東京都が23日に確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は1359人で、4日連続で1000人を
超えたなかで、異例ずくめと言われた、オリンピックの開会式が間もなく行われます。
五年間にわたり自らの存在意義をかけ、血の滲むような努力を重ねてきた多くのアスリートの
ためにも、東京都主催のこのイベントが、成功裏に行われ、努力に報いる大会となるよう、
一人の市民として、心から祈りたいと思います。
なお、昨日は四連休の初日とのことで、細君と話し合い何時もの遊歩道の散歩ではなく、
しばらく行っていないフェリーで千葉へ行き、南房総の景勝地、鋸山に登ってきました。
フェリーは換気や手指の消毒も含めて、感染対策もかなり徹底され安心して過ごすことが
出来ました。
鋸山は南房総国定公園に指定されており、かつては四季を通じて多くの観光客が訪れる
場所の一つでもありましたが、コロナ禍の中で、訪れる方も激減しているとの報道も
ありました。
鋸山山麓駅から鋸山山頂駅を結ぶ、全長680mのロープウェーは、スイスCWA製で、
車掌が乗務して、観光ガイドもしてくれました。なお、コロナ禍のため定員の半数で
運転していたため、この日は訪れる方も多く待ち時間はかかりましたが、安心して
乗ることが出来ました。
切り立った岩肌が特徴の鋸山は、かつては建築資材などとして盛んに採石が行われて
いたため、岩が露出した鋸のような山となり、その見た目から鋸山と呼ばれています。
しかし、正式名称は、乾坤山(けんこんざん)とのことです。
なお、ここには「地獄のぞき」と呼ばれる場所があり、鋸山の崖に突き出た場所で、
手すりは付いているものの、下方に傾斜した崖の先端から下を除くと、まるで足場が
ないような感覚でスリル満点といったところです。
鋸山の山頂展望台からの眺めは、遠くに富士山、天城山、伊豆大島、近くに三浦半島、
横浜のランドマークタワー等高層ビル群、東京湾を一目で眺めることができました。
私たちの住む三浦半島は、望遠鏡で覗くと手に取るように眺められ、横浜の街並みも
はっきり見ることができました。
ただし、富士山は生憎と雲が覆い、全容は眺められませんでした。
夏空の下に広がる凪いだ群青の海を見つめていると、日本書紀に記された悲劇を思い出します。
荒れ狂う海の神を鎮め、愛する夫、日本武尊の海路を切り開くため、自らの命を海にささげた
弟橘媛の深い想い。その浦賀・走水から対岸の房総はわずか3里(12km)の距離にあります。
炎天下、鋸山と港の周辺を歩き体力もかなり消耗したため、あまり無理をしないことにし、
細君と共に、港の近くの「舩長」で海鮮丼、地魚の刺身、アジフライ膳で昼食をとり、
ゆっくり休憩のち帰路につきました。
それでも11,000歩を超える歩行となり、散策としては十分な距離を歩いたことになったと
思っています。
巣ごもりと、時々水泳の日々ですが、そんな徒然に詠んだ短歌を掲載したいと思います。
☆散りてなお命湛えし沙羅の花 余命見据える吾の励みに
☆夏空に駆け上がりゆく雲変幻 北斎の龍 顕(た)たす如くに
☆砲台に浦賀の海の風わたる つわものの夢 夏草揺らし
☆二人してカッコー聞けばいつしかに 越えし山坂共に思いて
☆房総は海を隔つも三里なり 弟橘媛(おとたちばな)の命切なく
☆春愁は未だからだに留まりて コロナの鬱と せめぎ合うかに
☆秘め来たる重き歴史のひと日花 宗旦むくげ 楚々と咲き継ぐ
☆むくげ花 底紅燃える かたちして ひと日の命静かに閉じる
☆夏草は更地あき地の区別無く 覆いつくすや コロナ籠りに
☆世はまさに五輪一色染まりしも 感染爆発 未だ止まずに
☆フクシマにソフトボールで一勝を 十三年の雌伏を想う
超えたなかで、異例ずくめと言われた、オリンピックの開会式が間もなく行われます。
五年間にわたり自らの存在意義をかけ、血の滲むような努力を重ねてきた多くのアスリートの
ためにも、東京都主催のこのイベントが、成功裏に行われ、努力に報いる大会となるよう、
一人の市民として、心から祈りたいと思います。
なお、昨日は四連休の初日とのことで、細君と話し合い何時もの遊歩道の散歩ではなく、
しばらく行っていないフェリーで千葉へ行き、南房総の景勝地、鋸山に登ってきました。
フェリーは換気や手指の消毒も含めて、感染対策もかなり徹底され安心して過ごすことが
出来ました。
鋸山は南房総国定公園に指定されており、かつては四季を通じて多くの観光客が訪れる
場所の一つでもありましたが、コロナ禍の中で、訪れる方も激減しているとの報道も
ありました。
鋸山山麓駅から鋸山山頂駅を結ぶ、全長680mのロープウェーは、スイスCWA製で、
車掌が乗務して、観光ガイドもしてくれました。なお、コロナ禍のため定員の半数で
運転していたため、この日は訪れる方も多く待ち時間はかかりましたが、安心して
乗ることが出来ました。
切り立った岩肌が特徴の鋸山は、かつては建築資材などとして盛んに採石が行われて
いたため、岩が露出した鋸のような山となり、その見た目から鋸山と呼ばれています。
しかし、正式名称は、乾坤山(けんこんざん)とのことです。
なお、ここには「地獄のぞき」と呼ばれる場所があり、鋸山の崖に突き出た場所で、
手すりは付いているものの、下方に傾斜した崖の先端から下を除くと、まるで足場が
ないような感覚でスリル満点といったところです。
鋸山の山頂展望台からの眺めは、遠くに富士山、天城山、伊豆大島、近くに三浦半島、
横浜のランドマークタワー等高層ビル群、東京湾を一目で眺めることができました。
私たちの住む三浦半島は、望遠鏡で覗くと手に取るように眺められ、横浜の街並みも
はっきり見ることができました。
ただし、富士山は生憎と雲が覆い、全容は眺められませんでした。
夏空の下に広がる凪いだ群青の海を見つめていると、日本書紀に記された悲劇を思い出します。
荒れ狂う海の神を鎮め、愛する夫、日本武尊の海路を切り開くため、自らの命を海にささげた
弟橘媛の深い想い。その浦賀・走水から対岸の房総はわずか3里(12km)の距離にあります。
炎天下、鋸山と港の周辺を歩き体力もかなり消耗したため、あまり無理をしないことにし、
細君と共に、港の近くの「舩長」で海鮮丼、地魚の刺身、アジフライ膳で昼食をとり、
ゆっくり休憩のち帰路につきました。
それでも11,000歩を超える歩行となり、散策としては十分な距離を歩いたことになったと
思っています。
巣ごもりと、時々水泳の日々ですが、そんな徒然に詠んだ短歌を掲載したいと思います。
☆散りてなお命湛えし沙羅の花 余命見据える吾の励みに
☆夏空に駆け上がりゆく雲変幻 北斎の龍 顕(た)たす如くに
☆砲台に浦賀の海の風わたる つわものの夢 夏草揺らし
☆二人してカッコー聞けばいつしかに 越えし山坂共に思いて
☆房総は海を隔つも三里なり 弟橘媛(おとたちばな)の命切なく
☆春愁は未だからだに留まりて コロナの鬱と せめぎ合うかに
☆秘め来たる重き歴史のひと日花 宗旦むくげ 楚々と咲き継ぐ
☆むくげ花 底紅燃える かたちして ひと日の命静かに閉じる
☆夏草は更地あき地の区別無く 覆いつくすや コロナ籠りに
☆世はまさに五輪一色染まりしも 感染爆発 未だ止まずに
☆フクシマにソフトボールで一勝を 十三年の雌伏を想う
早速にコメント頂きありがとうございます。
南房総の鋸山は久しぶりに上りましたが、天候もよく頂上からの
海の眺めは最高でした。
日本武尊は関東甲信越の方々に足跡を刻み、多くの英雄伝説を
残していますね。あまたの武勇伝の中で弟橘媛の入水は、愛ゆえの
自己犠牲とも言えますが、悲しい物語と受け止めています。
私の記述に過分な評価を頂き恐縮しています。でも、Kenさんには
及ばないといつも思っていますよ。
格闘技が好きなので、今日は柔道を見ました。
男女ともメダル獲得で良く健闘しました。
学生時代の冬合宿は館山だったので、鋸山は懐かしいですね。
房総半島の先端は冬でも常緑樹が茂り、ミカンがなっていることに感動した記憶がよみがえりました。
(北海道は概して落葉樹が多いのです)
「二人してカッコー聞けばいつしかに 越えし山坂共におもいて」
いいですね。平明で淡々とした心が伝わります。
東京五輪。
私も同じ思いです。
すべてのアスリートを応援しようと思います。
みな、この日のために、頑張ってきたのだから。
コメント頂きありがとうございます。
おっしゃる通りですね。五年間にわたり文字通り自己の人生をかけて、
この五輪に挑んできた選手たちと、挑んでも残念ながら届か担った
多くの選手のためにも心して応援したいと思います。
柔道、ソフトボール、鉄棒にも感動しました。
「行雲流水」さんは学生時代の冬合宿は千葉館山とのこと。ここは、
おっしゃるように冬でも常緑樹が茂り、水仙をはじめストック、
菜の花が咲き冬を忘れさせてくれますね。
なお、心の籠った短歌の批評をして頂き、ありがとうございます。
最近は、こんな心境の短歌も結構詠んでいます。
早速コメント頂きありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
この舞台に立つために、五年間にわたって頑張ってきた選手たち、
挑戦しても、舞台に立つことすら許されなかった多くの選手たち、
そんな思いを背負い、抱えた選手たちの頑張りを応援したいと思います。
真っすぐなすずさんのコメントには、いつも励まされます。
引き続きのコメントを頂きありがとうございます。
海を感じて美味しいお酒を、クッキーさんと共に語らいながら、
たしなまれるのは最高に幸せなひと時ですね。
「行雲」さんと並んで、評価して頂けるのは恐縮しきりです。
彼の見識には遠く及ばないことを、私自身認識しておりますので…。
劉邦は400年にわたって繁栄する漢王朝を作り上げましたが、
おっしゃるように、張良、蕭何、韓信という優れたメンバーを
重んじ、彼らの力をいかんなく発揮させる良きリーダー役を
果たしたと思っています。
あの始皇帝とも戦い、漢王朝を打ち立てた業績は、多くの苦難は
あったものの凄いと思っています。
閉塞感の満ちた、行き詰まった時代には、それを切り開く人材が
現れるものですが、今はそのような人材が待たれる時節とも感じます。
ブログの場合、利害関係ないですしわりと自由に発言や会話が出来ます。そして会話を通してその人の人柄や才能が垣間見えます。「行雲」さんやShouさんの場合すぐに俊才・英才と分かりました。私がどのような時代でもリーダーなら、三顧の礼を持ってお二人をお迎えしてご一緒に仕事をしたいと行雲さんに話したのは本当の話です。私は山口県出身で東京に拠点がなく30歳の事務所をつくりましたが、本社機能を作るまでそれはそれで大変でした。たった一人単身で当時のお金150万円を持って東京事務所を設立しました。事業部も東京に作らず優秀な責任者を見つけて彼らのいるその場所を事業部として運営しました。大阪、名古屋、福岡等に事業部がありました。その事業部を固め売り上げを維持しながら本社体制を作って行ったのです。コロナ禍のリモートワーク体制とよく似ているやり方です。考えて見ると私も先進的だったかも分かりませんね(笑)政府の運営方式は官僚体制ですから、完全に硬直化、行き詰っています。横断的・機能的組織を作れないと今の現状は打破出来ないと思います。それは与野党に言えると思います。政府は昨年の2月以降①PCR検査②ワクチン接種を全国民的活動に全ての資源を注入出来なかったつけが今表れています。
おっしゃるように、ブログは自由に会話もでき、匿名性もあり本音に近いお話も出来る
優れた「広場」との印象があります。
私は既に現役を離れ、「三顧の礼」をもって迎えて頂くような人材ではありませんが、
現役の時代にお目にかかって、「行雲」さんも交えて、新たな事業展開などをともに
追及できていたらとの想いがあります。
それだけKenさんは情熱を持った、魅力的な存在と思っています。
御父上の逝去に伴い急遽社長業を継ぎ、30歳で事務所をつくり、さらに本社機能を
作るまでの取り組みは、私などの想像を絶する苦労の連続であったことと思います。
また、各地にその人材にあった事業展開を図ったことは、「セルカンパニー」とも
言える、先進的な取り組みであったと思っています。
おっしゃるように、政府は昨年の2月以降の取り組みは専門家の意見も踏まえ、
感染症対策を科学的視点からきちんと精査し、取り組めなかったことが何よりの
問題と思っています。ワクチンの開発・確保と、治療薬の開発に日本の優れた技術を
総動員できなかったことと思います。
コロナ禍からの立ち直りも見通し、兪博士の説く日本再生のための「プランB」を
私たちも謙虚に学んでみたいと思います。
今の政権にもこのプランに、謙虚に耳を傾けて頂けたらと思いますが…。