この稿は、かつて私の所属していた短歌会の歌誌に、投稿し掲載されたものですが、
短歌についての私の想いを、拙いながらも表現していると思いますので、ここに若干の手直しを行い
掲載させて頂きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8e/a5ea068282525edca4565f211a0ba734.jpg)
「白い夾竹桃」
☆☆☆☆☆☆☆☆
独りのつぶやきが、叫びが、そして哀しみが歌となり、その時代の思いに重なっていくことがあります。
短歌は時代の荒波に晒されながら、幾世代にもわたって歌い継がれ人々の心を、ある時は激しく、
ある時はたおやかに揺さぶってきました。
「一行の詩」とも言われる短歌が、時代の過酷な波に洗われながら、なお鮮烈な生命を持ち続け得たのは
なぜでしょうか。それはどんな時代にあっても、人間の持つ根源的な哀しみを温かく見守り、
それへの共感を紡いできたからであり、諸々の哀しみを越え、なお前進しようとする人々の思いと志とを、
三十一韻律の器に満たしてきたからではないでしょうか。
決して高らかにではなく、密やかに、つぶやくように、また祈るように、それぞれの身の丈に合わせて
詠われてきた短歌。
それは千年余にわたって、連綿と人々の心に刻まれてきた魂の碑(いしぶみ)とも言えます。
人々の哀しみに寄り添い、密やかな勇気と想いとをその行間に滲ませた短歌は、表現の巧拙を越えて
人々の琴線に触れ、人間への賛歌を奏でてきました。
これらは、かつて大江健三郎氏がノーベル平和賞受賞記念講演の際に述べられた「芸術の治癒力」
「時代に傷ついた魂の癒し」を、大げさでなく短歌も少なからず担えることを私たちに語りかけてきます。
なお、大江氏が「閉じた言葉」として批判的に例示された「月の歌人」明恵上人の和歌には、
歌を学ぶ一人として弁護の余地を残したい思います。生命への畏れを、澄明かつ静謐な詩的空間の内に
表出した上人の和歌。
生きとし生ける者に注ぐ、慈愛に満ちたまなざしと共に「歌をもって天地を動かす」気迫を内に秘めた歌。
それでいて涼やかな調べと共に、深い余韻を感じさせる歌の持つ奥深さと凄さを、上人の和歌から
学んだ者の一人として…。
短歌は人々がどんな悲惨な状況に置かれようとも、否、状況が悲惨ならなおさらに慟哭と隣り合わせで、
生命への愛おしさを擁くように紡ぎだされてきました。歌群を貫く志と、生命への熱い想いを、
かの大戦下の短歌に、また1995年1月の阪神淡路大震災下の短歌に、さらに2011年3月
東日本大震災後に、各メディアに投稿されたおびただしい歌群に見ることができました。
これらの短歌は何れも「傷ついた魂の癒し」を深く、重々しく、心に沁み入るように詠っています。
愛するものを失った男達が、また女たちが慟哭の夜を重ねてなお、湧き上がってくる思を鎮めるために、
自らの心に重ねるようにして詠んだ短歌。それは、正に魂鎮めであり「傷ついた魂の癒し」でもありました。
「詠まずにはいられない」状況が紡がせた歌群は、その臨場感と迫力とにより「一瞬の今」を写し、
歴史の赤裸々な写生者としても立ちあがってきます。それは抒情性の文学と言われる短歌の持つ、
もう一つの側面を形作っています。
千年を越える伝統の中で磨かれ、試され、継承されてきた短歌。この短詩形文学は、圧倒的多数者である
市井の歌人の手に委ねられたことにより、歴史の証言者、記録者としての地歩を築き、さらには民族の
詩精神とともに、その美意識をも育む礎を築いてきました。
一面焦土と化した神戸の街。敬愛し親友とも呼べる友をこの震災で失いました。
☆生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ
1995年1月17日の発生から、二十六年。今はコロナ禍で訪ねることが叶いませんが、
復興著しい神戸の街の片隅には、炎暑をものともせずに、底紅をにじませた白い「宗旦むくげ」が、
楚々として咲いていることと思います。
一日花の儚さをまといながらも健気に咲くその花の矜持に、神戸の街の復興を担った人々の思いが、
さらに東北の地で、オリンピックの歓喜を聴きながらも、未だなお復興を担う多くの人々の胸奥に
秘められた熱い思いが、重なって見えます。 了
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a639e779abe00535e15148d7778ad1b8.jpg)
「宗旦むくげの花」
短歌についての私の想いを、拙いながらも表現していると思いますので、ここに若干の手直しを行い
掲載させて頂きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8e/a5ea068282525edca4565f211a0ba734.jpg)
「白い夾竹桃」
☆☆☆☆☆☆☆☆
独りのつぶやきが、叫びが、そして哀しみが歌となり、その時代の思いに重なっていくことがあります。
短歌は時代の荒波に晒されながら、幾世代にもわたって歌い継がれ人々の心を、ある時は激しく、
ある時はたおやかに揺さぶってきました。
「一行の詩」とも言われる短歌が、時代の過酷な波に洗われながら、なお鮮烈な生命を持ち続け得たのは
なぜでしょうか。それはどんな時代にあっても、人間の持つ根源的な哀しみを温かく見守り、
それへの共感を紡いできたからであり、諸々の哀しみを越え、なお前進しようとする人々の思いと志とを、
三十一韻律の器に満たしてきたからではないでしょうか。
決して高らかにではなく、密やかに、つぶやくように、また祈るように、それぞれの身の丈に合わせて
詠われてきた短歌。
それは千年余にわたって、連綿と人々の心に刻まれてきた魂の碑(いしぶみ)とも言えます。
人々の哀しみに寄り添い、密やかな勇気と想いとをその行間に滲ませた短歌は、表現の巧拙を越えて
人々の琴線に触れ、人間への賛歌を奏でてきました。
これらは、かつて大江健三郎氏がノーベル平和賞受賞記念講演の際に述べられた「芸術の治癒力」
「時代に傷ついた魂の癒し」を、大げさでなく短歌も少なからず担えることを私たちに語りかけてきます。
なお、大江氏が「閉じた言葉」として批判的に例示された「月の歌人」明恵上人の和歌には、
歌を学ぶ一人として弁護の余地を残したい思います。生命への畏れを、澄明かつ静謐な詩的空間の内に
表出した上人の和歌。
生きとし生ける者に注ぐ、慈愛に満ちたまなざしと共に「歌をもって天地を動かす」気迫を内に秘めた歌。
それでいて涼やかな調べと共に、深い余韻を感じさせる歌の持つ奥深さと凄さを、上人の和歌から
学んだ者の一人として…。
短歌は人々がどんな悲惨な状況に置かれようとも、否、状況が悲惨ならなおさらに慟哭と隣り合わせで、
生命への愛おしさを擁くように紡ぎだされてきました。歌群を貫く志と、生命への熱い想いを、
かの大戦下の短歌に、また1995年1月の阪神淡路大震災下の短歌に、さらに2011年3月
東日本大震災後に、各メディアに投稿されたおびただしい歌群に見ることができました。
これらの短歌は何れも「傷ついた魂の癒し」を深く、重々しく、心に沁み入るように詠っています。
愛するものを失った男達が、また女たちが慟哭の夜を重ねてなお、湧き上がってくる思を鎮めるために、
自らの心に重ねるようにして詠んだ短歌。それは、正に魂鎮めであり「傷ついた魂の癒し」でもありました。
「詠まずにはいられない」状況が紡がせた歌群は、その臨場感と迫力とにより「一瞬の今」を写し、
歴史の赤裸々な写生者としても立ちあがってきます。それは抒情性の文学と言われる短歌の持つ、
もう一つの側面を形作っています。
千年を越える伝統の中で磨かれ、試され、継承されてきた短歌。この短詩形文学は、圧倒的多数者である
市井の歌人の手に委ねられたことにより、歴史の証言者、記録者としての地歩を築き、さらには民族の
詩精神とともに、その美意識をも育む礎を築いてきました。
一面焦土と化した神戸の街。敬愛し親友とも呼べる友をこの震災で失いました。
☆生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ
1995年1月17日の発生から、二十六年。今はコロナ禍で訪ねることが叶いませんが、
復興著しい神戸の街の片隅には、炎暑をものともせずに、底紅をにじませた白い「宗旦むくげ」が、
楚々として咲いていることと思います。
一日花の儚さをまといながらも健気に咲くその花の矜持に、神戸の街の復興を担った人々の思いが、
さらに東北の地で、オリンピックの歓喜を聴きながらも、未だなお復興を担う多くの人々の胸奥に
秘められた熱い思いが、重なって見えます。 了
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a639e779abe00535e15148d7778ad1b8.jpg)
「宗旦むくげの花」
新着「短歌の癒し」の白い夾竹桃と宗旦むくげの花が素敵で綺麗ですね。
小さいお花ですが可愛いというよりどこか強靭さを感じます。
投稿された文章もため息が出る程短歌の持つ歴史感や存在性が述べられており、さすが
歌誌に掲載された文章と思います。
その中で一面焦土と化した神戸の街。敬愛し親友とも呼べる友をこの震災で失いました。
「生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ」を見た瞬間絶句しました。
そうでしたか、今から26年前1月17日のことは良く覚えています。朝テレビをつけると神戸市内が火の海でした。
人間というものは、記憶が薄れてきますと全てが風化していきますが、そうした中で短歌が持つ意味は大きいですね。短歌で綴られたものは永遠に残り、詠み直されると瞬時にその時を良くも悪くも再現してくれます。
まさに短歌は「短歌の癒し」ですね。
早速にコメント頂きありがとうございます。
今回は文章を中心とするため、画像の掲載は極力控えましたが、
白の夾竹桃と、宗旦むくげに目を止めて頂きありがとうございます。
夏咲く花では、この花と酔芙蓉が好きです。
一度短歌についての想いを、このブログにも書いておきたいと
思っていましたが…、短歌をやらない方にとっては、興味を引く
内容ではありませんでしたので控えてきました。
Kenさんに感想をおっしゃって頂いて嬉しいですよ。
おっしゃるように、想いは風化しますが、短歌にはその想いを
喚起する力が、少しあると思っています。
詞とともに、短歌にも真向かっていけたらと思っています。
短歌や俳句は好きですが、以前にも触れたことがありご記憶に残されていると思いますが「諦めた」ものの一つです。こうやって楽しませて頂き、学ばせて頂くことの側に。
「一瞬の今」を写すに感銘を受けています。写真もその一瞬一瞬をとらえるものですが、私の信条の一つでもある「一瞬懸命に生きる」にも通じていると「ドキッと」しましたよ。
短歌への思い、実に深い思いを抱かれていることに敬意を表します。今日も学ばせて頂き有難うございました。
小休憩にて一言コメントさせて頂きました。
「☆生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ 」・・・こちらが目に入った瞬間色々な思いが頭を駆けめぐりました。
1994年12月の終わり、次女が生まれ、主人の両親が熊本から遊びに来ておりました。当時はまだ私たちは鳥取に住んでおりました。
暫く滞在したのち、1月15日の朝に神戸へ遊びに行く予定にしていたふたり。。
しかし鳥取は大雪に見舞われ、断念して熊本へ帰っていきました。
もしあの時神戸へ遊びに行っていたらと思うと恐怖で震えました。
鳥取もかなり揺れ、朝テレビを見て愕然としました。
26年前ですね。年月は過ぎていきますが、この日の事は忘れません。
あまりなじみのなかった短歌ですが、こちらのブログを読ませていただき、興味がわきました。
少し勉強してみようかと思います。
ありがとうございました。
白い夾竹桃、凛として存在感ありますね。花の大きさ関係なく、その花の持つ力でしょうね。
夾竹桃と、むくげの花に目を止めて頂き嬉しいです。yamaさんの詩情に満ちた
写真のようには、中々撮れませんが、励みとしたいと思います。
yamaさんの歌詞には7、5調の韻もあり短歌をされていた方との印象があります。
短歌は散文のように、大きな物語を構築する事は出来ませんが、
一瞬の今を切り取り、その中に想いを凝縮し、表現することが出来るのではないかと
思っています。その点では作詞にも通じるものがあると感じています。
お忙しいなか、心の籠ったコメントを頂き、重ねて御礼申し上げます。
阪神淡路大震災の際の家族史も含めて、コメントを頂き
ありがとうございました。
そのような偶然もあるものなんですね。ホッとしたことと思いますが、
天の恩寵とも言える事柄であったことと思います。
私の友人は事務所開設を兼ねた出張先での惨事でした。
打ちのめされた思いが、今でもよみがえります。
短歌に興味を持たれたとのこと。嬉しいですね。
日々の想いの記録として、気楽に詠まれることをお勧めします。
Yokiさんは作詞を通して、言葉の韻や、調べを身に着けておられますので
短歌を詠むのにハードルは無いと思っています。
白の夾竹桃に目を止めて頂き嬉しいです。好きな花の一つです。
今日は何の日?
私の誕生日です(笑)
1947年昭和22年8月5日午前4時半に生まれたそうです。74歳になりました。
今日は快晴ですので出かけて来ます。
文字通り、日本の戦後史を身体に刻んで、日本の復興と共に
歩まれてきたことが分かります。
今日はクッキーさんと誕生祝パーティーですね。
Kenさんと、カサブランカが似合う素敵なパートナーとの
新たな日々に乾杯です。
今上田の信濃国分寺跡に行って来ました。
今日は快晴なのでハスを見に行って来ました。
私は花音痴でハスの写真など撮ったことがありませんので挑戦して見ました。まだ編集していません。
これからシャワーを浴びてcookieと食事会をします。実はcookieも8月31日誕生日で毎年二人の誕生会は1回だけ外でパーティをしますので、今日はささやかです。
シャンパンで乾杯です。cookieに「桃まるごとケーキ」を買って来ました。
上田国分寺まで蓮の花を見に行って来られたとのこと。
ここには見事な三重塔と、蓮田がありますね。
蓮は7月中頃から咲いているでしょうから、既に終盤かも知れませんが
結構見ごたえがあるかと思います。
写真を楽しみにしています。
Cookieさんも8月が誕生日とのこと。
お二人で同月の誕生日パーティーを催すとは
嬉しさ倍増ですね。
今宵はまずシャンパンで乾杯ですね。