青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

青い鳥の「民主主義」理論 (中)

2010年07月11日 | 人生設計
我々が「天地自然の僕」と知り得るならば、いかなる優れた主権主義である「民主主義」であったとしても、それを主義主張することは道に外れたものになる。
横暴であり、傲慢である。

我々に生命を与えられたこと、そしてその生命が生きるという人生というものは、我々が自由にできると思っているが、その実は「天地自然に飼い慣らされる」ためのものでしかない。別な言い方をするならば、「天地自然によって踊らされる」だけの代物でしかない。
それを「いかに飼い慣らされるか、踊らされるか」ということが、我々の人生の在り方だともいえる。とてものこと、主権主義を主張できるような、おこがましい身分なのでは無いことになる。

そうなると我々に出来ることは、素直に飼い慣らされるより外はなく、踊らされていく他に、どうすることもできない。逃れようとしても、逆らおうとしても、楯衝こうとしても、そうすると「苦しく、辛く、悲しい」思いをするばかりになる。それはまた、我々同士が、反目し合うこととなり、悲惨さが増すばかりになる。
こうならないためには、「素直に飼い慣らされ、踊らされ」、そして何事も「ありがたい」と頂戴していかなければならなくなる。

何事も「ありがたい」と頂戴していく時、「天地自然の僕」となってすべての物事を素直にいただくことになる。それは「天地自然の僕」としての「人権、自由、平等」として受け取られ、そこに「壊れることなき民主主義」が発露する。

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