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歴史の中の『ヒットラー総統』

2016年07月09日 | 日記

  我々は、歴史の中から教訓を学ばなければ、何を持ってして教訓とすれば良いのだろうか・・・?
今回の参議院議員選挙と云う国政選挙から、未だ社会の真理を見極めの付きにくい年齢であろう、多くの18歳、19歳の青少年が投票権を持つ事に成るが、その決定、現政権に拠って決められた事とあるので、現政権に有利に働くであろうことは、充分に推測する事が出来る。


  さて、ドイツ或はイタリア、日本が、三国同盟を結び第二次世界大戦へと戦乱が拡大する事に成った、あの『ヒトラー総統』が正当なドイツの国政選挙で、選ばれた事はほとんどの18歳以上の日本国民なら、御存じの事であろう。  だから、民主主義は危険で無い、と云う事には決してならないという事を、心に留め置かねばならない。
 未だ年端の行かない18歳、19歳の青少年たちが、どのような選挙行動に出るのか予断を許さないで、見極める必要が有るのだが、その結果によっては、アメリカのモンロー主義傾倒を持ち出すまでも無く、イギリスのEU離脱、ヨーロッパ諸国の外国人排斥運動等、世界が急激に変わろうとする事態を、押し留めようとする世界の動きの中で、この日本も舵取りを間違えれば、再び、あの悲惨な戦乱の時代が訪れるという事も、想定の中に入れておかねばならないのでは・・・ないか。

  筆者がこの世に生を受けて、数十年、今ほど日本に自立心が求められたことは、無かった様な気がします。  これまでは、親分から3歩離れて後(うしろ)について行けば、大方の国民にオマンマが行き渡っていたから、或は、指導者たちは経済的には日米年次改革要望書、軍事的には日米合同委員会に任せて置けば、自分たちの庶民からすれば、高所得を得る事が出来たからです。
 しかし、これから何もしなければ、日本と云う国の細胞膜は剥がされ、日本の自然環境と云う富、具体的に言えば『水、食料、エネルギー、或は国民の勤勉性、品格』と云うものが、ズタズタに引き裂かれてしまう様な気がして仕方がありません。


  最近は、ネット情報が溢れていて、どうして世界の金融寡頭勢力が力を持ち続けているのかとか、『日本の国富』が偏って資産家の人々の間にだけ集まるのか、マスコミやその政権の提灯持ち係の『懐』へだけ、そのご褒美やおこぼれが流れるのか、流しそうめんの様に綺麗に見えています。
それもこれも、過去をほじくれば、未来も見えて来るのだろうと思います。  以下ヒットラー総統の、WIKIによる書き込み、引用して置きます。

   ***  以下引用 下記URLより  ***
     https://ja.wikipedia.org/wiki/・・・・

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  ヒトラーが軍や諜報機関を離れた時期は定かではないが、いつしか政治活動自体にのめり込んでドイツ労働者党の専従職員になったのは間違いないと見られている。 彼は周辺国や国内の政治団体への過激な演説で名前を知られるようになり、ドイツ労働者党でも有力な政治家と目されていった。
 ・・・・・・・・・・労働者党内で分派闘争が起きると一時的にドレクスラーによって党内から追放されるが、党執行部のクーデターによりドレスクラーは名誉議長として実権を奪われ、代わりにヒトラーが第一議長に指名された。 この頃からヒトラーは支持者から「Führer」(指導者)と呼ばれるようになり、次第に党内に定着した。 すでにイタリアで一党独裁政治を行うムッソリーニが採用していたローマ式敬礼に倣って、ナチス式敬礼を取り入れたのもこの頃のことである。

  突撃隊の活動などでミュンヘン政界でも知られる存在となったヒトラーは、エッカート、エルンスト・ハンフシュテングル、マックス・エルヴィン・フォン・ショイブナー=リヒターらの紹介で、ミュンヘンの社交界でも知られるようになった。ピアノメーカーベヒシュタインのオーナー未亡人であったヘレーネ・ベヒシュタインなどの上流階級婦人が熱心な後援者となり、生活の援助をしたほか、ヒトラーに紳士の立ち振る舞いを身につけさせた。

  党勢を拡大したナチス党を含んだ右派政党の団体であるドイツ闘争連盟はイタリアのファシスト党が行ったローマ進軍を真似てベルリン進軍を望むようになった。
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  11月9日朝にヒトラーとルーデンドルフはドイツ闘争連盟を率いてミュンヘン中心部へ向けて行進を開始した。ヒトラーもルーデンドルフも一次大戦の英雄であるルーデンドルフに対して軍も警察も発砲はしまいという過信があった。 しかしバイエルン州警察は構わず発砲し、一揆は総崩れとなった。 ヒトラーは逃亡を図り、党員エルンスト・ハンフシュテングルの別荘に潜伏したが、11月11日には逮捕された。 逮捕直前にヒトラーは自殺を試み、ハンフシュテングルの妻ヘレーネによって制止された。 収監後、しばらくは虚脱状態となり、絶食した。 失意のヒトラーをヘレーネやドレクスラーら複数の人物が激励したとしている。

  逮捕後の裁判はヒトラーの独壇場であり、弁解を行わず一揆の全責任を引き受け自らの主張を述べる戦術を取り、ルーデンドルフと並ぶ大物と見られるようになった。 花束を持った女性支持者が連日留置場に押しかけ、ヒトラーの使った浴槽で入浴させてくれと言う者も現れた。 司法の側もヒトラーに極めて同情的であり、主任検事が起訴状で「ドイツ精神に対する自信を回復させようとした彼の誠実な尽力は、なんと言おうとも一つの功績であり続ける。 演説家としての無類の才能を駆使して意義あることを成し遂げた」と評するほどであった。

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  1924年4月1日、ヒトラーは要塞禁錮5年の判決を受けランツベルク要塞刑務所に収容されるが、所内では特別待遇を受けた。 オーストリア国籍を持っていたヒトラーは国外追放されるおそれがあったが、判決では「ヒトラーほどドイツ人的な思考、感情の持ち主はいない」として国外追放は適用されなかった。 

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ヒトラーは職員や所長まで信服させ、9月頃には所長から仮釈放の申請が行われ始めた。州政府は抵抗したが裁判を行った判事がヒトラーのためにアピールを行うという通告もあり、12月20日に釈放された。 シュトラッサーの運動は内部抗争によって分裂し、12月の選挙でも大敗を喫した。
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  1932年大統領選挙の投票・・
候補者名は上からヒンデンブルク(無所属)、ヒトラー(ナチス)、テールマン(共産党)
1929年の世界恐慌によって急速に景気の悪化したドイツでは、街に大量の失業者が溢れかえり社会情勢は不安の一途をたどっていた。 さらにヤング案への反発がドイツ社会民主党政府への反感の元となった。

  同じくドイツ共産党も社会的混乱に乗じて伸張し、1930年の国会選挙ではナチスが得票率18%、共産党が得票率13%を獲得し、社会民主党の得票率24.5%に次ぐ第2党と第3党に成長し、各地の都市でナチス党の私兵部隊「突撃隊」と共産党の私兵部隊「赤色戦線戦士同盟」の私闘が激化するようになった。 党勢の拡大にもかかわらず待遇が改善されない突撃隊には幹部に対する反感が生まれ、ヒトラーは突撃隊を押さえるためにレームを呼び戻さざるを得なくなった。

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  ヒトラーは大統領選には敗れたものの、続く1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第1党だった社会民主党を抜いて国会の第1党となった。

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  しかしこの選挙で共産党が得票を伸ばしていたことに、保守層は危機感を抱いた。  財界や伝統的保守主義者などの富裕層はナチスのイデオロギーにも懐疑的であったが、それ以上に共産党がこれ以上伸張してロシア革命の二の舞のような事態だけは避けなくてはならず、ナチ党は共産党に対抗できる政党とみなされた。 
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  一方で事態を打開することができなかったパーペン内閣はクルト・フォン・シュライヒャーの策動により崩壊し、後継内閣はシュライヒャーが組織した。 シュライヒャーはシュトラッサーらナチス左派を取り込もうとしたが失敗した。 シュライヒャーに反発したパーペンの協力もあり、ヒンデンブルク大統領の承認を得たヒトラーは国家人民党の協力を取り付けることに成功し1933年1月30日、ついにヒトラー内閣が発足した。

ヒトラー新首相は就任した30日夜にフリック新内相を通じた談話で、(1) 国際社会との平和裏の共存、(2) ワイマール憲法の遵守、(3) 共産党を弾圧しないといった施政方針を表明した。 しかし、これらが嘘であることは後述の通りすぐに明らかになった。


  内閣発足の2日後に当たる2月1日に議会を解散し、国会議員選挙日を3月5日と決定した。 2月27日の深夜、国会議事堂が炎上する事件が発生した(ドイツ国会議事堂放火事件)。 ヒトラーとゲーリングは「共産主義者蜂起の始まり」と断定し、直ちに共産主義者の逮捕を始めた。 翌28日にヒンデンブルク大統領に憲法の基本的人権条項を停止し、共産党員などを法手続に拠らずに逮捕できる大統領緊急令を発令させた。
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   ***  以上 引用   終  ***