自分が「やったこと、成した事」の始末は、自分でしなければならない。
これは道理的なことであり、整合性のあることだ。
「排気ガス」とか「廃棄汚染水」、「廃棄物」といったものも、自分で後始末をして整理整頓するのが、本来の基本である。
ところが「先進国がどうの」とか「資本援助」とか、果ては「景気拡大、経済成長に逆行する」といって、協定採決断念している。
しかし現状においては、温暖化対策を採らないなら、その影響を最も受けるのは自分たち自身であることを認識しなければならない。
「ゴミ」が出たから、人が始末してくれるのを待つ、といっている間に、自分自身がやられてしまう。
それに、大気汚染の中や水質汚染、土豪汚染された中で生産された食物などを輸出しようとしても、引き受け手が無くなる。
そうなると、「自業自得」で、自分が苦しむことになる。
COP15では、お互いが相手の出方で自分の出方を模索しているが、自分が出した「大気汚染、水質汚染、怒号汚染」の後始末や整理整頓は、人に任せず、自らが率先して始末していくべきだ。他の者の「顔色」ばかり、伺っていても、温暖化対策は進まない。人がしなくても、自分が率先して進めるならば、それだけでも温暖化阻止が進む。
それは丁度、道端のゴミ拾いを、人に任せずするようなものである。