昨夜は浅草の緑泉寺さんで開かれた、『LGBTフレンドリーなお寺になる』という研修会に行ってまいりました。パチパチ!
まずは、ドキュメンタリー映画『空と、木の実と。』のダイジェスト版試写会。当日は、常井美幸監督もいらしていたので、ずうずうしく名刺交換したり、僧侶や、一般の方とも感想を語り合いました。
真言宗の場合、戒名は二文字だけですが、位号(信士・信女や居士・大姉)と呼ばれる部分に明確に男女の区別があります(本来は、院号、道号、戒名、位号、すべて合わせて法号というのですが、一般の方は法号を戒名と呼んでいます)。そのことに対しこれまでは、「戸籍はともかく、故人の遺志を尊重しまーっしゅ」くらいにしか、考えていなかったのですが、「私は男でも女でもありません」とか「私は男であり、女でもあります」と、言われたら、さてどうするか。
♪いくつに見えても私誰でも、私は私よ関係ないわ~ うん、あなたは少女A。
~閑話休題~
いやいや、こちらから授与するものだから、授戒をする導師の、周囲を納得させ得る毅然とした態度と、確固たる意志があればそれでいいのかも知れません。でも確固たる意志って?
講師の㈱アンカレッジ伊藤社長の「相談してくれれば~というのは、ずるいんじゃないか」という言葉がチクリと刺さりました。
何か事が起きてから「相談してくれればよかったのに」というのではなく、「私たちは皆さんのために、このような準備が出来ていますよ」と、あらかじめ、きちんとオープンにしておくべきだなと。
仏教では悟りを開くと性別を超越します。仏さまは男であり女であります。また、我々の使っている日本語には、男性名詞女性名詞がありません。そんなことから、日本仏教には性的マイノリティの方々の悩みや苦しみに寄り添うヒントがあると勝手に思っているのですが、、、
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