@「参謀」。日本の歴史でもそうだが才能ある参謀の活躍なしでは語れないことも多いが、一般的に影に隠れ無名の人も多い。この自叙伝「平生釟三郎」はそんな人物だ。平生氏の人生「人生3分論」(学ぶ時期・仕事に励む時期・社会奉仕をする時期)は誰もが通過する人生路(分かれ道の選択)であるが、特に「社会奉仕をする時期」とは定年退職後の人生を如何に全うするかだ。誰もが仕事等からの抜きん出た技術、知恵、才能、経験があるはずで、それを如何に次世代に伝え、役に立たせるかである。役に立つか立たないかは人それぞれ、気にすることなく遺すことが貴重だと思う。「もったいない」という言葉を借りれば、次世代に貴重な経験、知恵等を遺せるように工夫してほしいところだ。できればこういったBlogを使い人生の自歴を語るも良し、本を出す、NETで発信する術を是非してほしいところだ。
『平生釟三郎』小川守正・上村多恵子
- 平生釟三郎 1945年80歳没
- 「世界に通用する紳士たれ」を残した偉大な事業家、政治家、投資家
- 日本製鉄社長・文部大臣・川崎造船社長・東京海上火災保険専務
- 甲南幼稚園・小中学校・高等学園創設者・甲南病院理事長
- 1866年美濃国加納藩の家臣田中時言の子として誕生は旧岸和田藩の平生忠辰の養子となり一橋大学卒業後高級官史、神戸商業校長
- 「和魂洋才」武士道・武士的精神
- 「恥」概念=対面ばかり繕うものではなく、自分自身を厳しく律する精神を貫いた
- 「東京海上火災保険」での活躍
- 他社にない魅力的な新製品を出すこと
- 他社の製品を知り、試行錯誤、工夫すること
- ハングリーの状態においてやる気を起こさせる
- 市場にバランスを齎す(住友海上火災を作る)
- 「人生3分論」
- 「これからの人生、この道一筋でいいだろうか」発想
- 1、教育を受ける次期
- 2、全力で働き次期(58歳で東京海上を辞任)
- 3、社会に奉仕する次期(事業家から教育奉仕へ)
- 66歳で川崎造船(事業者)で立て直し役
- 「川崎造船の再建」
- 第一次世界大戦後の不況と関東大震災で支払い不能となる
- 国内3大造船の一つで負債は1億5千万(当時国家予算17億)
- 神戸の下請含め約10万人失業者見込(当時神戸人口50万人)
- 債権者への説得・政府日銀・大蔵省への嘆願した結果
- 負債切り捨て、優先株振替、25年長期繰り延べ返済
- 人事組織の刷新・管理の徹底・生産性向上・自社技術
- 福祉の充実・不要施設売却
- 「日本製鉄での施策」
- 鉄道省含めた高級官僚、大将、中将等全員クビにした
- 「事務官僚に押されてくるような大臣ならやめてしまえ」
- と当時の小川鉄道大臣が総辞職撤回をお願いに来た
- 「大日本産業報告会」
- 近衞内閣から委任されるが「そんなに大事な団体なら総理大臣が会長となればいい。役人の頭は旧体制のままだ、そこを切り替えることこそ、まずやらなければならいことだ」
- 「教育方針」
- 立派な人格教育を施す(単なる知識の詰め込みではなく)
- 健康な肉体の持ち主を作る
- 個性を尊重し、才能を活かす教育をする
- 「試験は生徒の学力を知る為に行うべきで、生徒を鞭撻する道具としてはならない。教員の選択には深慮な学理の研究者より、まず教育に興味と誠意を持つものを選ぶべき」
- 「スポーツに対する見解は、決して優勝や記録を狙うのではなく、あくまで人格教育の一環として捉え、フェアな精神と練習を通じてたゆまぬ努力の尊さを体得させることを強調したい」
- 「教師に対しての条件」
- 教師の第一の条件は学生に親切であること
- 教育とは学生の個性を引き出すこと、詰め込むことではない
- 学生が想像力豊かなで個性を発揮できるようにすること
- 「戦争起因はすべて軍内部から」
- 現場指揮官の天皇の大御心を推定し軍事力で統制した
- 満州事変=石原莞爾中佐の鉄道爆破事件
- ノモンハン事件=辻政信少佐の威力偵察
- 日中戦争=牟田口廉也大佐の北京郊外の盧溝橋で中国軍を攻撃
- 太平洋戦争=権藤中佐が仏印(ベトナム)に侵攻
- 「あとがき」
- 長期低落が続く理由は
- 指導的地位のある人々のモラルハザード
- 日本の置かれている新しい立場に対応できない
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