青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

執拗なしっこさ

2009年10月04日 | 短歌に政治や社会

昨夜(21/10/3)のNHK総合テレビ「日本のこれから」で、「鳩山政権に問う」が放送されたが、この番組に投稿しようかと思ったが、止めた。
事は「鳩山政権がどうのこうの」と、言うことではなかったからだ。
今日のこのような事態、有様は、我々人間の「社会理念、生活理念」そのものが、基調から歪んでいることにある。それを正すことなく、ただ単に「鳩山政権」ではない訳である。

わが国でいうならば、国家の理念ともいうべき憲法の精神に立ち返らなければならない。

その一つは、「戦争放棄」と定めたなら、「交戦権、報復権、服集権」も放棄した「完全無防備」に成らなければならない。
そういうことでないから、「次期主力戦闘機性能情報」代として、十億円も請求される。
我々が成さなければならないことは、「共生、共存」のための「平和路線」だけである。

二つ目は、民主主義の基本である「基本的人権」、即ち「自由と平等」が、人間の欲望ともいえる「豊かさ、楽しみ、楽」を求めるという「執拗なしっこさ」のために、至難滅裂に崩壊している。
ちょっと例を挙げると、「表現の自由」ということが、週刊誌であったか、「皇太子紀と秋篠宮紀のどちらが皇室の女性としてふさわしいか」というようなことをアンケートしていた。
これでは皇太子紀のストレスがたまったものではないだろうに、こうしたことを行うのが、「表現の自由」な行いとしてまかり通っている。
「自由」にせよ、「平等」にせよ、越えてはならない枠がある。
今日、こうした「枠」を、平気で越えてはばからない事が「美徳」とされといる。
一般的に、この「枠」を定めるのが「法」ではあるが、この「法」は他によって縛るものであり、自らの手によって自らを律するものとはならない。自分で、好いように解釈してしまう。
これを、自分で自分を律し、正しく引っ張っていくようにしていかなければならない。この「自分を律し、正しく引っ張る」ようにしていくのが、「宗教」だといえる。

だがこの「宗教」、怪しいものが多い。
第一、「信教の自由」として憲法で保障されているのをよいことに、「法で守られ、税で守られ」て、「信教の自由」の枠をも、踏み外しているものがある。
これは、人間の「欲望」ともいえる、「豊かさ、楽しみ、楽」を、執拗なまでにしっこく求める事にある。

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寝言

2009年10月04日 | 短歌に政治や社会
官僚にも「生活ある」…天下り抜本改革は先送り?(読売新聞) - goo ニュース

非正規社員にも、パート社員にも、期間従業員にも、それぞれに生活がある。
何も「官僚」に限ったことではなく、特別視されることではない。
そういう「寝言」みたいなことを言って、甘えている。
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