読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「ののはな通信」三浦しをん

2018-08-16 15:50:53 | 小説


今回ご紹介するのは「ののはな通信」(著:三浦しをん)です。

-----内容-----
横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。
庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。
二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。
しかし、ののには秘密があった。
いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。
それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。
不器用にはじまった、密やかな恋。
けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。
運命の恋を経て、少女たちは大人になる。
女子校で出会い、運命の恋を得た少女たちの20年超を、全編書簡形式で紡いだ、女子大河小説の最高峰。

-----感想-----
「一章」
野々原茜(のの)から牧田はな(はな)への手紙で物語が始まります。
二人は聖フランチェスカという小学校から大学まである女子学園に通う高校二年生です。
「石川町の改札を出て~」「山手の丘」という言葉があり、聖フランチェスカのモデルは横浜の山手にあるフェリス女学院だと思いました。

友達への手紙なので文章がとても明るいです。
特にはなの文章が明るく、読んでいてウキウキしながらメールをしているはなの姿が思い浮かびました。
その雰囲気を見て三浦しをんさんらしさがよく出た作品だと思いました。
題名の「ののはな通信」を見た時は「野の花通信」かと思いましたが帯に書かれている内容紹介を見て「のの」と「はな」の手紙やメールによる通信でののはな通信だと分かりました。

ののの父は会社で働き母はパートをしていて聖フランチェスカの中では貧しい家です。
はなの家にはお手伝いさんもいて裕福です。
手紙の行き来から二人の身の回りのことが分かってきます。
読んでいると手紙だけでも詳しい情景が分かり、これは三浦しをんさんの書き方が上手いと思います。

あなたは私の家族。ううん、家族よりも大切なひと。こんなになんでも話しあえて、感覚を共有できるひとに、はじめて出会った。いつも寄り添っていたい。
のののこの言葉を見てこれが後にはなへの恋愛感情になるのだと思いました。

ときどき叫びたくなる。わけのわかんないことを、わめきちらしたくなる。早く大人になりたい。
ののが書いていた早く大人になりたいという気持ちは他の小説でも見たことがあります。
これは子供の頃は早く大人になりたいと思いますが、大人になると今度は子供時代に戻りたいと思うこともあります。

凄く短い手紙も登場しその手紙は授業中に送っています。
二人が送る手紙は授業中に送る手紙、通常の郵送する手紙、速達で郵送する手紙と種類があります。
手紙に昭和59年(1984年)の6月とあり、この年ではまだまだ携帯電話は登場しないなと思いました。

クラスメイトの上野という子が与田先生という結婚している男と付き合っている噂があります。
はなが上野に与田とのことを聞くと、次の日に与田がはなに話しかけてきて馬鹿にしたことを言います。
与田のはなへの言葉に激怒したののが張り込みをして付き合っている証拠を押さえると言います。
ののとはなは与田と上野を尾行し、目出し帽をかぶったののがラブホテルに入ろうとする二人に声をかけ写真を撮ります。
写真のことを二人には言わず放っておいてプレッシャーをかけようと言うののにはなが上野にも黙っておくのは可哀想と言い、はなはお人好しな気がしました。

外交官の父親に付いてアメリカに住んでいたことのあるはながアメリカと日本の宗教への考え方の違いを語ります。
「無神論者だなんて、とても言えない雰囲気よ」とあり日本とはまるで違うと思いました。
日本では、キリスト教をはじめとする一神教を信仰してるひとって、そんなに多くないし、宗教はあってもなくてもいい、信じるひとは勝手にやってくれ、という感じでしょ?これって実は、すごく自由で息がしやすいことだと思う。
私も何かを唯一の神として信仰する一神教より八百万(やおよろず)の神をそれぞれの神社に祀る日本の考え方の方が好きです。

手紙を見ているとはなは夢を見ていてののは現実的だと思いました。
またののは成績が良いですがはなは悪いです。
はなからの手紙に「もっと速い通信手段があればいいのに!書いたことを一瞬でやりとりできるような、そんな方法が編みだされないかな」とあり、やがて携帯電話が登場するのを意識しました。

夏休み、ののは手紙ではなが好きだと書きます。
手紙の中に「こんなもの書かなきゃよかったんだけど」という言葉があり、これはその方が良かったと思います。
しかし黙っていられなかったのだと思います。
手紙を見たはなものののことが好きと書いていて驚きました。
三浦しをんさんはたまに同性愛を描くことがあり、同性愛物が苦手な私は三浦しをんさんの大ファンですがこの作品を読むか読まないかで少し迷いました。

ののの常識と良識の考え方は興味深いです。
常識と良識はちがうわ。社会生活を営み、個人が判断を下す際には、良識に基づかなければいけないと思うけれど、やみくもに常識に縛られるのは愚か者のすることよ。
良識は守るべき倫理、常識は大事にしながらも時として打ち破った方が良い場合もあるという気がします。

ののとはなは秘密の交際をしていきます。
しかしはなはののと与田が秘密裏に不倫関係になっているのを与田から知らされののを信じられなくなります。
ののは釈明の手紙を送りますがはなは激怒します。
はなは与田を辞めさせるために動きますが反撃に遭いののが窮地になります。

のの達は高校三年生になり、与田は近くにある男子校に異動になります。
はながしばらくののと話さない日々があり、その後はなが別れようと言います。
別れるのが嫌で学校を休むののの家にはなが行き、近所の土手で改めて別れようと言います。
はなは手紙に「私は永遠に死後の世界を生きます。」と書いていました。
はなの心はののの裏切りに耐えられませんでした。
はなはこれまでにののがくれた手紙を全て送り返します。

はなの手紙の最後の文章がとても印象的でした。
私たち、楽しかったのかな?楽しかったんだろう、たぶん。でも、その記憶もどんどんとろけて土に流れ出していく。埋葬された私の脳から。せめて少しの養分になって、あの土手の階段のタンポポを咲かせてくれますように。
これは別れの舞台になった土手のタンポポを埋葬された記憶が養分になって咲かせるという文章表現がとても良いと思いました。
ののは手紙に「いつの日か、新たな愛を注がれて、あなたがよみがえりますように。」と書いていますが「その日が来るのを見たら、私はきっと嫉妬でどうにかなるでしょう。」とも書いていて、矛盾した気持ちを持っているのが印象的でした。


「二章」
二章は大学一年生になったはなの年賀状から始まります。
ののからの返事はなくて次は大学二年生のはなの年賀状になります。
ののは東大に入り、手紙ははなだけが出す日々が続きます。
ののが久しぶりに返事を書きますがそっけないものでした。
しかしそれをきっかけにまたののも手紙を書くようになります。
二人は友達に戻ります。

ののは三年になって比較文学(各国の文学作品を比較して表現・精神性などを対比させて論じる立場を勉強すること)を専攻していてこれは意外でした。
ののはひたすら良い会社への就職のみを期待し自身達もその恩恵にあずかろうとする両親と距離を置くことにし、悦子というおばの家に住みます。
はなは悦子の家に遊びに行きます。

はなは父が連れてきた磯崎新太郎が気になります。
磯崎は4つ年上で外務省に入って3年目でさらに幼馴染です。

はなは海外生活の経験もある自身から見たフランチェスカの印象を「フランチェスカみたいに、「みんな同じ」がいいとされる学校では~」と評していました。
「みんな同じ」は日本の学校の特徴で、周りに合わせることを重視し個の主張をするのは敬遠する傾向があります。
ただし「みんな同じ」には協調性を養えるという面もあるので、とにかく外国のやり方のほうが良いとして個の主張だけを重視するより上手く両方を取り入れたほうが良いと思います。

はなは国家や社会をきちんと考えている人と家庭を作りたいと手紙に書き、今までになく自身の結婚への思いを語ります。
そして磯崎に恋をしたと言います。
はなは磯崎を連れて悦子の家に行き、ののと悦子に磯崎がどんな人か見てもらうことにします。

はなと磯崎が婚約したのを見てののははなにお別れの手紙を出します。
そしてののと悦子が恋人同士なことが明らかになりこれには驚きました。
ののは自身は悦子と付き合っているのにはなが磯崎と婚約するとはなとお別れしようとしていて勝手な気がしました。

ののは一章ではなに送り返された手紙と二章ではなから貰った手紙を全てはなに送り返し、処分してくれと言います。
あんなに大事にしていた手紙を手放すのを見て本気でお別れする気だと思いました。


「三章」
2010年になり、ののが20年ぶりくらいにはなにメールを出します。
通信手段は手紙からメールに変わりました。
はなは3月で42歳になり、ののは今年の秋に43歳になります。

はなは磯崎が去年からアフリカ中西部のゾンダ共和国に大使として赴任し大使公邸に一緒に住んでいます。
はなから返信をもらったののは「返信をもらえるかどうかどきどきしていた」と書いていました。
ののはお別れをすると言っていましたが時が経つとまたメールをしていて、この気持ちは分かります。
綺麗さっぱり忘れるのは難しいと思います。

ののはフリーのライターをしていて、仕事は人に会って話を聞いて、文章にまとめることです。
ののは普段の仕事とは別に東北の太平洋沿岸にある小さな漁村をいくつか回って話を聞いていて、いつか一冊の本にまとめられればと思っています。
この時2010年で、東北の太平洋沿岸とあるのを見て作中で東日本大震災が起きるのが思い浮かびました。

ののは悦子が病気で亡くなったことを語ります。
二章でははながののの返事を求めていましたが今度はののがはなの返事を求めていて、常にどちらかがどちらかを必要としていると思いました。
ののは悦子が亡くなったことを書くうちに悦子の声が耳に蘇ってきて次のように語ります。
文章って、変なものですね。過去やあの世とつながる呪文みたい。
特に過去とつながるというのが印象的で、書いているうちにその当時の人のことが鮮明に思い浮かぶのはあると思います。

はなが男性の気の利かなさを内助の功で助けることについて「政治や経済をがんがん語る裏で、相手が家庭において、または個人として、どんな悩みや喜びを抱いているかということには、なかなか気づかない。」と語ります。
これはそのとおりで理論だけでは相手の心は離れていくと思います。

ののは与田と不倫関係になったことを「バカなことをした当時の自分を叩きのめしてやりたい。」と書いていて、当時のことを悔いているのが分かりました。
またかつては読んでいてはなが子供っぽいと思いましたが、今はののが自身を「はなに取り残されている気がして、恥ずかしいです。私はいつまでも子どものまま。」と語っていたのが興味深かったです。
この二人は章が進むと最初に抱いた印象とは互いの印象が逆になるのが面白いです。

はなが「記憶」について興味深いことを言います。
ひとが手にすることのできる最もうつくしいものは、宝石でもお花でもなく、記憶なのです。
はなはこの言葉を以前にも語っていて、はなを形づくる言葉だと思います。
はなの言葉を見てののも「あなたの言うとおり、記憶が私たちを生かす糧です。」と言い、はなとの日々の記憶が美しい結晶となって自身の中に宿っているのを感じながら、自身の人生をしっかりと歩む決意をします。

はなは磯崎と離婚したいと考えています。
夫婦仲は良いですがはなの心の中には以前から暴れ回る何かがあり、年を取った今心の赴くままに生きたいと思うようになりました。
決意の手紙をののに送りはなは動き出します。

はながのののようになりたいと思っていたのと同じようにののもはなのようになりたいと思っていました。
全く性格の違う二人はそれぞれのことが眩しく見えているのだと思います。

ゾンダの情勢が不安定になり大使を始めとする日本大使館職員、民間人、自衛官合わせて30人がチャーター便で日本に帰国することになりますが、チャーター便にはなの姿はありませんでした。


「四章」
はなはこれまでの手紙全てをののに送り返します。
これが最後の手紙の移動になります。

はなの最後の手紙にあった言葉は印象的でした。
私は私の心のままに、この道を行きます。また会う日まで、さようなら。元気でいてください。

ののもとても印象的なことを書いていました。
遠い場所とは、ゾンダだけではありません。他者の心も、自分自身の内面すらも、等しく遠い。しかし遠いからといって、知る努力を放棄してしまったら、想像の翼はいつまでも羽ばたかず、距離は縮まらぬまま、私たちは永遠に隔てられてしまうでしょう。

この作品の最後、ののが書いた手紙に「かそけき」という言葉がありました。
かそけきは「かすか」という意味で、「あの家に暮らす四人の女」にもこの言葉が登場していて、三浦しをんさんはこの言葉が好きなのかも知れないと思いました。


全編書簡形式の小説を読むのは宮本輝さんの「錦繍(きんしゅう)」以来です。
帯の内容紹介に「女子大河小説の最高峰」とあるように、ののとはなの長い年月の物語はまさに大河ドラマのようでした。
長い年月の終盤、ののははなとの日々の記憶を胸に自身の人生をしっかりと歩む決意をし、はなは心のままに生きる決意をし、その二つの場面がとても印象的でした。
のの、はなそれぞれの歩む人生が明るいものであってほしいと思います。


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。