PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



保護司会の研修でした。パチパチ!
今、何かと話題の『ケーキの切れない非行少年たち』や、『反省させると犯罪者になります』といった、非行少年を扱った新書をひいて、みんなで議論しました。


ありがたいことに流山市は、近隣に比べ、犯罪の少ない街なのですが、それでも市内の犯罪状況を、みれば一目瞭然に分かるように、常に犯罪は起きており、犯人が捕まり、保護観察になったり、刑に処されています。



「子どもをほめて育てる」



ということに、予てから、個人的にどうも得心がいかなかったのですが、保護観察官の
「問題を先送りにしているだけだと感じる」
という現場の言葉に、すっきりしました。ほめたって自己肯定感は育ちません(もちろん、けなすよりはいいけど)。

「どうだった?」
「よかったよ」
「えらいね!すごいね!」

○○だから、というのは、あくまで「条件ありき」であって、自己ではなく条件こそが愛される理由だと誤解される、さらにはウソがうまれる可能性が出てくるのではないか、と思うのです。
以前、「自己肯定感を育てるために、子どもに習い事をさせています」という方がいて、もやもやしました。
習い事したって、人より下手なら落ち込むだけです。そして、上手くたって、優越感を得るだけでは、鼻持ちならない人間になるのではないか、と思うからです。もちろん、習い事はいいことなのですが、「○○だから」という部分に「それって親であるあなたのエゴでしょ?」と思ってしまったのです。ごめんなさい。

今、マウンティングという言葉がネットの中で散見されますが、もの凄く質の悪いイジメだと感じています。匿名だから、まったく悪いと思っていない曖昧なイジメ。「自分の考える正義」の押し付け。


大人だって、ケーキを三等分に切れないのです。

「ぴったり三等分は、かえって公平ではないのでは?」
「体の大きさにあった分量に配分するべき」
「いや、ケーキが好きな人には多く、そうでない人には少なく」
「お金を出した人が多く取るのは当然だ」

大人である我々は、本当にケーキを三等分に分けられるのでしょうか?
真の三等分なんて無い、ということに気づけないで、「あなたの三等分は違う」と言っているだけなのでは、、、、、

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