私の住む石川県でも新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向け、緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出が自粛されています。
多くの店舗や施設が一時的に閉鎖を余儀なくされている状況です。人の動きがないということは経済活動も停滞している状況です。
すべての人が大小はありますが苦痛や不便を強いられています。
そして現在、家にじっとしていても情報だけは、様々なメディアから多くのものが目や耳から入ってきます。
このような不安や恐怖が蔓延する困難な状況の時に、色濃くその人の「人間性」が出てくるのかもしれません。
様々な人間模様、心の動き、その心を反映した行動や言葉、今まで作り上げてきた人格をコロナによって試されているような・・・そんな気さえして来ます。
自分自身を振り返り、その言葉や行動をみても、嫌な自分もいれば、好きな自分もいるし、認められない自分もいれば、よくやっていると認めてあげたい自分も存在します。
人生はこのような感情との葛藤の繰り返しなのかもしれません。
最近、よくメディアでも、何でも「人間性」や「人間力」という言葉を耳にします。
人間性は、星稜高校野球部時代の山下 智茂監督、東洋医学研究所®での鍼灸修業時代の師匠 黒野 保三先生には、口が酸っぱくなるほどご指導いただきました。
さて、いろんな角度から自分と言うものの「人間性」を「人間力」というものを俯瞰すると、「それは何なんだ 」と迷ってしまうことがあります。人間性とは何なんだろうと考えることは禅問答になってしまうのかもしれません。いつまでも探求していく道なのかもしれません。
今の時点の「人間性」をどう評価していったらいいのか・・・悩みます。
江戸時代初期の陽明学者で、中江藤樹さんという方がおりました。
藤樹さんは、当時の寿命としては普通だったのかもしれませんが、40歳でこの世を去られました。
陽明学者でありましたが、晩年は、仏教や道教、神道も受け入れて、私塾を開き、持病の喘息と闘いながらも門人の教育に費やされました。
また藤樹さんの生まれは近江国でした。学問を教えるばかりでなく、目の前の一人ひとりの悩みや苦しみに耳を傾け向き合い、真心を込めて導かれました。
いつの間にか藤樹さんは、近江聖人と称えられるようになったということです。
藤樹さんが常々、実践していたことがあります。
それは「明徳仏性(めいとくぶっしょう)を明らかにしていく」ことです。
明徳=儒教用語、仏性=仏教用語で、同じ意味の言葉を重ねて言っております。
その意味は、全ての人に生まれつき備わっている良心のことでです。それを人生の中で実践して明らかにしていくということなのだと思います。
また、これを実践していく上での人生の戒めとしていた「五事を正す」があります。
それは明徳仏性を実践する上での平素の心掛けと捉えることも出来ます。
貌(ぼう)・・・穏やかな顔つきをする
言(げん)・・・思いやりのある言葉を使う
視(し)・・・・澄んだ目で物事を見る
聴(ちょう)・・耳を澄ませて人の話を聴く
思(し)・・・・真心を込めて相手を思う
この現代の社会状況の中、あるいは今後予測される社会の中では、藤樹さんのような、このような生活実践に対する心掛け、戒めが大切になってくるのかもしれません。
良心の実践という素敵な「種」を植えていきたいですね。
私も、五事を一つでも正していくよう心掛けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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