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ムンク展 共鳴する魂の叫び

2018年12月13日 | アート

上野の東京都美術館で開催中の「ムンク展 共鳴する魂の叫び」(~2019年1月20日まで)を見に行きました。ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクの回顧展。オスロ市立ムンク美術館のコレクションを中心に、代表作の「叫び」をはじめ、約100点が展示されています。

叫び 1910年

私が初めて「叫び」を見たのは1980年頃、東京国立近代美術館で開催されたムンク展です。当時はまだそれほど知られていなくて来場者も少なく、じっくり見れたことを思い出します。ムンクの「叫び」は全部で5点あり、今回初来日しているのは最後に描かれた作品です。同じ構図で描かれた「絶望」「不安」も展示され、赤い空が強烈な世界観を放っていました。

ちなみに「叫び」に描かれている男性は、叫んでいるのではなく両手で耳をふさいでいます。先日見たNHKの「日曜美術館」では、男性はムンク本人で、産業の発展で祖国の森林が伐採されることに絶望を感じ、自然が放つ叫び声に耳をふさいでいる...と分析していました。

自画像 1882年

ムンクは生涯にわたり、80点以上の自画像を描きました。本展では自画像と名のつくものだけで11点、自撮りした写真も6点ありました。タイトルになくても、ムンク自身がモデルとして描かれている作品もあるので、それも含めると20点以上はあったかもしれません。

といっても、決してナルシストだったわけではなく、きっとものすごく内省的な画家だったのだろうと思います。しかも自画像は、作品によって別人かというくらい表情がまるで違うのです。上の作品は、ムンクが19歳の時、最初に描いた自画像で、活動をはじめたばかりの青年画家としての自信と野心にあふれています。

しかしその後は、死を意識した絶望の表情だったり、恋人と発砲騒ぎを起こしたあとの苦悶の表情だったり、療養生活を終えた穏やかな表情だったり... 最晩年の「自画像、時計とベッドの間」は、ヒトラーから退廃画家として作品を没収され、祖国を占領され、無の表情が描かれていました。

病める子I 1896

ムンクは、子ども時代に母と姉を結核で亡くしました。死が身近にあったことは、生涯にわたって彼の作品に大きな影響を及ぼしました。初期の頃、病床にいる姉を描いた「病める子」という作品を数多く残しています。

接吻 1895

ムンクは同じタイトル、モチーフで作品をたくさん残しています。自分の作品を ”子どもたち” とよんで大切にし、作品が売れて手元から離れると、同じ作品を描くこともあったそうです。「接吻」も数点ありましたが、上のエッチングの作品はもっともリアルで生々しく感じられ、ドキッとしました。

森の吸血鬼 1916-18

吸血鬼というとドラキュラを思い浮かべますが、ムンクが描くのは女性の吸血鬼。数々の女性と恋愛を重ねたムンク... この作品も女性との命がけの恋愛を吸血鬼に例えたのでしょうか。

マドンナ 1895/1902

艶めかしい聖母のまわりに胎児と精子が描かれ、発表当時物議をかもした作品です。

マラーの死 1907

恋人との発砲事件を題材に描いた作品。ムンクの手が血に染まっています。

生命のダンス 1925

ムンクの絵は、ドレスの色にも意味が込められているそうで... 左の白は”清らか”、右の黒は”拒絶”、中央の赤は”性愛”を表しているそうです。「赤と白」という作品もあり、白いドレスの女性は”純真”、赤いドレスの女性は”成熟”を表していると説明がありました。

星月夜 1922-24

晩年の作品の中から。星月夜というとゴッホを思い出しますが、ムンクの星月夜はキーンと冷たい北欧の空が描かれているように感じます。

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