横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

プリズムの朝

2013-01-21 | 日常茶話
ジョグコースで見る朝日


その左に光が雲に反射して、かすかなプリズムができてました。

実際には青や緑、紫色が入っていたんですが、iPhoneでこれがギリギリ…。
彩雲というらしいです。

気象学的には珍しくない現象だそうですが、きれいです。
日が高くなると、あっという間に消えちゃった。

これだから、朝ジョグはやめられない…。




カモメのスウィンギー@大桟橋、横浜市中区のご当地ゆるキャラ

2013-01-20 | 横浜ラブ
出航したぱしふぃっく・びいなす……?おや?


見送りのひとに混じってなにげにポージングする不思議なシルエット。

そういえば出航前のセレモニーでも


ステージにならんでいたり…




ギャラリーと握手したり、結構人気者。



時おり頭の位置を調整…いや、恥ずかしそうな仕草をしているこのキャラクター


スウィンギーといいます。彼は横浜市中区の公式キャラクターです。
この日は、ぱしふぃっく・びいなすの就航15周年記念クルーズが横浜(大桟橋ターミナル)出航を祝して牧野中区長さんと一緒にかけつけたのだ、ということでした。
セーラーハットがチャームポイント。本来はサックスも持ってるはずなんだけど…。
どうやらサックスは落とすといけないので、おいてきた模様。うーん、せっかくだから、楽団と一緒にセッションすればよかったのに…ね。スウィンギー。






行ってみたいな、よそのくに~♪ぱしふぃっく・びいなすインド洋クルーズ出航

2013-01-19 | 日常茶話
横浜港発、ぱしふぃっく・びいなす


大きなクルーズ船です。パノラマにするとこんな感じ

かつて、ZARDがこの船でライブを開催したことで、その名前が知られるようになりました。
日本では2番目に大きなクルーズ船。前長約184m。


知り合いが乗船して、横浜港から出港するというので大桟橋へお見送りに行ってきました。
客船の見送りなんて、ん十年ぶりです。

閑話休題:
小学校に上がったか上がらなかったかのころ、やはり大桟橋から出航する祖父の知り合いの見送りをしたことがありました。
この時、なぜか通りすがりの外国船の船員さんが、ニコニコ近づいて来て、私にコインを握らせて去っていきました。
カンガルーの絵がレリーフになっている銅貨。あとで父に見てもらったら、オーストラリアの50セントでした。
あれは、なんだったのか未だにわかりません…。

さて、出航セレモニーです。
演奏は横浜市消防局のみなさん。


船長、副船長、そしてホテル支配人(なんといってもクルーズ船ですから!)に航海の安全を願って、花束贈呈。



タラップが外されて、
出航の汽笛がなると、甲板からテープが次々に投げられてきます。

以前の見送りの時は、桟橋から船を見上げるような感じでした。
出航の時は、テープが船から投げられる、というより、下に向かって次々投げおとされていました。
今は見送りゲートと、船の甲板の高さがほぼ同じです。その分、桟橋を挟んで距離があるので、相当の強肩でないとテープはなかなか届きません。
半分くらいは桟橋に落ちてしまい、係の人が拾って束ねていました。


船上からのアナウンスでいよいよ出航。
船からは
「ハッピー!!」の大合唱。
見送る桟橋からは
「セーリング!!」と応えます。
再び汽笛。

そして風船が…










船の出港って、やっぱり特別な感じがします。

行ってらっしゃーい。
良い旅を!!

みんな、なかよし?!横並び??

2013-01-18 | 日常茶話
庭の水道管が凍ってました!


今日も冷たかったー!
私の住む横浜の沿岸部は、内陸部よりも1、2℃気温が高いので滅多に雪もつもらないのですが、
ここ数日は本当に冷たーい。

土日はいよいよセンター試験ですね。少子化とは言え、競争の条件は同じ。
希望を叶えるのは自分。
道は自分で切り開かなきゃ、ね。みんな一緒にゴールインはできないんだよ。
そもそもいちばんのライバルは自分だもんね。
体調に気をつけて、ファイト、オー!!

ところで
街でみかけた、一般住宅の壁に貼られたポスターのこんなレイアウト。

主義主張の違う政党が横一列に並んでいるってちょっと不思議。
政党のポスターって、張り出す際に何か規則があるのかしら?
ポスター本体のデザインも…なんというか…
競っているというにはあまり主張も……写真入れ替えても…ゴニョゴニョ…。


孤高の主張者。

忘れないよ、阪神淡路大震災~東日本大震災

2013-01-17 | 日常茶話


今日は阪神淡路大震災から18年です。
あの日、朝いちばんのニュースで目に飛び込んで来たのは、火の手が次々に上がる神戸市内の映像でした。
第一報はラジオの方が早かったような記憶があります。
どちらにしてもとても現実とは思えず、暫く呆然としていました。

18年といったら、おぎゃあと生まれた赤ん坊が高校を卒業するまでの時間です。
先日ニュースレポートで、阪神淡路大震災関連の孤独死が未だ続いていると伝えていました。
失ったのは形あるものだけではありませんでした。むしろ、形のないものの方が多いかもしれません。

そして一昨年3月の東日本大震災。

東北被災地の老人のつぶやき
『ボランティアさん、何時まで来てくれるの?忘れないでね。』

悲しみが大きすぎて、未だに泣くこともできない人が大勢います。
忘れられてしまうのではないかという不安と諦めが、被災地の復興の気運を押しつぶそうと狙っています。

冒頭の写真は、長野新幹線でみつけたお掃除プラカード。
東北を応援している、一緒にがんばろうという意味です。

東日本大震災からずっと続けているそうです。


私たちにできる事のひとつは、忘れない事。
忘れないで。じぶんできるボランティアをつづけること。そういえば、
ボランティアという意識が市民レベルで根づき始めたのは、あの阪神淡路大震災からでした。

ひとりひとりの力は小さくてもそれが積み重なればきっと、大きな力になると信じたいです。




崎陽軒のシウマイ弁当

2013-01-16 | 横浜ラブ
おなじみの黄色い包装紙。

先日友人がアップした写真を見たら、無性に食べたくなってしまった!


駅弁と言ったら、崎陽軒のシウマイ弁当です、奥さん!


シウマイはもちろんですが、私が好きなのはこの、お魚。

お弁当のお魚、と言ったら鮭でもサバでもなく、崎陽軒のこのお魚(名前は知らない…と思ったら、鮪だそうです。)

そしてこのアンズ。


その昔、ひとつのシウマイ弁当を妹と半分こに、と言われて、このアンズの取り合いに…。

バランの向こうのタケノコも捨てがたい…。
お醤油差しはプラスチック製になったけれど、私にとってのお弁当の原点でもあります。

ごちそうさまでした。

そうそう!
シュウマイじゃありませんから、シウマイですから。

横浜あるある?平成4年生まれの新成人

2013-01-14 | 日常茶話
雪が降る北の街を旅しています…。


ちがいます。ここは横浜市中区。いわゆる300万都市の中心部。市営バスチェーン装着して走ってるし…。


本日は1992(平成4)年生まれの成人式でした。
彼らはいわゆるゆとり教育の最後の卒業生。『横浜あるある』のタグで、新成人がtwitterでつぶやいてました。
『バブル崩壊してすぐに生まれ、頼んでもいないのにゆとり教育を受け、高校の入学式は台風、修学旅行はインフルエンザ、卒業式後すぐに地震がきて卒業イベントは中止、大学の入学式は自粛ムードでなくなった1992年生まれの皆さん!14日の成人の日は暴風雨だよー☆』
思わず笑っちゃった。暴風雨通り越して大雪になっちゃったしね。

確かに彼らの学校歴にはどうにもならないアクシデントが節目節目にありました。
でもそれを何とかやりくりして乗り切って来たわけだから、決して「運が悪い」とか、「しかたない」とか考えないでね。
むしろ、これからの人生のイベントはそれぞれ自分でつくっていくわけだし!

ともあれ、がんばれ新成人、1992年組。

寒いので、あたちはここからおうえんちう。

落とし物だよ、おっ母さん…いや、おとっつあんか?

2013-01-13 | 日常茶話
遭難していた魔法使い


横浜駅の東口地下街ポルタのメイン階段下(広場に向かって左、ポルタポイントカード金券発券機のそば)にうつぶせに倒れているところを救出。
ふまれないように、ポイントカード発券機後ろのウィンドウに立てかけてきました。
仮面ライダーウィザードのガシャポンフィギュアです。

買い物中の親を待って座ってた子どもが、呼ばれて急かされて立ち上がったときに落としたか、
ぐずって抱きかかえられた時に滑り落ちたか…

それはそうと、最近は圧倒的にお父さんが子どもを抱っこしてる確率が多いですなー。
冬だし、コートや何やらで持ち物が多いから、落としたのに気がつかなかったかもしれません。

おとした事を子どもやお父さんが、お母さんにしかられてなければ良いけどね。

多分、掃除されるまでは、魔法使いはここにいると思います。
リツィートしてくださったみなさま、ありがとうございました。




スパゲッティ・ナポリタン

2013-01-12 | 横浜ラブ


ところでスパゲッティ・ナポリタンは横浜が発祥だそうです。
第二次世界大戦後、横浜のホテルニューグランドは、7年間アメリカ軍(GHQ)に接収されておりました。
彼らが引き上げたあと、残っていたのが大量の乾麺(スパゲッティーニ)と瓶詰めのトマトケチャップ。
これを当時の総料理長入江茂忠さんが、これらを使ってなんとかホテルの看板料理にできないか?と開発したのが始まりです。(詳細はウェブで…Wikipediaへgo!

子どもの頃のスパゲッティと言ったらナポリタンかミートソースでした。
大体、当時はパスタなんて、いわなかったしね。

余談ですが、パスタというのはピッツァも含めた小麦粉製品の総称です。
スパゲッティはスパゲッティーニという太さ1.6mm前後の麺の種類が日本語変換されたもの、ですよ、お嬢様方。

ナポリタンというのはナポリ風ということで、イタリア人に言わせるとナポリなのになんで魚介が入ってないんだ?
てえことにもなるらしい…。まあ、ナポリは港町だしね。
そもそもなぜナポリタンなのかというと、ナポリの屋台でトマトソース味のスパゲッティーが人気だったということから、
スパゲッティ・ナポリタンと英語で命名されたのだそうです。

でもね、このトマトケチャップ味のスパゲッティは時々無性に食べたくなります。
給食でも人気のメニューだったな。
小さいうちは口の周りがケチャップで、くわんくわんになるのが、なんともうれしたのしいね。
周りを汚さず上手に食べられるようになると、ちょっと大人になった気分でした。

最近横浜に日本ナポリタン協会なるものもできたそうです。興味のある方はこちらをごらんください。