横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

さまよえる帝蚕倉庫一号館

2013-06-20 | 横浜ラブ
横浜は日本の中では歴史の新しい町です。京都約1,000年、大阪約600年、東京(江戸)約400年。
横浜はやっと150年。

開港当時~明治時代の建物は、殆どが関東大震災で崩壊、焼失。
市内に現在残っている歴史的建築物の大部分は、大正12年以降復興事業で建設されたものです。
その後、第二次世界大戦の横浜大空襲で中心部は再び被災。

1989年の横浜博覧会を機に始まった横浜市の港湾部再開発計画は当時の好景気を背景に加速する予定でしたが、まもなくバブル崩壊。
日本全国が長い不景気の時代に突入します。
現状を把握しきれず、無理をした(私見です)開港博150は大失敗(失礼、これも私見です)。
横浜市の赤字は更に膨らみました。

その中でも横浜市は、都市開発計画をすすめるにあたって、何とか残った建築物をできるだけ現代に活かして残す方針だったのです。
大正から昭和初期の横浜の建築物は関東大震災の教訓もふまえ鉄筋コンクリート造りですが、構造的にもデザイン的にも近代建築の雄たる作品が多いため、市民の中からも解体を惜しむ声も多かったこともありました。


かつての生糸検査場のあった北仲通一帯。ここは戦前の横浜の中枢であった生糸貿易の拠点でもあったところです。

ランドマークに向かって、右側が北仲通再開発地区。

平成20年、市はここにの残されたかつての帝蚕倉庫群の保存方針を打ち出しました。
いちばん古い一号館(設計者・遠藤於菟<おと>、赤いレンガの建物二棟のうちの奥)は、いったん解体して移転保存(曵屋)する計画でした。
手前は帝蚕倉庫の事務所棟。こちらは保存北仲brlckとして活用中。

ところが先日一転、解体へと方針を転換。
神奈川新聞4月25日付記事参照

わずかひと月後には、解体を正式決定。
『当初の計画では市のまちづくりガイドラインに基づき、倉庫を曳屋という特殊な手法で移動させて保存し、生まれたスペースに超高層ビルを建設するものだった。
それが倉庫の解体へと一転した理由として、事業者の森ビルと丸紅は24日夜に市内で開いた地元向け説明会で、東日本大震災で内部の壁が剥がれるなどの被害もあったと説明した。』
神奈川新聞5月25日付記事参照
曳屋の施行例。横浜アイランドタワー

旧横浜銀行本店別館の下層部を残し解体。残された下層部を数十メートル移動し現在の横浜アイランドタワーの一部に。

問題の帝蚕倉庫の一号館は
現在はシートで覆われ、関係者以外は近よれません。
大岡川を挟んで汽車道から見た一号館。

対岸のブリーズベイホテルから見た一号館。


11月までに代案がでなければ、このまま現所有者の森ビルの方針に従い、解体され、跡地には高層ビルが建つことになるそうです。



遅かった……。

2013-06-18 | 日常茶話
朝は忙しい。時間勝負。
朝ご飯だけでなく、お昼のお弁当も同時進行。

で、
サンドウィッチを夢中でつくっていたら、

スライスチーズのところで


!!!!?



いちいち読んでなかったわ。

あーそう、開け方が新しくなったの、ヘーー(汗)



ははははは…。

カラス、なぜ鳴くの?

2013-06-17 | 日常茶話
ある日のカラス。


「ご飯みっけ!」


「よいしょ!」


「よいしょ、よいしょ!」

<このあと、通りすがりの人に追い払われる>

<人、通り過ぎる>


「ねばーぎぶあっぷ!」


15年くらい前、Addidas(か、Nike)が世界の都市をテーマにスニーカーをデザインしたことがあったのよ。
たとえばLondon(イギリス)は鮮やかなブルーにユニオンジャック、Sydny(オーストラリア)はグリーンにクローバーだったかな。
で、Tokyo(日本)は?気になるでしょ?

なんと!

その時のTokyoカラーはブラック。よくみると、カラスのシルエットがエンボス加工して一面に。
これにはちょっとビックリした。そこまでTokyoのカラスの印象が強いとは!
言っておくけどこれ、15年くらい前の話です。

昨日ダーウィンが来た!でカラスの特集やってました。
カラスは普通の鳥の2倍の大きさ脳がある。
犬よりも賢く、猫よりも用心深い。
食べ物を余分に確保したら、ちゃんとしまっておくこともできる。
子育てにはことのほか熱心。
都市のカラスの種類はハシブトカラスという種類。

カラスは目下、都市で増殖中。なんといっても原因は人間の出す生活ゴミ。
都市のゴミ問題のを語る時、カラスを抜いては語れなくなっているのは現実。
向こうは生きるために必死に進化したんだから、
今度は人間が彼らの習性を知った上で、本気で住み分けを考えなきゃいけないよ。





梅干しをつけてみるなり!その1

2013-06-16 | 日常茶話
今年の梅はよい梅だったので、3kgちょっと実家からお福わけ。
その中でもキズが少ないもの約1kgを梅干しにしてみよう!と思い立ったが吉日。


ビンやら重しやら用意しなくてもできる方法を入手。
NHK きょうの料理 2013年 06月号 [雑誌]
NHK出版

早速やってみたなり、よ。

青梅を流水で洗って水気を良くとり、へたを竹串できれいに取り除く。これ大事!!
そのあと、梅の重さの17%の塩(海水塩)をまぶして、梅酢をあげるんだけど
この時活躍するのがジップロックの大サイズ
ここに塩と梅を入れて平らに広げ、口をきっちり閉じ、毎日一回ジップロックごと裏返し
重しにペットボトルをのせて約10日。

こんな風にしっかり梅酢が上がりました。

さて、これからシソで赤く色をつけます。

生のシソを使っってもいいのですが、手間を省いてここは市販の塩漬けを使います。

塩漬けのシソを軽く絞って梅の上に並べ、

平らになるようにしたら、

ペットボトルで重しをします。


このまま3週間~1ヶ月、風通しの良い冷暗所で保存。
毎日一回、袋ごとひっくり返して土用干しまで。

さて、どうなりますか。

memo:
梅1kgを平らに入れるためにはジップロックの大サイズが最適。
梅酢があがってきたら、重しを半分にして梅の皮が破れないように気をつける。
市販のシソ漬けのシソ酢は絞っておく。

西前商店街、4のつく日はご縁日。

2013-06-14 | 横浜ラブ

ちょうど通った西前商店街~藤棚第一商店街
6,7,8月の4のつく日は願成寺さん日限り地蔵のご縁日だって。

ここは横浜でも歴史の古い商店街のひとつですが、近年だいぶシャッター商店が増えています。
長いアーケードの所々歯が抜けたように空店舗だったり、空地だったり。ちょっと、切ない。



それでもこの周辺はファミリー層が多いので、子どもの数も結構なもの。
縁日となれば、それなりに賑やか。
昔ながらの焼きソバから、佐世保バーガーまで。
屋台がずらりと軒を並べていい匂い。お客さんもどんどん増えてきましたよ。

梅雨の晴れ間で、よかったにゃ。

子どもたちにダントツ人気は昔ながらの射的。

「それ以上乗り出しちゃだめだよ」
「はい、左手はそこ。右手はそこまで。」

もう、いかにも!っておっちゃんが仕切ってました。
大当たりの景品は、任○堂WiiUみたい、だったよ。(ニヤリ)

次回は24日。

今は昔の聖徳太子

2013-06-12 | 日常茶話


いきなり生々しくてすみません。

近所の八百屋さんで買い物をし一万円札をだしたら、おつりを数えながらお店の奥さんが
「そういえばさっきこんなお札を持ってこられた方がいましたよ。」と。
言いつつ、見せてくれた一万円札が、

な、なんと聖徳太子、でした!!

「(持ってこられたのが)知っている方だったから良いですけど、まったくみず知らずの人だったら、疑っちゃうかもしれませんね。」

たしかに!聖徳太子が一万円だった事を知らない世代がすでにいるはず。
銀行でならいざ知らず、コンビニ辺りでこのお札使ったら、レジの担当によってはひょっとして通報されちゃうかもしれないわ。

だって、聖徳太子が一万円札の図柄だったのは昭和59(1984)年、まででした。

それ以降、福沢諭吉がその座を襲名。
理由は、偽札印刷防止と、より親しみやすい文化人の肖像をとかなんとか…。

目下の一万円札はすでに二代目福沢諭吉、
もちろん一代目諭吉も聖徳太子も日本銀行発行の金券ですから、一万円札として、現在もまったく問題なく使えます。

シャクナゲにシャクトリムシは日本国全圖の夢をみるか?

2013-06-11 | 日常茶話
しゃくとり(尺取り)なんていっても、近ごろじゃピンとこないよねー。尺を取るというのは、長さを測るという意味。

シャクトリムシっていう名前の由来は、その動きがまるで親指と中指をつかって等間隔に長さを測っているようにみえることから。
別にしゃくなげ(石南花)にいるから、じゃないのよ。

寸、尺、丈、間というのは昔の日本の長さの単位です。一尺は約30.303センチメートル。
随の時代の中国から.唐の時代を経て高句麗経由で日本に。その後、日本独自の「尺』」が作られました。

余談だけど、この「尺』の基準となるメジャー単位を作ったのは、あの日本地図を作った四千万歩の男、伊能忠敬だそうです。
このメジャーが1958年まで、日本の公式採寸単位だったというのを今知って、ビックリしたよ。

四千万歩の男(一) (講談社文庫)
井上ひさし
講談社