今日は1月17日(金)。阪神淡路大震災が起きてから30年目、ひとつの節目です。神戸生まれの神戸育ち、いまは西宮市内在住の私にとっては、いろんなことが思い出される一日です。なにしろ阪神淡路大震災が起きた1995年の1月17日は、私の修士論文の提出日でもありましたから。ちょうどこの30年は、私の研究者生活の30年とも重なりますね。
そんな30年目の節目の今日。私は「学校安全論」(後期、金曜1限)の授業で、東日本大震災のときの女川町の中学校での教育実践についての話をしました。被災した生徒たちが国語の教員とともに「俳句」づくりに取り組んだこと、社会科の教員とともに「女川のまちの復興」について生徒が考え、町会議員や町長などに提案したこと、等々。大きな災害で被災したあと、悲しいこと・つらいことを受けとめつつ、そこから生徒たちが教職員の支えを得ながら、どのように「その後」の暮らしと学びをつくっていったのか。そういう話をしました。ちなみに、このときの中学生たちがのちに、女川町内に「いのちの石碑」をつくるプロジェクトを始めるんですよね。「災害のあとの復興に教育がはたす役割」について考える機会を、今日は学生といっしょにもちました。
それから、同じ「学校安全論」の先週の授業では、阪神淡路大震災のあと、神戸や阪神間の学校で活動した「復興担」(教育復興担当教員)の話をしました。とかく精神科医や心理職による「こころのケア」が注目されますが、実は阪神淡路大震災のあとの被災地域の学校では、心理職や精神科医による子どもの「こころのケア」と連携するかたちで、「復興担」が日々の子どもの様子を見守り、適切な支援を行ってきました。時には学校に通いづらくなった子どもたちの様子を見るために、学校から遠く離れた場所に建てられた仮設住宅まで家庭訪問をするようなことも、この「復興担」の人々は取り組んできました。あまり知られていない話ですが、この「復興担」の取り組みは今後の災害発生後の子ども支援においてさまざまなかたちで参考にされるべきことでしょう。
そうそう、兵庫県教委には阪神淡路大震災のときの避難所運営や子ども支援のノウハウを活かして、各地の災害発生時の学校支援に取り組む「震災・学校支援チーム(EARTH)がありますね。兵庫県内の教職員のなかから何人かがこのEARTHのメンバーに指名され、定期的に研修などを行いつつ、災害発生時に備えているとか。また、実際に日本各地で大きな災害が起きたときには、このEARTHのメンバーが兵庫県から被災地に派遣され、学校での避難所運営や子ども支援のアドバイスなどを行っているとのことです。もう25年くらい、このEARTHの取り組みは続いているようで…。こちらもあまり知られてないことかもしれないので、今日はこのブログで紹介しておきます。
こんな感じで、30年目の1・17は、私にとっては「学校安全論」という大学の教職課程科目の授業で、「大きな災害発生後の教育・学校及び子ども支援のあり方」を、学生たちといっしょに考える日になりました。そして私にとっての「30年」のあゆみは、こういう話ができるような教育学の研究者・大学教員になったということでもありますね。