「イスラム国」動画の声明全文(時事通信) - goo ニュース
人質事件で安藤さんが殺害されたことで、安倍首相が「激しい憤りを覚える」なんて言っているが、それは彼のこれまでの施策全部が間違っていることを意味する。
国会答弁でも、集団的自衛権容認の閣議決定に関する質問に対して、国や国民の安全を守ると言っていても、人質にされていた安藤さんを守れきれなかった。
何故守れきれなかったかというと、これまで国民の大多数が指摘してきた集団的自衛権行使は戦争をする国にするということへの、イスラム国からの報復なのである。それはここにあるメッセージにも述べられている。
日米安保を結び、今またそれを強化するような集団的自衛権行使をしようとしているから、イスラム国ばかりではなく、中国までもがこの戦争にして行く国へに対して矛先を向けてきている。
人に対して憤りを覚えるよりも、自分の不手際で殺害させてしまったことを肝に銘じるがよい。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-150201X496.html
菅官房長官「一層激しい憤り」 後藤さんとみられる動画(朝日新聞) - goo ニュース
我々国民の方が、あんたら政府関係者などに、激しい怒りと憤りをぶつけたくなる。
馬鹿なあんたたちは、人質の解放交渉をしているというのに、自衛隊を使って人質救出するよう法改正すべきなんて言っていたから、イスラム国側は態度を硬化させてこういう結末を招いている。
自分たちがまるで神であるかのように、何でも思い通りになると思っていたら間違いだ゛。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASH2120ZBH21UTFK001.html
【速報】イスラム国、後藤さん”殺害”画像を公開 安倍首相「卑劣極まりない行為に怒り」(dot.) - goo ニュース
現今の社会は、どうしてこのような忌まわしい事件などばかりが続くのだろう。
いじめに虐待に、殺人事件に人質事件ばかりか、争いあって戦争状態にさへなっている。
この根本には、簡単に言うとこれらに関わる人たちが健康であることが起因しているといえる。
例えば戦争するにしても、目がよくなくて、またバランスをとれないような体では、しっかりと小銃を持って構えられず、またちゃんと目標の照準も合わせられない。戦闘機の操縦もできない。耳の悪い人も、全く戦争現場には、役に立たない。
となると、戦争などできるのは健康な人であるからこそできることになる。
そしてこうした戦争などができるとかやろうとするのは、自分勝手になれ、相手を自分の思い通りに操ろうとしている健康さを持っているからこそできる。
我々人間に与えられた健康さとは、そうした自分勝手な身勝手を行うための健康ではない。
もう彼これ30.40年も前になるが、典子さんという人が話題になっていた。
別には「サリドマイド児の典子さん」といえば、年配の人たちには思いだせるだろう。
母親が妊娠前後に病気になってサリドマイドという薬を処方され服用していたため、何人もの奇形児が生まれた。典子さんは、両手がないという奇形児として生まれている。
両手のない奇形児の親となった両親は、そのために天を恨み神を恨んだりはしなかった。この子を天から授かり神から授かったことして、一人の人間として育てていこうと誓われけている。
この時から、親子の戦いが始まっている。
一人の人間として生きていくためには、両手がないからといって自分で食事ができないようでいてはならない。乳幼児の時期は母乳やミルクを、またれ離乳食を与えてやっていたが、3歳過ぎには自分で食べられるように訓練させている。
足の親指と人差し指の間にスプーンフォークをはさませて、口に持っていく訓練をさせている。しかし典子さんはうまくいかないといって泣いたり、癇癪を起こしたりするのを、母親は厳しく叱り、しかし何度やってもできずに泣き崩れてしまった時はしっかり抱いてゆり、「よく頑張ったわね、今度も頑張って」といって励ましてやって食事を食べさせてやって上げている。
スプーンやフォークで食べられるようになった後は、次には箸に挑戦し、鉛筆で字を書くことにも挑戦して就学時にはできるようになり、普通鋼に通学するようになり、高校にも進学し、卒業後は市役所に勤めるようにもなり、結婚もしていられる。
しかし典子さん、可哀想だね。一番困るのはトイレを使う時だろうから。下着の上げ下げもお尻を拭くこともできないから、母親や女の先生、女の同級生のお世話になり、いつもいつも「ありがとう」と感謝の言葉ばかりの生活だっただろう。
健康であるということは、それはそれは感謝して喜ぶべきことだ。その感謝の思いと心を示すには、身勝手な我儘を押し通すことではない。
人に尽くし、思いやり、労わって上げることにこそ、本当に健康であることの、また健康な肉体を授けられたことへの思いが示される。
その点、自分が身勝手な我儘ができることが、人さまのお陰で出来ているということも判らないのでは、健康な体を戴いたという宝の持ち腐れになる。
http://news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-2015020100002.html