金毘羅宮にて。右は参道で買って食べた「嫁入り和三盆ソフト」。讃岐の人ならだれでもわかる嫁入りの「おいり」がトッピングされてます。結構、合いますよん。
★フリートーク
本日は今年の初講座でした。術後の声の違和感と風邪引きで鼻喉が治らず、しゃべりが重い・・・と皆様に指摘されました(苦笑)。それでも話し出すと、忘れてしまい、楽しい2時間となりました。久ぶりにカルチャーに出向き、シャキッと感は得られました。帰宅しますと二人の妊婦がゴロっと寝そべっておりました。二人とも妊婦健診だったようです。休む間もなく3軒分の夕食を・・・写真(下)をどうぞ!!そんなに数品多くできたもんじゃないですよ~!
昨日と二日分の記録です。
夫(つま)が背に 冬陽の射すかな 幾年の 思い馳せつつ 初詣する 詩子
長年連れ添った夫の背中には私でないとわからない思いがあります。どこの夫婦でも同じですね。何故か、今年は冬陽が夫の背を温めていることにほっとする思いでした。思い起こせば、37年めに入るんだという長い年月とこれから先はどれだけ長く居られるのか・・昨年、夫婦揃って病気に見舞われてしまったので不安もあり、なおさらに感慨深い温もりとなりました。今この場が平穏無事であることを殊更に安堵し、白い息を吐きつつ、リズミカルに歩む参道にあって、ふつふつと湧くのはできるだけ長く安泰でありたいというささやかな思いでした。と同時に走馬灯のように思い出されていくのは私自身の平凡な60年間でした。たいしたことはないものの・・・人生の主役は自分ですから、節目に詠んだ詩として残しておこうと思います。
と、年明け早々に殊勝な心掛けを見せては見たものの、それは私の内なる世界での話です。現実には・・・というと私たち夫婦は喧嘩などにはならないのですが、どうもお互いに持っている五行が違うので「何で、そうなるの?」という理解できない感はあります。夫は甲の木大過。私は己の土大過。干合しているので何も問題なくスムーズにいくのですが、木の気持ちは土にはわからないのではないかと思います。あちらには土がないですから、土の気持ちや行動は理解できないようです。これを相性が良いというならそうでしょう。陽気な木火の夫に辛気臭い陰命の妻です。朝からギターを弾き、フォークやら演歌を歌う夫の傍らで、眉をひそめてPCをにらんでいるのは嫁の私です。陰命で何事も優柔不断な決断力に欠ける私には、陽命の即断即決の強引さは好相性だとは思います。ただ、いつも言われるのは、「はっきり言え!言わないとわからん!!」。つまり、曖昧はいけないという指摘です。私にしてみれば、よくあれだけグイグイといけるものだと思ってしまいますが・・・「人に嫌われるよ、アンタ!!」と言いますと、「嫌いな人は嫌いで結構。僕は間違ってない!!」と言い切ります。いつも話の筋は通っていますし、理論では敵いませんから、やっぱりこれからの人生も今までどおりの二人の掛け合いが続くと思います。
次の詩は私が夫と恋愛中に詠んだものです。結婚式の披露宴で司会者に読まれて、誰が許可したのか・・・花嫁姿の私はニッコリ(クソ~~っと腹の中で憤慨)。
君が背を 見つつ歩む 草いきれ 山鳥の声の 思い告ぐるごと 詩子22歳
この歌はどういう詩かと言いますと・・・初夏の草原を歩くのですが、山あいのことでどこからともなく山鳩が鳴く声が聞こえてくるのです。その鳴き声に呼吸を合わせるかのごとく、踏む足元の草からは熱い草いきれ(草を踏むとはハジケル、もわ~っとした草の匂いです。)が昇ってくるという意味です。それと若い私たちの心情も併せて詠んだ・・・というのが詩の心でした。
しかし今や、もうすっかり忘れ去りました!!!同じ背中でもこうも違うものかと・・・今や、憐れが漂いますが・・・(苦笑)
左が昨日・・シャケ、ヒジキの煮物、サトイモ煮物、菜の花おひたし、カブのなま酢
右は今晩・・牛肉とダイコンの煮つけ、冷奴、ポテトサラダ