青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

臓器移植法の混乱

2010年09月05日 | 短歌に政治や社会

最近のニュースに、よく脳死判定されたことにより、本人には意思が残されていないのに家族など親族が移植に同意して臓器移植される。

「臓器移植」とか「移植手術」とか「臓器提供」とか、きれい事で説明され、そうして行われているが、ちょっと離れて傍から見ると、こんな風に見える。

このごろは天候不順だし、異常気象が続き、天災も続いている。それにあちこちでは、相変わらずに争いが続き、戦闘が絶えない。
かってはこうした中、飢餓に襲われ、食べ物に不自由していた。そして多くの人々が、亡くなっている。
多くの人々が亡くなったからと言って、ではそれで食べ物が余り空腹が満たされるかと言うと、そうはいかない。
こんな時、当時の人の中にはどうしたかと言うと、亡くなった人の「人肉」を喰らい、食べたと言われている話がある。

こういう話と臓器移植の話をつなぎ合わせてみると、臓器移植するのも、一種の「人肉を喰らう」が如き行為であると言わなければならなくなる。
何故なら、臓器移植によって、無くなるかもしれない命を、つなぎ止める行為は、同じだからである。

こういう「おぞましい」話は、この「青い鳥の世界へ」のブログにはなじまない話題とは、言える。
だが、こうしたおぞましい話を、直視していかないことには、「青い鳥の世界へ」の道は開かれない。

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盗用略奪

2010年09月05日 | 短歌に政治や社会
1人の提供で8人に臓器移植へ 家族承諾6例目、東北の病院(共同通信) - goo ニュース

「盗用」とは、たとえば文学作品などを勝手に借用使用すること。

今回の臓器移植も、本人は提供意思提示していず、また意思提示する状態ではない脳死状態にあった。それを「家族だから、親族だから」ということで勝手に臓器を盗用略奪してしまっている。

法によって許される「盗用略奪」行為というものが、堂々とまかり通る。
これが「臓器移植法」の、越権行為ともいうべき悪法の証拠。
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