人世に漂う 渦巻く雲は 2009/9/21
掲示板への、投稿記事・・・・
普通に言う馬鹿とは、「してはならないことをする馬鹿」と、「しなければならないのにしない」馬鹿とがいる。
これは、仏教用語で言う「三毒」に犯されているからだ。
「三毒」とは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことで、「むさぼるような欲、怒り、恥知らず」なことで、これは大馬鹿者のことである。
それに対して「本物の馬鹿」とは、こういう「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を持たない馬鹿の事を言う。
ここで何故「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」になるかと言うと、「欲情」に駆られるからだ。それは「利己愛」からであり、自我意識を持つからである。
だから「本物の馬鹿」は、こうした「自己愛、自我意識」を持たない馬鹿の事を言う。
例を挙げると、「便所掃除などをしなさい」と言われると、「何で俺が・・・」と言うものが「大馬鹿者」であり、「はい、わかりました」と言うのが、本物の馬鹿である。
普通に言う馬鹿とは、「してはならないことをする馬鹿」と、「しなければならないのにしない」馬鹿とがいる。
これは、仏教用語で言う「三毒」に犯されているからだ。
「三毒」とは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことで、「むさぼるような欲、怒り、恥知らず」なことで、これは大馬鹿者のことである。
それに対して「本物の馬鹿」とは、こういう「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を持たない馬鹿の事を言う。
ここで何故「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」になるかと言うと、「欲情」に駆られるからだ。それは「利己愛」からであり、自我意識を持つからである。
だから「本物の馬鹿」は、こうした「自己愛、自我意識」を持たない馬鹿の事を言う。
例を挙げると、「便所掃除などをしなさい」と言われると、「何で俺が・・・」と言うものが「大馬鹿者」であり、「はい、わかりました」と言うのが、本物の馬鹿である。
★ 誰彼に 浴びせられない この罵声
許されたまえ 貴方だけなの
辛い胸の思いを説明する間が無くて、つい頼るべき人に・・・・・
この句は、ネットの短歌愛好者が作られた、次の句に対する返歌です。
( なつかしき 声で 妻の名 呼び賜え 怒号ではなく 罵声ではなく )
★ 刈り取りの 進むる中に ソバ畑
名月待つや ススキも揺れる 2009/9/16
★ 秋晴れに ディサービスで くつろげば
お腹いっぱい バイキングメニュー 2009/9/16
★ さわやかな 秋晴れの中 穏やかに
祝いを受ける 白寿と米寿 2009/9/16
★ 陽もさして 小雨ばらつく 秋の日に
運動会で 子供は走る 2009/9/13
あちこちの小学校でも、予定では昨日が運動会でしたが、あいにくの雨でしたので今日になりました。
他党批判CMは“逆効果” 6割が悪印象と回答(共同通信) - goo ニュース
相対するものは、必ず自分の行為の姿を映し出す。
こんなことは、当たり前のことだ。
「景気拡大、経済成長」ということや、「幸せ」になろうとして「豊かで、楽しく、楽」になろうとすればするほど、相対するものが崩れゆき疲弊していき、それが自分に返ってくる。
逆効果になる。
相対するものは、必ず自分の行為の姿を映し出す。
こんなことは、当たり前のことだ。
「景気拡大、経済成長」ということや、「幸せ」になろうとして「豊かで、楽しく、楽」になろうとすればするほど、相対するものが崩れゆき疲弊していき、それが自分に返ってくる。
逆効果になる。
ヘリ墜落3人死亡、機体2つに折れ斜面落下(読売新聞) - goo ニュース
民主主義の基本として、「基本的人権」がある。それは「自由と平等」を、建前としている。
しかしそこには、忘れてはならない次のような概念がある。
「したいのに、してはならない」
「したくないのに、しなければならない」
我々は、「自由」と言う名義の元に、娯楽やレジャーを楽しむ。
この「楽しむ」ということには、自分が楽しむという自由を持ちながら、自分自身に対する「責任」を持っていなければならない。
今回のように、山岳登山遭難ということに出会うということは、登山する者には心がけなければならないことである。
即ち「登山したなら、遭難する危険」を弁え、遭難した場合「援助を期待できない」という、その覚悟をしておかなければならない。
しかし現実には、「遭難したら、すぐ助けてもらえる」という、「あまえ」た気持ちで、娯楽やレジャーに出かけている。
そして、二重遭難に、出くわす。
救助活動に従事した人たちの家族の悲哀が、察しられる。
こうした娯楽やレジャーに送り出した、家族やツアーを組んだりする旅行会社、それに娯楽やレジャーを特集したりするマスコミの罪は、重い。
いくら「自由だ、自由人権だ」と言っても・・・・
民主主義の基本として、「基本的人権」がある。それは「自由と平等」を、建前としている。
しかしそこには、忘れてはならない次のような概念がある。
「したいのに、してはならない」
「したくないのに、しなければならない」
我々は、「自由」と言う名義の元に、娯楽やレジャーを楽しむ。
この「楽しむ」ということには、自分が楽しむという自由を持ちながら、自分自身に対する「責任」を持っていなければならない。
今回のように、山岳登山遭難ということに出会うということは、登山する者には心がけなければならないことである。
即ち「登山したなら、遭難する危険」を弁え、遭難した場合「援助を期待できない」という、その覚悟をしておかなければならない。
しかし現実には、「遭難したら、すぐ助けてもらえる」という、「あまえ」た気持ちで、娯楽やレジャーに出かけている。
そして、二重遭難に、出くわす。
救助活動に従事した人たちの家族の悲哀が、察しられる。
こうした娯楽やレジャーに送り出した、家族やツアーを組んだりする旅行会社、それに娯楽やレジャーを特集したりするマスコミの罪は、重い。
いくら「自由だ、自由人権だ」と言っても・・・・