>>奴隷になりたくなかろうと、どうもがいたって素粒子の奴隷だよ。
それを「法に従う」といいますね。
そりゃ不自由なことで・・・
法とは本来、人を自由にする、つまり"ほどく"もの
人を縛るようなものは法じゃあない
<
「法に従う」という事は、「役割、分担をする」という事です。
水には水の「役割と分担」があり、空気には空気の、動植物や鉱物にも、それぞれに「役割と分担」が与えられています。
その「役割と分担」の中での自由はありますが、その「役割と分担」を逸脱してしまったことを自由とすると、秩序が保たれなくなります。
この秩序を保たれなくするものが「欲望」です。
「権勢欲、物欲、愛欲、金銭欲、支配欲、縄張り欲」といったものによって、自然界が混乱し、社会も自然環境も混乱してしまいます。
ですから「法に従う」自由でないと、自由とは言えません。
これにちょっと加えると、我々は親なり子なり、あるいは夫なり妻なり、それぞれに役割と、それぞれの分担されている責任とに忠実に勤めていかなければならない。
それは「辛さに耐え、苦しさに耐え」ていかなければ、秩序が保たれなくなって混乱してしまっていく。
「欲望」という「豊かさ、楽しみ、楽」を、求めていく時、その代償は大きいものになる。