青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

国にではなくて

2011年07月16日 | 短歌に政治や社会
汚泥の除染、国の責任で…原発相、福島知事に(読売新聞) - goo ニュース

いつも言う。
毎度のことながら、言う。
「国の責任において。。。」と。
だが、そもそもは選挙で選ばれた選良の「責任」にある。
この人たちが、「無能」だったために、こういう甚大な事態になってしまっている。
その甚大な事態が、事故現場ばかりか、制作現場までが収束できない事態に陥っている。
陥っていながら、どうする事も出来ない「無能ぞろい」を、さらけ出している。

そして、それでもまだ「国の責任・・・・・」などと、言っている。
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迷惑を掛けるために

2011年07月16日 | 短歌に政治や社会
東北六魂祭に見物客殺到、13人が熱中症で搬送 仙台(朝日新聞) - goo ニュース

イベントとか人出ごととかは、このように迷惑や辛い目に会うために、有るものなのである。

そういう事で、救急車のお世話になり、そこへ持ってきて、「救急車の到着が遅い」などと文句を言う輩がいる。

文句を言うなら、命が無くなってから、することね。
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人生観における仏教  (下) 生命的相対性理論

2011年07月16日 | 人生設計
アインシュタインの「相対性理論」は、「物質や物理」的なものに対する理論でしかないと言えうる。
だが哲学的には、「物心一元論とか二元論」とか言って、物(物質)と心(精神)は、一体でもあるという理論と、別物という理論とが存在する。となると、アインシュタインの「物質的物理的相対性理論」とは別に、精神的な相対性理論、それは生命を営む上で存在し得るものであるから、「生命的な相対性理論」が無ければならないこととなる。

この「生命的な相対性理論」を述べ立てて解き明かすものが、正しい宗教である。
だがその多くは描写的な表現になっている。
その中で論理建て、理論建て、体系付けて説かれたのが仏教である。
仏教は、悟りを開かれた釈尊においてこのように「論理建て、理論建て、体系付け」されてはいるものの、世の人たちにとってはなかなか理解し辛い。その為に、いかがわしく曲解して、金儲けの手段にされたりする。
それは、「物心一元論とか二元論」とか、単なる「相対性理論」に留まった狭い世界の中で生きようとする事から起きている。
今の我々は、「生命的な相対性理論」というものも見詰めて行き、今の混乱の中を生きていく必要がある。

「生命的な相対性理論」という事を簡単にいうと、「相関関係」の事である。
例えば、憲法では「自由と平等」が保障されている。しかしだからといって、無茶苦茶に「自由と平等」を権利履行してよいものではない。
よく「表現の自由」の事で「暴力、性描写、親が子を自由に扱う、報道の自由」などという事で争ったりしているが、憲法25条では、「国民は健康で文化的生活の保障」という件がある。
これは、逸脱した「自由と平等」の暴走を制限している条項と言える。
この事を法曹界も裁判所も、はたまたマスコミメディアも文芸文壇界も理解していない。
「生命的相対性理論」とは、このように人と人との関わり、社会と人との関わり、国家と人との関わり、金銭と人とのかかわりだけでなく、他の生物や物質との関わりとの関連性を見詰めて行き、それを各個人の人生形成の源としていける智慧にすべき大きな要素を持っている。
この大きな要素を持たせてくれるのが、仏教の中にある。

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短歌 281.

2011年07月16日 | 短歌に政治や社会
★ 節電と 上ばかり見る 人よそに
        土に根付きし 木々は涼しく   2011/7/16
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