横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

山手資料館、酒(ビール)とバラの日々

2014-06-24 | 横浜ラブ
山手資料館は、山手唯一の明治時代の西洋館です。


え?山手唯一って?

というのは、明治以前の洋館は大正12年の関東大震災でほとんどが焼失したからです。
今横浜山手にある西洋館は、その多くが震災後、大正末期から昭和初期に外国人の設計によって再建されたもの。
太平洋戦争後はキリスト教団体や、個人の手を経て、
主な6館は横浜市に寄贈、修復あるいは移築され、公共ホールなどを付設して現在に至っています。

その中で異質なのがこの山手資料館(旧園田邸)
では、その歴史をちょこっとご紹介します。
この建物は、明治42(1910)年、牧場主中澤氏の邸宅として同区本牧に建てられました。
横浜市のほとんどが焼失した関東大震災の時は、周囲に植えられた椎の木のおかげで
延焼を免れたそうです。
しかし、
牧場のあった諏訪町(現在の立地から約300m先)の屋敷は全焼。
そこで、焼け残ったこの洋館を移築しました。

太平洋戦争中は、空襲で屋根に飛び火。
危うく焼失するところを学徒動員の学生たちの手で鎮火。この時も焼失を免れています。

終戦後、一時アメリカ軍に接収されたものの、昭和25(1950)年返還。
中澤氏の甥に当たる園田氏が相続し、昭和50(1975)年頃まで管理していました。

しかし、高度成長経済の波によって当敷地内にマンションの建設計画が持ち上がります。
数々の危機を乗り越えてきたこの屋敷もいよいよ取り壊し…。

この話を聞き、
『ぜひ、残したい』と手をあげた人物がいました。
老舗レストラン横浜十番館の先先代会長本多正道氏です。

そして、
現在地である山手十番館の敷地内に、応接書斎として使われていた西洋館の一部を移築再現したのでした。

その際、本多氏は極力原型に近づけようと随分苦労されたとききます。


館内には本多氏が収集した明治時代のガラス器や開港当時の横浜を描いた浮世絵、
開港地図などが展示されています。(有料:大人220円)

この他には山手十番館,馬車道十番館でも、
同氏のコレクションを見ることができます。

玄関部は移築の際、大幅に変更を余儀なくされたそうです。が、このタイルに注目!



保存されている歴史的資料は館外にも点在。

晴れた日にはエントランスに乳母車(ベビーカーではありません)が出ています。


ベビーカーではありません、大事な事なので繰り返します。


そのほか、獅子頭のついた水道栓やガス灯、共立学園創業時の鉄製のベンチなど




そして、隣りの山手十番館に続くローズガーデン内には、もう一つの歴史的遺産が加わりました。
アンネ・フランクのバラ



ただいま山手十番館のローズガーデンでは。毎夏恒例のビヤガーデンが開園中。

そうそう、ビールも横浜発祥。
近くの市立北方(きたがた)小学校には、天沼ビア酒(後のキリンビール)の創始者ウィリアム・コープランドのビール工場の跡。
そしてコープランド自身は、資料館前に広がる外国人墓地に眠っています。