読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

錦帯橋、吉香公園、岩国城の眺め

2018-07-30 13:07:31 | フォトギャラリー
4月22日、山口県岩国市の城山登山道を登って岩国城へ行った時、錦帯橋(きんたいきょう)、吉香(きっこう)公園、そして岩国城の中からも写真を撮りました。
※「城山登山道で岩国城へ」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

晴れていたのでとても良い景色を見ることができました。
錦帯橋の下を流れる錦川、吉香公園の緑、岩国城からの眺望、どれも綺麗です

-------------------- 錦帯橋、吉香公園、岩国城の眺め --------------------


錦帯橋にやってきました。


橋を歩いていきます。


橋の下を流れるのは錦川です。


清流として知られていて、水が透き通っていて川の底が見えます






橋の上りと下りは細かな階段になっています。


橋を進んでいくと錦川の眺めも少しずつ変わってきます。
この位置からは力強く見えました。


屋形船が出ていました。


晴れた日にこんな綺麗な川を屋形船で渡るのは楽しいと思います


青空と新緑の明るい雰囲気の中で橋から錦川を眺め、流れる音を聞いていると、清々しい気持ちになります。


錦帯橋を渡った先の吉香公園に来ました。


吉香神社に参拝しました。


たくさんの新緑と神社の建造物が合わさり、良い雰囲気になっています。






旧岩国藩主吉川氏の祖霊を祀っていて、毛利元就の次男で戦において76戦64勝12分けと生涯無敗の勇将、吉川元春も祀られています。


永興寺(ようこうじ)にも行きました。


入り口に「名勝 永興寺庭園」とあり、もみじがたくさんあるので秋になると綺麗な紅葉が見られるようです。


枯山水(かれさんすい、水を用いず石の組合せや地形の高低などによって山水の趣を表した庭園のこと)もありました。




新緑の大木が青空によく映えています。




イチョウの新緑に躍動感を感じました。


岩国城に行くロープウェイが上っていくのが見えました。
今回はロープウェイは使わずに城山登山道を歩いて岩国城へ行きました。


岩国城天守閣からの眺め。


錦川がやがて海に流れ出ていくのが分かります。


錦帯橋近くの錦川には広大な川岸があり、観光に来た車がたくさん止まっています。


海近くの錦川。
遠くには島がいくつも浮かんでいて瀬戸内海らしいです


天守閣から見た錦帯橋。
橋の全景が分かります。
日本三大奇橋の一つになっていて、このアーチ状の形はとても印象的です。


錦帯橋、吉香公園、岩国城は一日のうちに見て回れるのが良いと思います。
錦帯橋を渡りながら錦川の清流を見て清々しい気持ちになり、吉香公園の新緑で明るい気持ちになり、岩国城天守閣からの眺望で静かで爽やかな気持ちになりました。
またいずれ綺麗な景色を見に行きたいと思います


※以前作ったフォトギャラリーをご覧になる方は次のリンクからどうぞ。
「アーチ型の錦帯橋」
「緑豊かな吉香公園」
「山の上の岩国城」

※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

城山登山道で岩国城へ

2018-06-28 22:07:31 | フォトギャラリー
4月22日、山口県岩国市にある錦帯橋(きんたいきょう)、吉香(きっこう)公園、岩国城に行きました。
※以前作ったフォトギャラリーをご覧になる方は次のリンクからどうぞ。
「アーチ型の錦帯橋」
「緑豊かな吉香公園」
「山の上の岩国城」

その時に今回は歩いて山を登って岩国城に行きました。
新緑と木漏れ日の中を上って行き、脚は疲れましたが山頂が近づき青空が広がり道が開けると嬉しくなりました


-------------------- 城山登山道で岩国城へ --------------------


錦帯橋にやってきました。


錦帯橋を渡った先にある吉香公園に来ました。


吉香公園に隣接する紅葉谷公園に来ました。


ここは紅葉の名所として知られ、日本紅葉の名所100選に選ばれています。


新緑が太陽の光を浴びてとても美しいです


山頂まで歩いて行きます。
山頂の少し下にある山頂駅まで1500mで徒歩約30分かかります。


坂道が続くので平地のようには足が前に出ていかないです。


太陽の光でキラキラ輝いている新緑もありました


もみじの新緑。
向こう側から太陽の光を浴びると明るさと静けさを兼ね備えた雰囲気になります。


とても小さな滝もありました。


和む雰囲気のししおどしもありました。


はなみずきの新緑。


地層が見えています。




ここからは少し錦帯橋が見えました。






小さなキャラクターの置物がたくさん置かれている場所がありました。


これも和む雰囲気でした。


疲れてきた頃にこの置物があり、気持ちを和ませて山頂に向かうことができました。




木漏れ日の上り坂にも終わりが見えてきました。




視界が開けてきました。


八重桜が散る中を進んで行きます。


この右手を見ると、


「城山おもしろぱあく」という円形の広場があります。


小さな藤の花がありました。
一つの木に二種類の色の花があります。


紫色の花。




薄い紫色の花。






からくり時計。
真ん中に鵜飼いの模型があります。


岩国城ロープウェー山頂駅に着きました。
前回作ったフォトギャラリーではロープウェーに乗って山頂駅で降りて岩国城に行きました。


山頂駅を降りてすぐ左手を見た眺めです。


岩国城に向かいます。


右手の階段からも左手の上り坂からも岩国城に行けます。
私は左手の上り坂から行きました。




旧岩国城の石垣。
江戸幕府の「一国一城令」で取り壊される前はここに岩国城がありました。


ついに岩国城に到着しました。
やっとたどり着いたかと嬉しい気持ちになりました。


麓から山頂駅までが1.5km、山頂駅から岩国城までが500mで、合計2kmです。
平地での2kmならそれほど疲れずに歩けますが、上り坂が続く2kmはかなり疲れました。
しかし山頂が近づき視界が開けてくるとワクワクしてきて、目指していた岩国城に到着すると嬉しくなり、ロープウェーで行くのとはまた違う面白さがあって良いと思います


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

とうかさん大祭 夜の風景

2018-06-10 20:53:59 | フォトギャラリー
※「とうかさん大祭 昼の風景」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

6月2日の昼間にとうかさん大祭を見た後、夜になってからもう一度行きました。
夜になると福昌山慈善院圓隆寺(ふくしょうざんじぜんいんえんりゅうじ)の500個の提灯が温かな赤色に灯り幻想的な雰囲気になるとあり、ぜひ見てみたいと思いました。
祭りの雰囲気を楽しみながら歩いていき辿り着いた圓隆寺では温かく幻想的で、そしてきらびやかな景色が待っていました


-------------------- とうかさん大祭 夜の風景 --------------------


中央通りにやってきました。
昼間来た時は車が走っていましたが夜は歩行者天国になっていました


普段は歩けない場所なのでワクワクしながら圓隆寺に向かって歩きました。


中央通りからえびす通りを見るとこのようになっていました。


1枚上の写真の反対方向です。
夜になるとかなり人が増え、浴衣の人も増えていました。


歩行者天国は混雑防止のため圓隆寺に向かう道と戻る道をそれぞれ一方通行にした箇所がいくつかありました。




いくつものチームによる踊りや太鼓なども行われていました。


人混みがかなり激しくなってきました。


堀川町交差点から横に伸びていく通りを見ています。


1枚上の写真の反対方向です。




「ゆかたで来なさい」を広島弁で言うと「ゆかたできんさい」になります。
「ゆかたできん祭」は、とうかさん大祭の期間に広島市内のいくつものお店で開催されているイベントです。
浴衣で来店すると値引きしてもらえるなどの特典が受けられます


行列ができていたので見てみると、


ぼんぼりを持って写真を撮ってもらえるコーナーでした


広場のある通りに入っていきます。




広場では盆踊り大会が行われていました


広間は閑散としていた広場が夜は大混雑になっています。






中央通りに戻ってきました。


太鼓の出番を待つ子達。


よさこいソーランもやっていました。


夜はシャッタースピードが落ちるため、速い踊りにカメラがついていけなかったです。


「嵐舞琉」というチームで、みんな楽しそうに踊っていたのが良かったです


ついに左奥に圓隆寺の提灯が見えてきました。


圓隆寺に着きました。
たくさんの赤色の光の提灯が迎えてくれ、温かく幻想的な雰囲気になっています。


まるで提灯が雨になって降ってくるかのようです。


今年は「とうかさん」の愛称で親しまれる圓隆寺が開山して400年の節目の年です。
そして来年は「とうかさん大祭」が400回目の節目を迎えます。
節目のとうかさん大祭は今年以上に盛り上がるような気がします。


境内に入りました。
昼間よりさらに人が増え大混雑でした。
そしてたくさんの提灯が光り輝いてきらびやかになっています


再び御神体の稲荷(とうか)大明神に参拝します。


稲荷(いなり)を地元の人が音読みで「とうか」と呼んだのが稲荷(とうか)大明神の名前の由来です。
なのでお祭りの名前の「とうかさん」は、稲荷さん(いなりさん)が「とうかさん」になったのかなと思います。


お坊さんが稲荷大明神にお経を唱えていました。


昼間と同じようにこちらにも参拝しました。
中では祈祷が行われています。


写真中央のお坊さんは圓隆寺を開山した人か、宗派の開祖の人かなと思います。


祈祷は何人かの人ごとに一括して行ってくれます。
申し込み用紙に名前などを記入するので、祈祷が終わるとそれぞれの人の名前が呼ばれ、お札が配られます。


上からの眺めです。






下りてきました。


壱法符(いっぽうふ)売り場は昼間も夜も大盛況でした。


私は4回引きましたがパソコンなどの大物は当てることができなかったです。
しかし雰囲気を楽しめたので満足しています




おみくじ、提灯、厄除けうちわ、お守りなどの売り場。




圓隆寺を出ました。
温かな赤色の提灯はお寺の祭礼によく合う雰囲気だと思います。


とうかさん大祭の夜の雰囲気、とても良かったです
歩行者天国になった中央通りでは躍りや太鼓が行われ、広場では盆踊り大会が行われ、まさにお祭りの日の夜の楽しい雰囲気になっていました。
圓隆寺の赤色に灯る提灯はお寺を温かく幻想的にきらびやかに照らし、包み込まれているかのようでした。
広島に夏の訪れを告げる「とうかさん大祭」、素晴らしいお祭りだと思います


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

とうかさん大祭 昼の風景

2018-06-09 21:40:09 | フォトギャラリー
※「とうかさん大祭 夜の風景」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

6月1日から3日まで、広島でとうかさん大祭が行われました。
とうかさん大祭はえびす大祭・住吉祭と並び広島の三大祭りに数えられ、毎年6月第1金曜から土曜、日曜の3日間開催され、広島に夏の訪れを告げる祭りとして知られています
広島市の繁華街にある福昌山慈善院圓隆寺(ふくしょうざんじぜんいんえんりゅうじ)に祀られている御神体「稲荷(とうか)大明神」の祭礼で、とうかさんの名前の由来は地元の人達が稲荷(いなり)を音読みで「とうか」と呼んでいたことです。
前回山陽に住んでいた時には見られなかったこのお祭りを今回はぜひ見てみたいと思い6月2日に行ってみました


-------------------- とうかさん大祭 昼の風景 --------------------


圓隆寺にやってきました。


とうかさんは「ゆかたの着始め祭り」としても有名で、祭りの日を境に広島の街では浴衣姿の人が見られるようになります。
日本で一番早く浴衣を着て出かけるお祭りとも言われています


とうかさんでは「破魔うちわ」という厄除けうちわを売っています
このお祭りでしか手に入らないうちわで、私も購入しました。


圓隆寺には500個の提灯が飾られ、夜になると温かな赤色の光で満たされます。


6月2日の祭りの時間は12:00~23:00で、13:00過ぎの早い時間帯に来ましたが既に境内には多くの人が来ていました。


広島気ばり地蔵尊。
本気、やる気、勇気、元気、根気、負けん気、活気、短気、弱気、浮気、病気など、訪れた人のあらゆる気を高めたり、除いたりしてくれます。


手水舎(ちょうずや)。


稲荷大明神に参拝します。






右手の階段を上っていくと、もう一つ参拝できる場所があります。
中では祈祷を行っていて、希望すれば家内安全、交通安全、健康祈願、開運祈願、心願成就、厄除けなどの祈祷をしてもらえます。




階段を下りたらコンサートの準備をしている人達がいました。




参拝記念の「壱法符(いっぽうふ)」売り場。
一つ300円で、購入すると必ず「おたのしみの品」が付いてきます。
お菓子が付くことが多いですがパソコン、デジタルテレビ、肩叩き機など高価な品もあり当たっている人が何人もいました


とうかさん公式ホームページに解説があり、壱法とはこの世に二つとない存在のことで、私達自身です。
壱法符は祈祷済みで、肌身離さず持つお守りとなります。
稲荷(とうか)大明神のご加護のもと、大願成就のご利益をもたらすとあり、心強いお守りです


おみくじ、提灯、厄除けうちわ、お守りなどの売り場。




近年の私はおみくじを引くのが怖くなり、吉凶の出ない明治神宮の「大御心(おおみごころ)」以外のおみくじは引けなくなっています。


しかし縁日ではやはりおみくじは気になります。
いつかまた引けるようになったら良いなと思います。


圓隆寺の外に出ます。






お祭りでは圓隆寺の外からも参拝することができます。
ただやはり貴重な縁日なので私は境内に入って参拝しました。


とうかさん大祭の街の様子を見ていきます。


直線になっている中央通りを歩いています。


街にずらりと露店が並ぶのはとても新鮮な景色です。


6月最初の週末は全国的にまだあまり夏祭りが行われておらず、各地から露店が集まってくるため、とうかさん大祭には1000店近い露店が出ていると知り驚きました。


広場に来ました。


夜になると盆踊り大会が行われます。


平和大通りに来ました。


ここにもたくさんの露店が出ています。


左手に人だかりができているのは、


お化け屋敷です。
夏祭りの名物だなと思います。


こちらはゾンビ村。
おどろおどろしい雰囲気が道行く人々の注目を集めていました。


平和大通りから一本細い道に入るとのんびりとした雰囲気になります。


この雰囲気もお祭りの日らしくて良いと思います


初めて訪れたとうかさん大祭、浴衣姿の人がたくさん歩いているのが印象的でした。
日本で一番早く浴衣を着て出かけるお祭りと言われているとおり、6月最初の週末に浴衣を着るお祭りは珍しいと思います。
そして浴衣姿の人がたくさん歩いているのを見て、今年も夏が来たのだと感じました。
私の一番好きな季節でもあり、とうかさん大祭を見て気持ちが夏になることができて良かったです


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

世界平和記念聖堂 静寂に包まれた聖堂内

2018-05-26 23:33:05 | フォトギャラリー
5月19日、エリザベト音楽大学の大学祭に行く前に隣にある世界平和記念聖堂に行きました。
広島の中心街にあるキリスト教(カトリック)の教会堂で国の重要文化財になっています。
19日に撮っていない写真があったので今日もう一度撮りに行きました。
聖堂内の静寂に包まれた空気が印象的で、その中にしばらくいるとこちらも澄んだ気持ちになります
※「エリザベト音楽大学 大学祭」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


-------------------- 世界平和記念聖堂 静寂に包まれた聖堂内 --------------------


5月26日撮影。
世界平和記念聖堂にやってきました。
世界平和記念聖堂は原爆犠牲者を弔い、世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂です。


5月19日撮影。
現在は保存修理工事中で一番美しい姿は見られないですが建物には風格を感じます。
さっそく聖堂の中に入ってみます。


ここから5月26日撮影。
大きな鉄の扉が開け放たれています。


扉には「平和への門は隣人愛なり」と書かれています。
この扉は昭和29年(1954年)にドイツのデュッセルドルフ市から寄贈されました。


ここから5月19日撮影。


保存修理工事で幕が張られていますが本来はかなり綺麗なようです。


「これより後ろ 保護者席」とあります。
隣にあるエリザベト音楽大学が入学や卒業などの式典で世界平和記念聖堂を使用しています。


イエス・キリストの十字架のある祭壇を前に、祈りをしている方がいました。
聖堂内は静寂に包まれていて、私もあまり物音を立てないようにしました。


私が祭壇の写真を撮ろうとしている間に二人の方が祈りをしていきました。
一般に開放されてはいますがキリスト教(カトリック)の聖堂でもあり、静かにしたほうが良いと思います。


祈りが終わり一番前に行くことができました。


イエス・キリストの十字架。
重力で圧迫されるような凄味があります。


ここから5月26日撮影。
告解(こっかい)室。
自身の罪を司祭に打ち明ける場所です。
私は教徒ではないので告解したことはないですが、言いたくないことを打ち明けるのは勇気が要ると思います。


地下聖堂にも行ってみます。


ここも静寂に包まれた場所でした。


物音のしない静かな場所で、雑念が取り払われて澄んだ気持ちになるのだと思います。


「戦争で犠牲になった無名の市民」と刻まれています。
この碑石は民族紛争に揺れ続けた北アイルランドで和解を呼びかけ、さらに「9.11テロ」の悲しみを癒すためにニューヨークを旅してきました。
被爆者の追悼と世界平和を願って献堂された世界平和記念聖堂の心と相通じるところがあるため、ここに設置されることになりました。


「ヒロシマの聖母 平和の元后」。


広島の平和を願っています。


ローマ教皇 ヨハネ・パウロ二世の銅像。


1981年2月25日、広島を訪れた時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の言葉が記されています。
「戦争は人間のしわざです 戦争は人間の生命の破壊です 戦争は死です
過去を振り返ることは 将来に対する責任を担うことです
ヒロシマを考えることは 核戦争を拒否することです
ヒロシマを考えることは 平和に対して責任をとることです」

良い言葉だと思います。
ただし現実として、こちらが戦争をしたくなくても相手が問答無用で侵略してくる場合は戦争を仕掛けられることになるので、そうならないようにしっかりと防衛力を強化し、相手に戦争を仕掛ける気を起こさせないことが平和な暮らしを守っていくには重要だと思います。


世界平和記念聖堂、聖堂内に居ると澄んだ気持ちになることができて良いと思います。
そして保存修理工事をしていない時は特に聖堂内がかなり綺麗なようで驚きました。
工事が終わったら見に行ってみたいです


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

旧毛利家本邸 和の邸宅の美

2018-05-17 20:51:05 | フォトギャラリー
毛利氏庭園のすぐ隣に旧毛利家本邸があります。
旧毛利家は安芸の国(広島県)の小領主から中国地方10ヶ国、120万石の大名に上り詰めた毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主です。
明治天皇から山口県内に本邸を構える承諾を得た公爵毛利家(戦国大名毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主)が、明治維新の元勲、井上馨の協力を得て明治25年にこの地に建設することを決定し、建てられました。
※「毛利氏庭園 美しい新緑」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


-------------------- 旧毛利家本邸 和の邸宅の美 --------------------


旧毛利家本邸に入ります。


国の重要文化財です。


毛利家の家紋「一文字(いちに)三星(みつぼし)」。
一は「一番乗り」「一番槍」など人に先んじるという意味で、三星は武運を司る神を表す将軍星でオリオン座の真ん中にある三つの星を指しているとのことです。
大河ドラマ「毛利元就 第二回 若君ご乱心」の感想記事でも紹介しています。


毛利本家と分家(徳山毛利家、長府毛利家、清末毛利家)で一文字に差があります。


家の中はかなりの広さがあります。


三ノ間。


一部屋が広いなと思います。
襖を開けるといくつか先の部屋まで見渡すことができ、とても開放感のある作りです。


次ノ間。


縁側。


縁側から毛利氏庭園を眺めることができます。


大広間。




次ノ間。
襖の模様が変わりました。


公居間(こういま)。
この部屋は大正5年11月に大正天皇、大正11年3月に貞明皇太后、昭和22年12月に昭和天皇、昭和31年4月に昭和天皇皇后がお泊りになったお部屋です。


昭和天皇御製歌です。
昭和31年御来邸の節に詠まれました。


寝室。
公居間と同じで、大正5年11月に大正天皇、大正11年3月に貞明皇太后、昭和22年12月に昭和天皇、昭和31年4月に昭和天皇皇后がお泊りになったお部屋です。


奥内客室。


食事ノ間。




女中詰所。


階段を上って2階に行きます。


襖の模様がいくつもあり、変化を見るのも楽しいです


広間。


上段之間。
身分の高い人が座る場所です。


書院。
床の間の横に設けられる障子窓のある座敷飾りのことです。




2階からの眺め。
「毛利氏庭園 美しい新緑」のフォトギャラリー6枚目の写真で、2階から外を眺めている人がいるところから私も眺めています。


旧毛利家本邸内を歩いてみて、襖の雰囲気が良いと思いました。
心を和ませる和の雰囲気があり、落ち着いた美しさがあります。
さらに襖が開いているといくつか先の部屋まで見渡すことができ開放感があります。
一つ一つの部屋も広さがありゆったりとしていて、襖や畳による和の雰囲気で和んだ気持ちになりました


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

毛利氏庭園 美しい新緑

2018-05-13 18:45:36 | フォトギャラリー
4月15日、山口県防府市にある毛利氏庭園に行きました。
運動しようと思い防府駅から4キロと少しの道を歩いて行きました。
到着した毛利氏庭園では綺麗な新緑や花があり、明るい気持ちになりながら歩きました


-------------------- 毛利氏庭園 美しい新緑 --------------------


毛利氏庭園にやってきました。


庭園に行くまでの通路ではもみじの新緑が印象的でした。
秋になると綺麗な紅葉が見られると思います。


この先に庭園が広がっています。


門を通ると新緑の木々がありました。


このもみじの新緑は赤味がかっています。


国の重要文化財、旧毛利家本邸。
明治天皇から山口県内に本邸を構える承諾を得た公爵毛利家(戦国大名毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主)が、明治維新の元勲、井上馨の協力を得て明治25年にこの地に建設することを決定し、建てられました。
※「旧毛利家本邸 和の邸宅の美」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


赤とピンクのつつじ。


松の木。
厳かな雰囲気があります。




この日は午前中曇っていましたが午後から晴れてくれ日差しがある中で歩くことができました


アーチのようになっている新緑のもみじ。




私は新緑の黄緑色の明るさが好きです




写真の真ん中の小径を下っていくと大きな池の端に降りることができます。


池の端に降り正面を眺めています。


盆栽のように整った木々の風格は花のような派手さはなくても毛利氏庭園を形作る大事な存在だと思います。


新緑と小川。
新緑の向こう側から日差しが当たり、木漏れ日が苔むす岩を照らし、この雰囲気は好きです


大きな松の木。


小径を歩いて行きます。


木々の間を小川が流れていました


小川はやがて池へと流れそそぎます。


菖蒲(しょうぶ)。
今頃は咲いているかも知れないです。


所々に赤やピンクのつつじがあると彩り豊かになって良いなと思います


写真の中央やや右に、最初に大きな池の端に降り立った時の場所が見えています。


新緑の時期の日本庭園の雰囲気は気持ちが明るくなります


藤棚もありました。


まだあまり咲いていませんでしたが一週間後くらいには綺麗に咲いたのではと思います。


日差しを浴びて神々しい雰囲気の松。


かなり散っていましたが遅咲きの八重桜がまだ咲いていました


大きな池の向こう岸にやってきました。


橋と緑と旧毛利家本邸。
こんなに立派な庭園のある家に住めたら気持ちも安らぐだろうなと思います


毛利氏庭園は敷地も広く、その中でツツジの花や新緑が生き生きとしていました。
大きな池の周りは立体の造りになっている場所もあり、池の周りを歩いていくうちに変わる高さからの眺めを楽しみました。
またいずれ歩きに行ってみたい日本庭園です


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その4

2017-07-23 14:21:51 | フォトギャラリー
※「靖国神社 みたままつり2017」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その1」をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その2」をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その3」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

みたままつり2017の「寄せられた言葉・絵画」のフォトギャラリーの最後となります。
言葉も絵画も、最後まで印象的なものがたくさんありました


-------------------- 靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その4 --------------------


「佳き年 佳き日 佳き時 佳き一瞬 時を味方に踏み出す」
鶴川流花押宗家・望月鶴川さん。


紫陽花。
画家・早川春代さん。


画家・池田蓮歩さん。
竹か柳の木だと思います。


「鎌倉の海から」
画家・酒井俊幸さん。


馬。
小笠原教場宗家・小笠原清忠さん。


「我が船の へさき群れとぶ 飛び魚は 翼ふりあって ソロモンの朝」
ニュージーランド治安判事・神谷岱劭さん。
ソロモン諸島には太平洋戦争(大東亜戦争)の激戦地、ガダルカナル島があります。


「みたまのふゆ」
歌手・涼恵さん。
みたまのふゆは御霊の思頼とも書き、英霊の方々のご加護という意味だと思います。


「一つでも多く 涙をこの胸に 未来の命が 笑えるように」
ミュージシャン・キリトさん。
Angeloというロックバンドグループのリーダー兼ヴォーカルで、毎年「懸雪洞(かけぼんぼり」を奉納しています。
これは2つ意味があるように見え、1つはキリトさん自身の歌手としての活動が、時に辛い思いをすることがあっても、その辛さは歌を聴いてくれる人達の未来の笑顔につながるという意味です。
もう1つは私達が社会生活を営んでいく上で、現在が中国や北朝鮮によって平和を脅かされる状況にあっても、その状況と向き合うことは未来の日本人が平和に暮らせることにつながるという意味です。


画家・小濱綸津さん。


富士山。
画家・高橋由さん。


「睦」
画家・市川玉悠さん。
鶏とひよこ達が仲睦まじくしています。


「帰」
プロレスラー・高岩竜一さん。
太平洋戦争(大東亜戦争)において日本に帰ってこられた人もいれば、帰ってこられなかった人もいます。
しかし帰ってこられなかった人もその御霊(みたま)は靖国神社に祀られています。


プロレスラー、第64代横綱・曙太郎さん。
右は「忍」だと思いますが左が達筆が分かりませんでした。
分かる方がいたらご教授をよろしくお願いします。


「夢に立ち向かう力」
ZERO1 プロレスラー・大谷晋二郎さん。


「英霊に神のご加護を」
プロレスラー ザ・グレート・サスケさん。


「愛」
プロレスラー・田中稔さん。


「熊本復興」
プロレスラー・将軍岡本さん。


可愛いらしいカエルたち
グラフィックデザイナー・平松都代子さん。


「先義後利
先ず義を尽くし後に利する者、国は栄える」
書家・荒牧菁峰さん。


「神は鉱物の中で眠り 植物の中で覚め 動物の中で歩き 人間の中で思惟する」
染織家・中村經子さん。
ウパニシャッドという書物にこの言葉があるようです。


威風堂々とした竹。
画家・畑佐祝融さん。


「300万の御霊(みたま)」
画家・市川章三さん。
小さな点をさくさん書いていて、この1枚で15万の点とのことです。
太平洋戦争(大東亜戦争)ではこの20枚分、300万人もの人々が亡くなりました。


菖蒲の花。
画家・田中紀以子さん。


神秘的な雰囲気の獅子。
画家・如月爽人さん。


「般若」
能面アーティスト・柏木裕美さん。


「盛徳」
書家・有山岱泉さん。
立派な徳という意味です。


「星空に ながめて浮かぶ あの人の 姿に願う 国の安泰」
外交・安全保障研究家、鈴木邦子さん。


夕焼け。
染織作家・上村米重さん。


「おちばたき」
画家・喜田川昌之さん。


「不忘敬」
書家・森田正人さん。
英霊への敬を忘れないという意味だと思います。


一式戦闘機「隼」。
イラストレーター・佐竹政夫さん。


「先義後利」
経済評論家・渡邉哲也さん。
再び登場したこの言葉、利益よりもまず道義を優先させるという意味です。
百貨店「大丸」の社是でもあるようです。


画家・山崎堅司さん。


「まことの祈り」
イラストレーター・菅ナオコさん。


朝顔とスズメ。
歯科医師・島本和則さん。


「笑おうよ 楽しいから笑うんじゃないよ 笑うから楽しいんだよ 毎日毎日前向きに 自分を信じて歩こうよ」
画家・杉浦正さん。
とても可愛いらしいお地蔵様たちです


梅の花。
染織作家・梅染晃さん。


辰(たつ)。
染織作家・木戸源生さん。


「10式戦車」
劇画家・小林源文さん。


戦艦。
鉛筆画家・菅野泰紀さん。
鉛筆だけで描いているのが凄いです


相撲で力士が相手力士を土俵の外に押し出したところ。
画家・木村浩之さん。
かなり躍動感があります


ねぷた。
弘前ねぷた絵師・津軽錦絵師、三浦呑龍さん。


かぐや姫。
湯沢七夕絵灯篭絵師・石川巳津子さん。


「大和」
女優・葛城奈海さん。


「夜桜能」
宝生流能楽師・田崎隆三さん。


「太陽の使徒 高らか鬨の声」
講談師・一龍斎貞花さん。


ジャーナリスト・佐波優子さん。
「お父ちゃんの仏様」
今から9年前、ロシアへ遺骨収容に行った時の話です。
ある日、土を深く掘りご遺骨を迎えていると、人間のような形をした骨が見つかりました。
お父さんをシベリア抑留で亡くしたあるご遺族のかたが「死んだお父ちゃんの姿のように見える」と言っていました。
これは首のところの軸椎(じくつい)という骨で、骨の中で一番人の姿に似ているのだそうです。
人が手を合わせて拝んでいるように見えます。
その方は見つかった全てのご遺骨を「お父ちゃん」と呼び、この軸椎も愛おしそうに丁寧に磨いていました。
最初は泥だらけだった軸椎はやがてあたたかい肌色に光りました。
「お父ちゃんの仏様だ」そう言ってご遺族のかたが見せてくれた軸椎は本当の人間の姿に見えました。
今、みたままつりで多くの人が訪れているここ靖国神社には、246万6千余柱の御霊(みたま)が祀られています。
誰かの大切な家族だったこの軸椎のご英霊の御霊も、今この境内に祀られているのです。


イラストレーター・かやなるみさん。


画家・ツバキアンナさん。


「安寧」
書家・斎藤貢さん。
安寧を維持するのはとても大変なことで、日本は中国の尖閣諸島侵略や北朝鮮の核実験、ミサイル発射の脅威に晒されています。
日本の安寧が続くことを願います。

というわけで3年ぶりに訪れた靖国神社みたままつりの「寄せられた言葉・絵画」のフォトギャラリー、これで終了です。
3年ぶりに寄せられた言葉や絵画を見ることができて良かったです
またいずれ「みたままつり」に行きたいです


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その3

2017-07-22 19:06:08 | フォトギャラリー
※「靖国神社 みたままつり2017」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その1」をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その2」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「寄せられた言葉・絵画」のフォトギャラリーのその3です。
その3は様々な分野の方々の懸雪洞(かけぼんぼり)が登場します。
言葉が単語の懸雪洞も文章になっている懸雪洞も印象的なものが多く、写真の整理をしながら改めてじっくりと読んでみました。


-------------------- 靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その3 --------------------


染織作家・森岡功さん。


太陽と月。
画家・渡辺つぶらさん。


みたままつりの献灯された提灯をつけているところ。
イラストレーター・ジョニ・ウェルズさん。


「歩」
俳優・誠直也さん。


獅子舞の版画。
神職・森重美典さん。


崇敬奉賛会会長・扇千景さん。
「人生きて 尊を」の後が読み解けませんでした。
分かる方がいましたらご教授をよろしくお願いします。


「夏の夜に あまたの明かり かがやきて みたま安めに 人びと集ふ」
崇敬者総代・島津肇子さん。


「鎮魂」
崇敬者総代・阿南惟正さん。


「母親」
漫才師・坂田利夫さん。


「佳きひとと 良き出逢い」
服飾評論家・市田ひろみさん。


「願望は自ら実現する」
実業家・元谷芙美子さん。


「命に感謝」
芸人・友近さん。


「拍手から迸る 鎮魂の祈り あふるる」
音楽家・つのだ☆ひろさん。


「人生に絶望はない どんな人生にも絶望はない」
俳優・浜 木綿子さん。


「時は今 ところ足もと そのことに 打ちこむ命 とわのみ命(みたま)」
落語家・三笑亭笑三さん。


うなぎ。
落語家・三遊亭金馬さん。


「ここにいるよ」
彫刻家・近藤徹山さん。
みたまはここ靖国神社におられます。


「思無邪(しむじゃ)」
歌手・渥美二郎さん。
思うことに邪念がないという意味です。


「青空見てもたのしいし、雨の日もまた、うれしくなる そんな日々を すごしてゆきたい」
歌手 こまどり姉妹・長内敏子さん。


「毎日がんばって 楽しく生きてます みなさんも楽しんでね」
歌手 こまどり姉妹・長内栄子さん。


歌手・菅原都々子さん。


「ここに幸あり」
歌手・大津美子さん。


「とは…言うものの人生は」
歌手・畠山みどりさん。
人生はなかなか簡単にはいかないです。


「夢」
歌手・青山るみさん。
夢は忘れないようにしたいです。


「民謡はふるさとの応援歌」
民謡・原田直之さん。


「人生はうた うたがあるから生きられる 人生は一回 命あるから生きられる 感謝」
歌手・佳山明生さん。


「愛」
歌手・青山和子さん。


「笑」
歌手・黒木千春さん。
姉の黒木美香さんとともに、黒木姉妹として「みやざき大使」をされているようです。
笑いのある日々は大事だと思います。


「日本の礎となられた方々に感謝致します どうか安らかにお眠り下さい」
歌手・黒木美香さん。
現在の日本があるのは、日本のために戦ってくれた英霊の方々のおかげです。
英霊の方々が日本を守ってくれなければ、当時のアジアの国々のように西欧列強の植民地にされ、国自体が滅ぼされるところでした。
感謝しています。


「謹んで英霊に捧ぐ」
歌手・歌川二三子さん。


「思えば遠し 故郷の空 ああ我父母 いかにおわす」
作家、歌手・合田道人さん。


「偲」
歌手・静太郎さん。
偲(しのぶ)という字は「人を思う」と書きます。


「不惜身命」
相撲 親方・貴乃花さん。
不惜身命は貴乃花関(当時)の横綱昇進の際の口上に登場した言葉で、自分の身をかえりみないで物事にあたることという意味です。


「離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 同じ梢に咲いて会おうよ」
重要無形文化財保持者、陶芸家・井上萬二さん。


「澄懐(ちょうかい)」
書家・松川玉堂さん。
心を静かに澄ませて胸中にある思いに身を委ねることを意味しているようです。


「此処に眠る英霊方が亜細亜の人々を愛し数百年に及ぶ白人の植民地支配に終止符を打った事を知っていますか?
戦後の誤った教育を受けた人達は立派な先人方とこの日本にもっと誇りを持ちましょう!!」
陶芸家・南雲龍比古さん。
これはそのとおりで、太平洋戦争(大東亜戦争)及び第二次世界大戦の当時、白人至上主義が世界を支配していました。
オランダやイギリス、フランスなどの西欧列強はアジアの国々を植民地にし、植民地にされた国々は滅びへの道を辿っていました。
その時代にアジアで唯一白人達に対抗できたのが日本という国で、もし日本の戦いがなければアジアの国々は植民地にされたまま滅び、世界はそのまま白人至上主義による支配が続いていました。
英霊の方々と日本に誇りを持って良いと思います。


「輝き」
彫刻家・中村晋也さん。


「感謝」
重要無形文化財保持者、金工作家・奥山峰石さん。


「老いては若やぎて 緑の色は 若杉の 常磐木の幾久し 千歳の杉ぞ めでたき」
重要無形文化財保持者、狂言師・野村萬さん。


「美しい」
画家・井上幸子さん。
私は日本は四季折々に良さがありとても美しい国だと思います。


獅子。
画家・北澤一京さん。


「遺言の 胸せまりくる 言の葉を 永遠に忘れじ 國の民なら」
特別縁故・西脇美都絵さん。
太平洋戦争(大東亜戦争)当時、ご家族の方から遺言を託されたのかも知れないです。


「みたまに捧ぐ 心」
声優・カシワクラツトムさん。


「永遠」
アーティスト・C;ONさん。


「いづこに散りゆく魂は この胸の内に生きゆく
小さな祈りを連ねる日々に 想う心 願う気持ちが
どうか咲き誇りますように 平和をもたらしますように」
タレント・奥野麻衣子さん。
これは「その1」の最後に紹介した言葉と対になるかと思います。
まず一人ひとりが平和を祈り、想い、願うのは良いことです。
重要になるのが国としては祈り、想い、願うのみでは中国や北朝鮮のような現実にある脅威から平和な暮らしを守ることはできないという点です。
現実にある脅威にしっかりと目を向け、奥野麻衣子さんのように平和を願う人の日常が破壊されないように、防衛力を強化して平和な暮らしを守れる力を上げていくことが大事だと思います。


バラの花。
画家・永江一博さん。


百合の花。
画家・木村由美さん。


「氣韻生動」
染織作家・田畑喜八さん。
生気が満ち溢れているという意味です。


躍動感のあるイカ
画家・一杉早苗さん。


みたままつりの盆踊り。
画家・畠奈津子さん。
見ていると気持ちが明るくなる、とても良い雰囲気の絵だと思います

というわけで「その3」はここまでで、「その4」へと続きます。
「その4」もどうぞお楽しみに

※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その4」をご覧になる方はこちらをどうぞ。


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その2

2017-07-20 22:10:33 | フォトギャラリー
※「靖国神社 みたままつり2017」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その1」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「寄せられた言葉・絵画」のフォトギャラリーのその2です。
その2では絵画が多く登場し、それぞれ伝わってくる雰囲気があります。
印象的な言葉や俳句、短歌などもあり、興味深く読んでいきました。


-------------------- 靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その2 --------------------


「祈る 平和な世界 おもてなし日本 走る三馬」
画家・村越彰さん。


鯛に乗ったえびす様。
画家・中村麻美さん。
七福神の一人です。


「和」。
画家・茂木美津子さん。


金魚。
画家・米澤和子さん。


「愛なき人生は暗黒なり 汗なき社会は堕落す。」
書家・石原草山さん。


雨の降る中で咲く紫陽花。
画家・鶴岡山路さん。


「靖国の社にねむり給う 英雄の霊に捧ぐるの歌
   歌
日本で オリンピックが 出来るのも 靖国にねむる 兵士に感謝」
特別縁故・荒井慧さん。
今までのみたままつりで何度もお見かけした名前で、「特別縁故」は太平洋戦争(大東亜戦争)と深い縁があるということです。
87歳とのことで、まだまだみたままつりに懸雪洞(かけぼんぼり)を奉納してほしいと思います。


「哀しみは 胸の坩堝(るつぼ)に 蝉しぐれ」
俳人・松村昌弘さん。
真夏になり蝉しぐれを聞くようになると、太平洋戦争(大東亜戦争)に思いを馳せ哀しみが胸一杯に広がるという意味かなと思います。


「捕虫網 白きは月日 過ぎやすし」
俳人・宮坂静生さん。


「風失せて 野菊の朝の 来ておろし」
俳人・稲畑 汀子(ていこ)さん。


「誰にしも 華ありしとき 花火見る」
俳人・鈴木貞雄さん。
最後の二文字は合っているか分からないので、違っていたらご教授をよろしくお願いします。


「ありがとうって 今日も素直に 言えたかな 大切な人に」
画家・安並美智子さん。


「ソ連抑留 御霊鎮魂」
特別縁故・富山県慰霊碑奉賛会会長 山田秀三さん。


「大きな大仏さまを見上げると広い空があった 心もかるくなる そんなひととき」
画家・河本みつ子さん。


もう一度大仏。
画家・上坂幸市さん。


神職・吉川正紀さん。


紫陽花。
画家・田中玉弘さん。


花菖蒲。
画家・鈴木斐子(あやこ)さん。


「鮨
一杯飲ンデ 又二杯 つまみと食べし 鮨の味 三杯は夢と 茶ニシテ帰ル!!」
画家・芝岡聡史さん。


「進徳」
書家・大澤逸山さん。


画家・西野和子さん。


「もらったご縁に おかげさま ありがとう」
画家・塩澤烈子さん。
ニワトリが可愛らしいです。


山。
画家・河野未美さん。


桜の花と、白川郷のような雰囲気の藁葺き屋根の家。
画家・産形美智子さん。


画家・新澤淑子さん。


雄々しき対決。
画家・柏木美保子さん。


「清風緑韻」
画家・相澤きよみさん。
菖蒲の花とカエルに和の風格があります。


特別縁故・一杉昭夫さん。


「伊勢倭姫」
佐藤緋呂子さん。
伊勢神宮を創建された倭姫命(やまとひめのみこと)です。


可愛らしい赤ちゃん。
見守る動物たちも可愛らしいです。
画家・坂口芳秋さん。


紫陽花。
画家・小林恒子さん。


「過去に正しかった答えが今も正しいとは限らない 
過去に間違っていた答えが今も間違っているとは限らない
世の中は好いが好いじゃない 悪いが悪いじゃない 
幸福が幸福じゃない どんな人でもやはり人間は人間でそれ相応の安慰と幸福とはある」
書家・鈴木基水さん。


馬。
画家・横山了平さん。


山。
画家・木本重利さん。


「第七十二代横綱 稀勢の里寛関
 日本開山
あがるや軍配 えがおでうける 櫓おとしの 勝ち名のり」
画家・柴田貢代さん。
日本開山は大相撲の最高位である横綱の別名「日下開山(ひのしたかいざん)」のことかなと思います。
日下開山は天下無双の強さという意味です。


「硫黄島 散りて散らさぬ もののふの 心の桜 咲き匂う島」
音楽家・小宮佐地子さん。
日本軍に余力のなくなっていた太平洋戦争(大東亜戦争)後期の島への上陸戦でアメリカ軍の戦死・戦傷者数の合計が日本軍の戦死・戦傷者数の合計を上回った稀有な例である最激戦地、硫黄島を題材にした短歌です(短歌は飯塚羚児さん作)。
この短歌に音符を付け、歌にしています。


画家・網本幸子さん。
風入れる 小袖 の後が読めなかったです。
分かる方がいたらご教授をよろしくお願いします。


画家・桜井圭子さん。


「小さきいのち」
画家・水上玲さん。


「梅雨の花 あじさい」
画家・保井梅香さん。


「人生なにごとも一生県命が一番」
画家・三引良一さん。


「入母屋(いりもや)の 家紋がわらや 小鳥来る」
画家・遠井雨耕さん。


画家・亀井三千代さん。
花のように見えます。
そして強く訴えてくるものがあります。


「yasukuni(靖国)」
画家・岩山義重さん。


画家・青木孝さん。

右上「呼べど還らぬ遺骸を 囲みて今宵 夜とすがら 尽きぬ名残を惜しむかな 眠れわが友 安らかに ああ戦は勝ちにけり
吾が益荒男(ますらお)は今ぞ今 焔は天に輝きて 功勲も高き 亡き友の 英魂天に帰る夜か 月下の陣に音絶えぬ 「眠れ戦友」より」

真ん中下「一番乗りをやるんだと 力んで死んだ戦友の 遺骨を抱いていま入る シンガポールの街の朝 「戦友の遺骨を抱いて」より」

左下「思えば悲し 昨日まで 真先駈けて突進し 敵を散々懲したる 勇士は此處 (ここ)に眠れるか
戦いすんで日が暮れて 探しに戻る心では どうぞ生きていてくれと 物など言えと願うたに 「戦友」より」

 
蓮の花。
画家・南雲正井さん。


おかめさん。
画家・寺岡多佳さん。


「ゆく川の 水さながらに 執着の 想いを流し みこころのまま」
特別縁故・鮫島純子さん。
執着の想いを流し、自然体の心で過ごせたらとても良いと思います。


「みたまに捧ぐ。」
画家・土屋淑子さん。


「ありがとう」
書家・今野桃壽さん。
感謝の言葉が、靖国神社に眠る英霊への供養になると思います。

というわけで「その2」はここまでで、「その3」へと続きます。
「その3」もどうぞお楽しみに

※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その3」をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「靖国神社 みたままつり2017 寄せられた言葉・絵画 その4」をご覧になる方はこちらをどうぞ。


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。