上野動物園のジャイアントパンダのシンシンから、新しい命が誕生しました。
なぜ皆さん、パンダが好きなんでしょうかね。嫌いという話はあまり聞いたことがありません。
パンダは中国四川省西北部を中心に、陜西省南部・甘粛省南部にまたがる高山地帯が生息域です。
中国語名は「大熊猫 ターシェンマオ」。台湾では「猫熊」。
フランス人宣教師で、博物学に長けていた、アルマン・ダヴィドが中国奥地を探検中に発見し、彼がパンダを初めて西洋に紹介したということです。
中国は現在、パンダを「国宝」
としています。
日本には、1972年、日中国交正常化を控えたその年、1972年に中国から日本につがいが贈呈されました。その時のパンダがメスの「蘭蘭 ランラン」と、オスの「康康 カンカン」です。
私が上野動物園で迷子になりながら観に行った記憶があるのは、このパンダたちですね
いつ頃から、パンダが外交に使われていたか。
古い記録によると、西暦685年、則天武后(ソクテンブコウ 唐の高宗の皇后で後に即位)が日本の天武天皇(飛鳥時代 ?~686年 日本の国号、天皇の称号は天武天皇から始まったとされています。また、『日本書紀』や『古事記』を編纂し完成させた)へ、つがいのパンダ2頭と毛皮70枚を贈呈したというものがあるようです。
1975年に、ワシントン条約に基ずいて、パンダのやり取りは、外国の動物園へ貸与という形式にするか、科学研究のための交換の名義でしか入手は不可能となりました。ということで、中国は外国へ貸与という形をとることになりました。
パンダのつがいを貸与した場合の年間の料金は 100万ドル
です。簡単に1ドル100円とすると、年間1億円ということです。さて、この値段どんなもんでしょうかね。
シンシンとリーリーの貸与期間は10年間ですから、為替レートの変更もありますが、だいたい10億円ということになります。
さて、先ほど冒頭で生息域の話がありました。中国四川省西北部…と。この地域はチベット問題で非常に話が複雑化している地域でもあります。陸続きでない日本では、あまり領土問題については意識がありませんが、近年は尖閣諸島や竹島、北方四島の問題で意識せざるを得ない状態ではないでしょうか。
1911年、清国が滅亡するとともに、もともと民族が違うチベットは1912年、独立を主張。この時のチベットの土地は現在のチベット自治区の2倍以上でした。現在の中国四川省、甘粛省、雲南省にまたがる広大な土地でした。日本の面積の6.5倍、インドの0.8倍もの広さがあったそうです。中国四川省西北部、陜西省南部・甘粛省南部の高山地帯一帯は、実はチベットだったんですね。近代史をみると、パンダの原産地は実はチベットということになります。
その後、中国共産党(人民解放軍)が中華人民共和国をつくり、1950年、チベットに侵攻。
戦争の善悪は別として、日本も様々な国の事情で満州へ侵攻しました。中国本土にも列強とともに駐屯しました。それを悪いと言うなら中国も同じことをやっているわけです。
また、第二次世界大戦(大東亜戦争)における日本人の犠牲者は80万人とされています。中国のチベット侵攻により犠牲になった人々は120万にのぼるとされています。人数のことを言うと、多い少ないの問題になりますが、もし日本の大陸侵攻、戦争が悪とするなら、中国のチベット弾圧も非情な行為、悪ということになります。
この問題を書くと、長~~~~~~~~~~~~~くなってしまうのでこの辺りでやめときます
パンダの生息域における地域の歴史には、このような問題も秘めているわけです。
題名のように、パンダから世界をみるとは、そんなことです。
パンダからしてみると(通訳)
「チベットのものや、中国のものやって言ってるけど、あたしたちの方が長くここに住んでいる
わけだから失礼な話よね。人間って何でも、自分たちの思い通りにしたいのかしらね。
私たちは、私たちの住んでいる土地は、中国のものでも、チベットのものでもなく、誰のもの
でもないの。白と黒の色をした生き物であり、この土地は、私たちが生活する場所なんよね。
ただそれだけ。ほっといて欲しいわ」
耳を澄ますと、そんな言葉が聞こえてきそうな感じです
ということで、パンダの赤ちゃんが誕生を機会に、パンダ外交、パンダから歴史や世界を眺めてみました。