに、おとなとしてどう向き合うかということ。ただ、それだけでしょ?

だから学校のとりくみも、とりあえずいま、登校できて、目の前にいる子どもたちの様子を見ながら、その子どもが教職員という名のおとなとともに「やりたい」と思うことだけできたら、それでよし。

当分の間、学習指導要領も教科書も全部無視して、小・中学校も高校も、支援学校も幼稚園も、子どもとともに教職員が毎日、その日その日を精一杯、いっしょに生きようという取り組みをやれば、それでよし。

逆に、そういう学校運営やって困るのは「決められたことを、決められたとおりに教えなければならない」という固定観念にとらわれた「おとな」だけ。別に子どもは何も困らないんじゃないかな?

大学だって同じ。次年度入学予定の学生たちに何かたりないものがあれば、大学として責任もってリメディアル教育やればいい。

別に文科省に限らず、地方教育行政でも、学校現場でも、ひとりひとりの教育関係者がこういう「覚悟」をさっさと決めたら、9月入学がどうのとか、ネット配信授業がどうとか、そんなこと「ど~でもええ」としか思わなくなるんじゃないですか?

すでに私はその「覚悟」決めて、これから先のことを考えていきたいと思っています。(といっても、気力体力の続く範囲だけですけどね)

ついでにいうと、私、中3の約1年間、不登校ですよ。学校に行って、まともに勉強してない。もちろん、基礎的な学力形成の差っていうものもあるとは思う。

ただ、それでもその不登校の1年のあと、4年間、公立の通信制高校に行き、大学、大学院に行き、今があるわけですよ、私。

だから「たかが1年間くらい学校が休みになって、じたばたすんなよ、ほんまに。その学習の遅れを取り戻す方法くらい、どうとでもなるわ!」と言いたいです、ほんまに。

<参考> このフェイスブックの記事やブログの記事を書く前に、下記のテレビ局の配信ニュースを見ました。「しょ~もな~文科省。そこまで言うんやったら、一日も早く、教科書も学習指導要領も捨ててしまえよ。そうしたら学校現場はもっと楽に学校再開、やれるぞ」としかいいようがありません。

小中教育課程“数年かけ学習遅れ取り戻す” (日テレNEWS24 2020年5月13日10時58分配信)


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