青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

相対性理論 (中)

2010年04月22日 | 人生設計
「相対性理論」の「相対」とは、「自己」に対しての「他己」との対を意味する。「私」と、そして「あなた」の事である。
だが、このうちの「自己、私」は単数だが、「他己、あなた」は、単数ではない。複数を意味している。

私は学者でも科学者でもない平凡な人間だが、それでも「相対性理論」というものが物理化学の構造理論である事は知っている。
しかし一般には、この「相対性理論」は、「個と個」との間での質量関係的な理論になっていると感じてしまうが、一方の「個」に対して他方の「個」には、その他方の「個」に関わる質量とか空間性とかエネルギー作用とかがさらに複数の「個」と関連を持って、こちらの「個」と関わっているとみなさなければ、「相対性理論」の価値が薄れていってしまう。

この事を鑑みていくと、我々一人一人の存在というものは、多くの人やモノの存在と働きによって成り立っていることが分かる。
ともすると「当たり前、当然」なこととしがちで思いがちな事が、どんなに多くの手塩にかけられ、労力を得ているかを思えば、粗末にする訳にはいくまい。
どうしても「有り難う、頂きます、済みません」と謙虚にならざるを得ないだろう。

だが我々は、例えば食事が出来るのが「当たり前、当然」としか思っていない。そして「グルメ、食道楽、美味さ」などで口に合わなければ破棄する。

今日の家で購読している地方紙の新聞には、「子供たちの貧困」という特集記事が続いてする傍らで、日本人女性宇宙飛行士が無事帰還したという記事が載せられていた。
宇宙飛行士一人宇宙飛行させるのに、どれだけの資金がいる ?。
それだけの資金があったなら、何千人もの「子供たちの貧困」が救われるか知れない。
しかし現在の社会は、「子供たちの貧困」を更に虐げていき、女性宇宙飛行士などに「国民栄誉賞」なんかを授与するようなのが「相対性理論」になっている。

一つの「個」を持って、他の多くの「個」とともに「力を合わせ、助け合い、仲良く」していくのが、自然の摂理的な「相対性理論」であるだろう。
しかし地球人類は、そうした自然の摂理に逆らう事を持ってして、「相対性理論」となし、「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」を謳歌する事を、「相対性理論」として応用しようとしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする