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無駄のない人生「与謝野晶子』

2024-03-01 07:34:17 | 歴史から学ぶ
昔の女性、母は強し、といっても過言ではない与謝野晶子の生涯。小説家でもあり、評論家でもある晶子は生涯に13人の子(2人は死亡・3人を養女に出す)を産んだ母になり、家庭に、子育てに、教育に、そして仕事に燃えた「肝っ玉」女性だ。近代社会にも通じた考え方(女性の仕事、教育)や新しいことへの情熱(科学技術)など現代では考えられない力強い、そして逞しい母親像が見える。現代、一人っ子でも大変な時代なのに11人もの子供を養育し、仕事を抱える毎日は気の狂いそうな人生だったに違いないが、その合間に詩集、評論、童話などへ時間を割き活躍した人生に感服する。人は暇な時間があることは逆に真っ当で充実した人生を送っていないことになるのかとさえ思った。
『与謝野晶子』松村由里子
『概要』「情熱の歌人」と呼ばれる与謝野晶子は、短歌だけでなく、詩、社会評論、童話・童謡など、さまざまな分野で多くの仕事を成し遂げた。しかしその活躍が多岐にわたるがゆえに、「君死にたまふことなかれ」や「母性保護論争」など限られた側面しか知られていない。本書では、晶子の幅広い業績をたどるとともに、教育や労働について鋭く論評し、たくさんの子を産み育てた「ワーキングマザー」でもあった、ひとりの等身大の女性像を描きだす。
与謝野晶子の作品
歌集は24冊、評論やエッセイ15冊、童話100篇、詩や童話600篇、その他小説や歌論集
「源氏物語」の現代翻訳など
晶子の生涯
1878年12月7日大阪和菓子店の三女として誕生、1900年新詩社に入社、1901年「みだれ髪」など出版、結婚。1904年から評論家として活躍、1911年夫婦で5ヶ月の欧州旅、帰国後「母性保護論争」、1913年「源氏物語」翻訳、夫寛1935年62歳で他界(晶子56歳)、1942年5月29日63歳で没。
ー興味ある分野
科学技術など米国の飛行士(女史)を讃頌、常に向学心旺盛で女性労働・子供の教育などにも興味を示し評価、女性でも理知と感情と推しの3つが平均を得て協力することを訴える。「何事でもできる素質を男子と同じように所有していることが必要」
出産・育児・子供
1916年珍しい全身麻酔を受け分娩した経験者、1902年から13人(1人は死産ともう一人は生後2日目で死亡)の子供を産んだ母親、家庭の生活事情から3人を里子に出している
ー評論
「母性保護論争」(良妻賢母)で町人の娘晶子と士族の娘らいてうの熾烈な論争となる
晶子の男女共同参画社会(男女が同じ様に働き個々の生活を支える)新しい社会象を描いた
ワークバンランスにおいても「女性のアンペイドワーク」を支持し労働だと主張する
ー童話作家
子供の為にかいた童話、主に御伽話は読み語り聞かせる物語が主だった
オノマトべやリフレインも多く、色彩感覚を豊富に入れたことで子供が思い描ける様にした
処女作「みだれ髪」
髪は神を主に、聖書への親しみを多く取り入れ、クリシャン的主教思想より芸術を重視
5月の節句は侍の習慣、七五三も江戸時代からの商人の習慣として行わずクリスマスを重視
ー気になった詩集
朝を細木雨に小鼓おほひゆくだんだら染めの袖ながき君
いはず聞かずただうなづきて別れけりその日は六日二人と一人
かぐや姫二尺の桜ちらん日は竹の中より現れて来よ
狂ひの子われに焰の翅かろく百三十里つかのまにこし
小指をば空にあてたる跡のごとまばらに星の見えて風吹く



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