ここ讃岐平野はため池が点在しています。池の近くの茂みの中などにはウシガエルが「ウ~っ、ウ~!」と呻っています。いいえ、ただおしゃべりしているだけかも。夕方の散歩中にはしょっちゅう耳にします。家の周囲は田植えの終わった田畑に蛙がゲコゲコとうるさいこと極まりないです。寝る前にテレビ、電気を消しますとさらに耳に障ります。私は不眠症じゃないからいいですけど、眠れない人はいかがなものでしょうね?実家の周りもこんなものなので幼いころからずっと聞きなれてはおりますが、こどもの頃から、わからない問題を解いていたりすると余計に暑苦しくなったものです。今になってもわけのわからないような命に出会うと何日も頭の中で反すうしながら生活しているのですが、蛙のゲコゲコには気が散ります。でも、今日は一つ面白いというか、非常に素朴な良き時代の授業風景を思い出したのです。それはわが父のエピソードです。
父は今では80歳を越え、英語など忘れた!みたいなことを言っていますが、かつては英語教師でした。昭和30年代のことではないかと思うのですが・・・
当時の英語の授業にはCDとかはなく、テープレコーダーはあったようです。でも英語の発音テープなどは品薄だったのでしょうか?教師がテキストの本文を読んで吹き込み、それを授業で使っていたこともあるようです。私が中学生のころはちゃんとネイティブの発音でテープレコーダーでしたけどね・・・!父はその録音テープを作る役を仰せつかっていたらしく、夜、自宅で吹き込んでいたようです。こんなふうにニュープリンスリーダーズですと「ハロ~、アイム パ~ル!」「ハロ~、アイム ロ~イ!」だったと思います。自己紹介からはいりましたね。ここで注意しなくてはいけないのは録音室ではないということです。つまり、雑音だらけということですね。この時期、蛙の声は防げなかったようです。父はそれには気がつかず、授業でテープをかけるんです。すると生徒たちがクスクスと笑って仕方がなかったというのです。「センセ~、蛙が啼きよるで~!!」みたいなことを言ったようですね。そりゃあ、どう考えたって可笑しくて・・・・今になっても懐かしそうに父が話すことがあります。当時は英語もホント読み書き中心でしたから、話せる英語なんてやってなかったですものねえ。生徒たちも塾なんか行かなかったし、のんびりしていたのでしょうね!!父の影響か、私も英語は大好きでしたね。でも、一度も教えてもらったことがないのが不思議で・・・ホントに不思議に思うんです。何故、父に質問したことがないのか・・・・意固地な性格ってこの頃から、ずっとだったのですね。
父は今では80歳を越え、英語など忘れた!みたいなことを言っていますが、かつては英語教師でした。昭和30年代のことではないかと思うのですが・・・
当時の英語の授業にはCDとかはなく、テープレコーダーはあったようです。でも英語の発音テープなどは品薄だったのでしょうか?教師がテキストの本文を読んで吹き込み、それを授業で使っていたこともあるようです。私が中学生のころはちゃんとネイティブの発音でテープレコーダーでしたけどね・・・!父はその録音テープを作る役を仰せつかっていたらしく、夜、自宅で吹き込んでいたようです。こんなふうにニュープリンスリーダーズですと「ハロ~、アイム パ~ル!」「ハロ~、アイム ロ~イ!」だったと思います。自己紹介からはいりましたね。ここで注意しなくてはいけないのは録音室ではないということです。つまり、雑音だらけということですね。この時期、蛙の声は防げなかったようです。父はそれには気がつかず、授業でテープをかけるんです。すると生徒たちがクスクスと笑って仕方がなかったというのです。「センセ~、蛙が啼きよるで~!!」みたいなことを言ったようですね。そりゃあ、どう考えたって可笑しくて・・・・今になっても懐かしそうに父が話すことがあります。当時は英語もホント読み書き中心でしたから、話せる英語なんてやってなかったですものねえ。生徒たちも塾なんか行かなかったし、のんびりしていたのでしょうね!!父の影響か、私も英語は大好きでしたね。でも、一度も教えてもらったことがないのが不思議で・・・ホントに不思議に思うんです。何故、父に質問したことがないのか・・・・意固地な性格ってこの頃から、ずっとだったのですね。