今回ご紹介するのは「戸村飯店 青春100連発」(著:瀬尾まいこ)です。
-----内容-----
大阪の超庶民的中華料理店、戸村飯店の二人息子。
要領も見た目もいい兄、ヘイスケと、ボケがうまく単純な性格の弟、コウスケ。
家族や兄弟でも、折り合いが悪かったり波長が違ったり。
ヘイスケは高校卒業後、東京に行く。
大阪と東京で兄弟が自分をみつめ直す、温かな笑いに満ちた傑作青春小説。
坪田譲治文学賞受賞作。
-----感想-----
大阪の庶民的な中華料理店の二人の息子が主人公ということで、大阪弁がたくさん登場するのはもちろんのこと、会話にも大阪的なノリがたくさん見られました
ヘイスケとコウスケの父が店主を務める戸村飯店はラーメンやチャーハンが主なメニューの庶民的なお店で、安くて美味しいのでそこそこ繁盛しているとありました。
物語は第1章から第6章まであり、それぞれコウスケの視点とヘイスケの視点の物語が交代で進んで行きます。
第1章の語り手は高校2年生のコウスケで、高校の学年末テストが終わってもうすぐ卒業式の時期に物語は始まります。
コウスケはクラスメイトの岡野から兄のヘイスケへのラブレターの代筆を頼まれます。
コウスケはヘイスケと仲が悪いですが、岡野の頼みを断れずにラブレターを手伝うことになり、岡野のことが好きと胸中で語っていました。
ヘイスケは4月から東京の専門学校に行きます。
小説のことを学び小説家になると言っていますが、コウスケは本当に小説家になる気があるのか疑っています。
ヘイスケのことを「最低な人間」と評していて、要領の良い立ち回りを嫌悪していました。
第1章を読んだ時点では私もヘイスケは最低な人だなと思いましたが、読み進めて行くうちにヘイスケが抱えてきた悩み、そしてヘイスケが持つ良さが見えてきます。
季節が「春」になる時の空の描写が良いと思いました。
ついこの間まで殺風景だった空も、少しずつ淡い色に変わっている。
もう完全に冬が終わるのだ。
いい季節だな。
情緒なんてものを持ち合わせてない俺でもそう思う。
晴れた日の冬の空は澄んだ青色になり、色のグラデーションがあまりないのに対し、春の青空は淡い色合いをしています。
またコウスケは冬の澄んだ青空を「殺風景」と表現していて、冬は雲のほとんどない日がよくあるので見方によっては殺風景とも言えるなと思いました。
コウスケは自身を「情緒なんてものを持ち合わせてない」と言っていますが、この場面を見てそんなことはないと思いました。
戸村飯店は出前もしていて、コウスケが出前を届けに行くと飴やチョコをくれる人が多いです。
これは大阪らしい雰囲気だと思いました。
私が昔大阪に住んでいた時も、ある駅の前で露店を出してたこ焼きを売っていた人は、買いに行くとお願いしなくても気前良くおまけしてくれることがよくありました。
コウスケは手伝える時はお店を手伝っています。
そういうものだと昔から思っていたとあり、全く手伝わないヘイスケとは大きく違います。
ヘイスケは常連客からもお店を放って用もないのに東京に行くボンボンだと思われていて、ある日広瀬のおっさんという常連客に「お前はなってない」という具合に詰め寄られていました。
誰が相手でものらりくらりとかわして行くヘイスケですが、お店の常連客からも目を付けられていたら居たたまれないなと思いました。
コウスケは一緒に住んでいても本当の兄がどんな人間なのか分からずにいます。
ある時ふとヘイスケがこの夏、コウスケのふりをして書いてくれた太宰治の「人間失格」に書かれていた言葉を思い出します。
「僕も主人公と一緒だ。僕だって、生まれてきてすみませんと思っている。人間失格とまではいかないけど、この家の、この町の人間としては、失格なのかもしれない」
これはヘイスケ自身の思いなのかも知れないと思いました。
第2章の語り手はヘイスケになります。
4月になり、ヘイスケは東京にある花園総合クリエータースクールという専門学校のノベルズ学科に入りました。
「今まで、その場所に順応していると感じたことは一度もない」と語っていて、大阪の住んでいた町の雰囲気にも馴染めず息苦しさを感じていたことが明らかになります。
またヘイスケが花園総合クリエータースクールに入ったのは、1ヶ月経って自身に合わなかったら入学金返金で辞めることが可能だったからとありました。
「俺は小説家を目指したことはなかった」とはっきり語っていて、コウスケの予想が当たっていました。
「ただ家を出られさえすれば、なんでもよかったのだ。」とあり、そうまでして出たかったのかと驚きました
コウスケからヘイスケに語り手が変わるとコウスケの視点とは全く違うヘイスケの姿が見えてきて興味深かったです。
ヘイスケは大阪の人ではありますが、会話にオチを付けたり周りを笑わせるのは苦手にしています。
「キャラクター構成発想講座」で講師の岸川先生から自分で作ったキャラクターで履歴書を埋めてという課題を出され、周りが奇抜な履歴書を作る中、ヘイスケは自身の生い立ちをモデルにしたごく普通の履歴書を書いてしまいます。
ところが岸川先生がそれを読み上げると他の人達からは大ウケしてヘイスケは戸惑います。
「ここで、こういう普通の履歴書持って来るあたり、やるよね」と、狙ったわけではないですがみんなにウケていました。
ヘイスケは家城(いえき)さんというクラスメイトの女子に連れられて来た「カフェレストランRAKU」で戸村飯店のほうが良い食材を使っていると気付きます。
その様子は料理を的確に分析していて、コウスケが語り手の第1章ではちゃらんぽらんで駄目な兄として描かれていましたが、やはり料理店の息子だなと思いました。
ヘイスケはRAKUでアルバイトをしたいと言い、店長の品村も乗り気になり採用されアルバイトが始まります。
一週間ですっかり要領を得ていて流石に器用な人だと思いました。
RAKUのバイト仲間のマキちゃんに「気取ってないね」と言われてヘイスケは喜びます。
「戸村飯店で、俺はしょっちゅう「気取ってる」「ええ格好しい」「すましとる」と、言われた。」とあり、ヘイスケの無理のない自然な形での立ち居振る舞いは、大阪よりも東京向きなのだろうなと思いました。
「馬鹿笑いをして阪神タイガースを心底愛してないと、戸村飯店ではええ格好しいなのだ。」とあるのも印象的で、大阪的なノリの良さがないとそう言われるようです。
花園総合クリエータースクールをすぐに辞めるつもりでいたヘイスケですが、何と岸川先生から告白されて付き合うことになります。
岸川先生は今までほとんど話したこともないのにヘイスケが早々に学校を辞めるつもりでいることも見抜いていて、鋭い人だと思いました。
第3章の語り手はコウスケです。
戸村飯店の常連客達がヘイスケがいないのを寂しがっていて、これは意外でした。
「主役ではないがあいつがいないと場が締まらない」といった言葉があったのが印象的で、今まではいけ好かないと思っていたのが、いなくなってみると存在の大きさを感じたようでした。
「七時を過ぎてるのにあほみたいに明るい空。時間の猶予がまだたくさんある気がする。夏が真ん中に向かっていく。俺が一番好きな季節。」
7月の夏休み直前の頃と思われ、「夏が真ん中に向かっていく」は良い表現だと思いました。
「真ん中」は気候の面でも気持ちの面でも特に夏らしくなる時期で、そこに向かっていく時期はワクワクします
合唱祭でコウスケのクラスは「大地讃頌」を歌うことになり、コウスケが指揮を務めます。
最近気になっていた曲なのでこれは印象的でした。
コウスケは「大地讃頌」でピアノを弾く北島と仲良くなり、家に泊まりに行った時にヘイスケとも毎日同じように寝ていたことを思い出します。
北島はお坊ちゃん的雰囲気を持つ爽やかな好青年で、夕飯にビーフストロガノフが出てきて食べたことのないコウスケは面食らっていました。
コウスケの家にも行きたいと言う北島にコウスケは次のように言います。
「家中、中華のにおいやし、家族中あほみたいなことしゃべっとるし、ガラの悪いおっさんらが入り浸ってるし。だいたい、ストロガノフもゴルバチョフも一生食卓に並ばんような家やねん」
すると北島は「おもろそうやん」と言い、コウスケにとってはとても自慢出来ないと思っているような家でも、全く違うタイプの北島からは魅力的に見えるのだと思います。
一学期終業式の日、北島が戸村飯店に泊まりに来ます。
北島がコウスケが岡野を好きなのは全校生徒みんな知ってるんちゃうん?と言うとコウスケは動揺していて、この会話が面白かったです。
またコウスケ達が通っている高校の名前は野川高校と分かりました。
第四章の語り手はヘイスケです。
ヘイスケは岸川先生と付き合いアリさんと呼ぶようになりました。
アリは8歳年上とあるので27歳だと思います。
専門学校を辞めてカフェRAKUでのアルバイトに専念し、すっかり板に付いていました。
「ヘイスケがアルバイトをしてからRAKUに来る女性客が増えた」とありましたが、当のヘイスケは「女の人にしか人気ないんはあかんなあ。しかも、若い女の人だけっていただけんね」と言い、「老若男女に好かれないとあかんやん」と言っていました。
最初はちゃらんぽらんなイメージのあったヘイスケですが、お店を繁盛させるためには特定の層だけでなく様々な層から好かれないといけないという真摯な思いを持っていることが分かりました。
東京では関西のノリが大いにウケるから「おおきに」や「毎度」などを積極的に使うようになったとあり、ヘイスケが順応性の高さを見せていました。
店長の品村はアルバイトの意見でも素直に聞き入れて「ありがとう」と言う人で、これは意外と凄いことではと思います。
世の中には自身より職位が下の人の意見を軽く扱う人も居る中で、品村は「誰の意見か」よりも「どんな意見か」で物を考えられる人なのだと思います。
小学校一年生の時の回想があり、ある日ヘイスケとコウスケが二人揃って父親から包丁を渡されジャガイモを切ることになりました。
長男でもありさらにコウスケと違って父親に似て手先が器用なヘイスケは期待に応えたいと思っていました。
ところが気負いからか指を切ってしまい、後日もう一度二人揃ってジャガイモを切ることになった時も指を切ってしまい、以来ヘイスケは戸村飯店の厨房に入らなくなりました。
10月半ば、戸村飯店常連の竹下の兄ちゃんがいきなり東京にやって来て今日一日付き合ってくれと言います。
今度の土曜と日曜に東京に家族旅行に行き、ディズニーランドに行くのでヘイスケに案内してもらって先に下見をしようとしていました。
第1章では竹下の兄ちゃんもヘイスケを良く思っていないように見えたので、親しげに訪ねて来たのはとても意外でした。
竹下の兄ちゃんはヘイスケが自身を苦手にしているのを見抜いていました。
さらにヘイスケをのことを「軽そうに見えるがほんまは慎重派」と言い、よく見ているなと思いました。
二人の会話が弾んでいるのが印象的で、こんなに弾むのかと驚きました。
ヘイスケは悪い意味で理論的で、この人にはこうして、あの人にはこうして、と一人で頭の中であれこれ考えて先読みして動いていて、「一人よがり」に見えました。
ただし第4章の最後、関係がぎくしゃくしてしまっていたアリとの場面で変化が見られたのは良かったです
第5章の語り手はコウスケです。
二学期終盤に行われた最後の三者面談でコウスケが店を継ぐと言うと父親が激怒します。
コウスケが「俺の考え方の何があかんねん。店継ぐって言うとるやろ」と反発すると父親は「誰が店継いでええって言うた?」と言い、これは父親に腕を認められてからにしろということだと思いました。
さらに事前相談なしで突然「継ぐ」と言っても良い気はしないと思われ、物事には順序があるのだと思います。
教師にも父親にも大学進学を勧められコウスケは戸惑います。
コウスケは進路の相談をしにヘイスケに会いに行きます。
大嫌いなはずのヘイスケに頼ったのが印象的で、土壇場で進路が暗礁に乗り上げそれだけ困っていたのだと思います。
東京に行ってヘイスケと話す中で「兄貴がすってたのはごまばかりではなかったのかもしれない」と胸中で語る場面があり、ヘイスケを見る目がそれまでとは変わりました。
第6章の語り手はヘイスケです。
ヘイスケは品村からRAKUの正社員にならないかと誘われます。
そんな中、春休みの終わりの頃ラジオから流れてきた曲がきっかけで突然大阪に帰りたい気持ちになります。
かつて嫌っていた場所を懐かしんで帰りたくなる心境の変化が印象的でした。
「戸村飯店に集まる人の素晴らしいところ。~」と苦手にしていた人達の良さを語っていたのも印象的で、この心境になったのが嬉しかったです。
第1章から第6章まで、1年の時間が流れました。
その中でヘイスケ、コウスケそれぞれが序盤とは大きく違う心境になって行ったのがとても印象的でした。
ヘイスケは念願叶って戸村飯店を出て行ったことで、コウスケも念願叶ってヘイスケがいなくなったことで、それぞれが新たな日常を過ごす中で、かつて嫌いだった物の見えていなかった良さを見出していました。
二人とも門出を迎えていて、ぜひその先が良い人生になっていってほしいなと思う素敵な終わり方でした
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