青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

安全保障の混沌化 (中)

2009年10月10日 | 短歌に政治や社会
安全保障とは、前述のように「後始末、整理整頓」を意味する。
「後始末、整理整頓」とは、「豊かさ、楽しさ、楽(快適さ)」を求めれば求めるほど、この「後始末、整理整頓」は肥大化し、混雑化し、複雑化して混乱する。混沌としてしまう。
それは「安全保障の混沌化」である。

この「豊かさ、楽しさ、楽(快適さ)」を求めることとは何を意味するかというと、「幸せを求める」ということになる。
即ち、「幸せ」を求めるが故に、安全保障に精を出さなくてはならないという事になる。

普通に「安全保障」というと、「国外から国を守る」という「国防」を意味しているが、ではこの国防として備えられている「兵器類」が旧式化し、老巧化していくと、どう処分されるのだろう。
「次期主力戦闘機」購入などといわれている影で、こうして旧式化し老巧化した兵器類が、どう処分されているかといったことは、一度としてニュースになったことはない。
新兵器が次々にと開発されていく中で、こうした旧式兵器や老巧化した兵器は、何処へいっているのだろうか。

ミサイル発射などの実弾演習が行われても、その後始末がどうなされたのかも、はっきりと国民の前に報告されたことがない。
おそらく破棄されているのだろうが、それがどのように破棄されているのか明らかにされていない以上、我々国民への脅威になりえる。
安全保障というものが、かえって安全保障への脅威となってくる。

この事は、「幸せ」を求め、「豊かさ、楽しさ、楽(快適さ)」を求めるほどに、安全保障は混沌化し、かえって脅威となってくる。
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