野田首相は、事あるごとに「政治生命をかける」と言っている。
この「生命をかける」という事を何十回と言っているようだ。まるで「バナナの叩き売り」みたいに、よく使っている。
「生命をかける」という言葉は、このように「バナナの叩き売り」のように使うべきではない。「生命をかける」とは言っても、それは責任を取るという意味になっていない。責任を取るどころか、このように言っていることが結果として出ないならば、単に職を辞し辞職してお茶を濁すものでしかない。
かっての阿部、福田、麻生、鳩山といった首相も、政権を投げ出しながらその責任を取らずのうのうとしていて、責任を取るどころか表に出てきてかしましい。
我が国では戦国時代などの時代の武士達は、責任を感じると切腹している。自決である。
太平洋戦争時でも、兵隊に取られた国民は、「お国のために死ね」と言われて戦場に赴いて行った。そして「的に後ろを見せるのは恥」と、自らの命さえ断つという「玉砕」している。
沖縄線でも、兵士ばかりでなく民間人の女子供も、捕虜になると辱められると植え付けられていたものだから、母親は子供を抱きながら崖から身投げしたりしているし、「白ゆり部隊」の最後のように、手榴弾で全員と言っていいほどの女性たちが自決していた。
打って変わって今日では、責任を指摘されても責任を取ろうとはしない。ただ辞職するとか、あるいは「福島嫌発事故時」において、「全員撤退、一部撤退」などと言い合っていて、相手に責任を転嫁しようとしているばかりである。
野田首相がこれほどまでに「生命をかける」というならば、万が一の時には「切腹、自決」して貰わなければならない。ただ「辞職」しているだけのものでは、責任を取ったことにはならない。
安部元首相なんか、ああいう風に政権を投げ出しながら、「敵基地攻撃、核武装」などと、また我々を犠牲にされてはたまらない。
太平洋戦争終戦時の戦いで、何故あのように「切腹、自決」のような行いをしていったかというと、日本民族としての誇りの象徴を示すためだった言わなければならない。
今「原発再稼働」容認させるという事をして、「原発再稼働反対者」を切腹させ自決させる事に追い込んでいる。
「消費税増税」においても、この為に苦しむ貧困者や生活保護者、高齢者には負担を強いり、まるで「生活が苦しくなったら自殺しろ」とばかり「切腹、自決」を押しつける。
これに報道機関もマスコミメディアも加わり、「表現の自由、報道の自由」とは言いながら、政府関係者の「大本営発表」だけで記事にしている。
国民の誇りの象徴という「自由と人権と平等」を確立させないことには、この国の「安心と安定」は無い。その「自由と人権の平等」はまた、人類の平和を導いていく。
野田首相の「政治生命」かけられなかったら、その責任を取って切腹して貰いたい。
それをテレビで全国に、いや世界中に生中継しましょう。
それだけ「政治生命をかける」と言っているですから。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-120611X349.html